第29話 名女優唯李

 翌朝いつもより少し早めに登校した悠己は、自分の席で一人スマホとにらめっこしていた。

「兄離れ」「反抗期」「彼女」「とりあえず」「妥協」などと言ったワードでネットで検索をかけて調べ物をしていると、ダン、と隣で強めにカバンを机に下ろす音がする。


 何事かと見ると、今登校してきたらしい唯李が気持ちつんとした表情で立っている。いきなり不機嫌っぽい。

 唯李は続けて勢いよく椅子を手で引くが、力がありあまったのかそのまま椅子を倒しそうになってしまい、あたふたと持ち直す。 


 若干顔を赤らめてこほん、と咳払いをした唯李は、何事もなかったかのように椅子を元に戻して座った。

 謎の奇行を眺めていると、唯李はまるで悠己のせいだと言わんばかりにきっと睨んできた。 


「……なに?」

「昨日はお楽しみでしたね」


 そういえば唯李とは昨日駅で別れたきりだったのを忘れていた。

 瑞奈から話を聞いてこっちは解決していたつもりでいたが、あちらはあれきり今に持ち越しているようだ。


「かわいい彼女いるんだ~。この前はいないって言ってたのに……知らなかったなぁ~……」

「違う違う、あれはただの妹だよ」

「うぇっ⁉ それって……」


 唯李はいったいどこから出してるんだという変な声を発すると、頬を変に引きつらせながら、 


「い、妹だぁ~? でも向こうはそうは思ってないみたいだけど?」

「そう思ってないも何も実の妹だからね」

「じ、実の妹って言っても、あるじゃないほら、その……」


 唯李は言いにくそうに何やら口ごもる。

 やはり瑞奈が彼女だなんだと言い放ったのを誤解しているらしいので、


「なんか勘違いしたみたいだよ。俺が見ず知らずの女の人に声かけられてるとかって。それで追い払おうとしたんだって」

「あっ、なんだそういう……。なんかすいませんねぇ、ウチの姉が」

「だけとは限らないかもしれないけど」

「誰が男に飢えたビッチ女じゃ」


 唯李は一度ふん、と息を吐くと、軽く腰を浮かせて椅子に座り直す。

 それでその話題はもう終わりかと思いきや、またもじとっとした目線を送ってきて、


「あーでもいいですねー。かわいい妹さんとデートだなんて」


 やけにつっかかってくるが、デートだなんだとまったくもってバカバカしい。

 デートを日本語にすると介護という意味にはならないだろうに。


「かわいい妹ねえ……。最近なんだか反抗的というか……」

 

