第14話 ご飯にする? お風呂にする?

「おかえりなさいゆきくん!」


 自宅のドアをくぐると、まるでご主人様の帰りを待っていた犬のように、パタパタと瑞奈が玄関まで出迎えに来た。

 目をキラキラさせながらこちらを見上げる瑞奈は、どういうわけかエプロン姿だった。見た瞬間にすごく嫌な予感がする。


「ご飯にする? お風呂にする?」

「……ちょっと濡れたから、風呂入ろうかと。ご飯はまだ早いんじゃないかな」

「あっ、ゆきくんよく見たらびしょ濡れじゃないの! 傘は? 持ってかなかったの?」


 運の悪いことに唯李と別れた直後に雨が急に本降りになってしまって、なかなかいい感じに濡れてしまった。

 靴の中がびちゃびちゃで気持ち悪いのとシャツが張り付いて冷たいので、とにかくまず風呂に入りたい。


「傘はちょっと人に貸しちゃってさ」

「えっ……。それってもしかしてゆきくん……いじめられてるの?」

「いやいや」

「だめだよゆきくん! 瑞奈にはホントのこと言わないと!」

「だから貸したんだって」


 瑞奈が本気で心配そうな顔をしてくるが、ここで水を滴らせながら押し問答していてもしょうがない。

 このまま上がってしまうと床が濡れるので、ひとまずその場でシャツを脱ぎ始める。


「きゃっ」

「なーにが『きゃっ』だよ。邪魔だからちょっとどいて」


 瑞奈が手で両目を覆ってみせるが、指の隙間がすっかすかで全然隠す気がない。

 一応瑞奈は恥ずかしがっている体でくるり、と背を向けるが、飛び込んできた光景に今度はこちらがぶっ、と吹き出しそうになる。


 前はエプロンでわからないが、後ろから見るともろに下着だけの姿という非常に破廉恥な格好。

 つまり瑞奈は下着の上に直接エプロンを身に着けている。

「開放感がある」とかいう理由で、悠己が注意しないと瑞奈は基本家の中では下着姿でいようとするのだ。


「なんつー格好してる。服を着ろ服を」

「といいつつ自分は服を脱ぐゆきくんなのであった」


 うるさいので床はもうあとで拭くことにして、そのまま風呂場へ直行。

 とっとと服を脱ぎ捨てて中に入っていくと、やけに温かい。湯船にはお湯がすでに張ってあってびっくりする。どうやら瑞奈が用意していたらしい。


 ひとまずシャワーで軽く体を流していると、風呂場の戸が少しだけ開いて瑞奈が顔をのぞかせた。


「ゆきくん、お湯加減はどう?」

「いや大丈夫だけど……ていうか今日はどうしたの? 急に」

「言ったでしょ? 瑞奈もがんばって家事とかするからって」

「家事って……」


 そんなことを話しているうちに瑞奈の目線が下へ落ちる。

 