 昨日の件もそうだが、無駄に余計な料理だの家事だのもやりだして始末に困っている、というようなことをつい愚痴ってしまう。

 唯李はしばらく物珍しそうに悠己の話に耳を傾けていたが、一段落すると感心したような顔でしきりに頷き出した。


「なんか新鮮だね」

「何が?」

「悠己くんがそうやって怒ってるの。でもなんかいいなー。妹さん大切にされてる感じがして」

「いや怒ってるっていうか困ってるというか……。俺が彼女作ったら自分も友達作るって言ってるんだけど、どうしたものかなって」

「へ、へえ~……か、彼女ね~そうなんだ……」


 悠己が難しい顔で腕組みをすると、ちらちらと様子をうかがっていた唯李が、


「い、いやぁ実はあたしも彼氏作れ作れって、お姉ちゃんがうるさくてねぇ~……」

「へえ、大変だね。お互い」

「お、おう……」


 それきりその話題は終わった。唯李は無言でカバンの中だの机の中だの整理を始める。

 だがその途中で何を思ったか、突然くるっと体をこちらに向けてきた。


「ねえあのさ、あたし名案思いついちゃったかなって」

「何?」

「ちょっと耳貸して」


 唯李は少し周りの様子を気にしたあと、ぐっと椅子から身を乗り出してきて、手を添えながら悠己の耳元にこそりとささやく。


「……あたしが彼女のふり、してあげよっか」


 それだけ言うと、唯李はぱっと顔を離して元のポジションに戻る。

 そしてにやっと笑いかけてくるので、思わず聞き返してしまう。


「……はあ?」

「はあ? ってことはないでしょ。だからその、妹さんの前でだけニセの彼女みたいな感じで」

「……いやいやそれは無理でしょ」

「どうして? 名案でしょ? そうすれば妹さんも友達作る、ってなるでしょ」

「そりゃそうだけど、いやそれはさすがに……。そもそも唯李がそこまでする理由は?」


 そんなことをして唯李に何かメリットがあるようには思えない。おおかた、またなにか企んでいるのだろうが……。

 聞き返すと、案の定唯李は虚をつかれたように取り乱し始める。


「り、理由って……あ、あたしはただその……瑞奈ちゃん? が心配なの。だいたい兄からしてこんな調子であるからして」

「いや俺は友達二件あるけど? 瑞奈は冗談抜きでゼロだから」

「何その低レベルな戦い。なんでそれで自分は大丈夫みたいな言い方?」


 ものすごい冷静に突っ込まれた。それ一件あたしのこと入れてないよね? とも。


「それとも……あれれ? さては悠己くん……ビビってるのかなぁ~? それかもしかしてぇ~……フリ、じゃなくて本当に彼女になってほしいとか思ってたり~……?」


 そして必殺のにやにや笑い。

 やはりそういうことらしい。瑞奈のこともそうだが、こっちもこっちで問題だ。

 だいたいニセ彼女だなんだと、どこかのアニメか漫画の話のようなふざけたことを本気で言い出すのも、とうていまともな神経とは思えない。

 彼女も精神的にかなり不安定な状態であるからして……しかしだからこそ頭ごなしには否定せず、優しく受け止めてやらなければ。


「まったくしょうがないなぁ唯李は……」

「何その果てしない上から目線」

「わかったよわかった。言うとおりにすればいいんでしょ」

「なんであたしがすごいわがまま言ってるみたいな感じになってるの?」

「そんなことないよありがとう~。はいはい唯李は優しいねぇ~」

「あ? 金運パンチすんぞ」


 唯李がこの前のパワーストーン(金運)を取り出して荒ぶりそうだったので、すかさず全許容スマイルを見せてなだめる。

 疲労の激しいこの技、しかし効果はてきめんだ。唯李は一度怒っているのかうれしいのか複雑な顔をしたあと「じゃあ決まりね」と上機嫌に話を切り上げた。


(二人一緒に相手するのは疲れるなあ……)


 こっちの妹のほうは突然何が飛び出すかわからないだけに余計だ。

 でもまあ、あくまで瑞奈の前でだけこちら彼女ができました、とやる程度ならさしたる問題はないだろう。

 それで唯李の気が済めば、というところだが。




 非常に行動的なことに、放課後になると唯李は早速「妹さんに報告してあげよう」と言い出して、悠己の家にやってくることになった。

 彼女として振る舞うのは瑞奈の前でだけ、ということなので、一度別々に教室を出て、学校から少し離れたコンビニの前で落ち合う。


「お、お待たせ……」


 少し遅れてやってきた唯李の様子がちょっとおかしいことに気づく。

 しきりに胸元を手で押さえながら、息を吐いたり吸ったりを繰り返している。


「……どうかした?」

「な、なんか緊張してきた……」


 自分からノリノリで提案してきたくせに、いざとなって尻込みを始めるという。よっぽどビビっているのは自分のほうだった。

 本当に何が何だか。こうなってくると二重人格の疑いすらある。やはりかわいそうな子なのだ。

 とりあえず落ち着かせようと、彼女の腕を取る。


「ほら。手握っててあげるから」

「あっ、うん……ってなにしれっと手握ってんの⁉」


 唯李はボールでも投げつけんばかりの勢いで手を振りほどいてきて、大事そうにぎゅっと自分で自分の手を握った。みるみるうちに顔に赤みがさしていく。


「ああ、ごめん。でもこれから一応付き合ってるフリをしないとダメなわけだし」

「あ、あぁ、う、うぅん……」 


 唯李はわかったようなわかってないような顔で口をモゴモゴさせたあと、しぶしぶだらりと腕を下ろす。

 改めて手を取ると、びくっと一度手が跳ねるようにこわばったが、やがて観念したようにゆっくり握り返してきた。しっとりと滑らかで柔らかい。


「唯李の手きれいだね」

「そ、そうね……。ゆ、悠己くんも、指長くて、き、きれいね……」

「そう?」


 悠己は一度握りあった手を見ると、唯李の顔へそう聞き返す。

 すっかり赤くなった頬は緩んでいるようで不自然に固まり、視線もキョロキョロと落ち着かず挙動不審である。


「あ、なんかほんとに付き合いたての彼女っぽい。さすがの演技力」

「で、でしょ? す、すげーっしょ?」

「その変ににやついてる感じもいいね」

「そ、そらもう女優よ女優」


 彼女のフリなんてやってもどうせすぐバレるだろう。

 そう思っていたが、これなら案外行けるかもしれないと思い直す悠己だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る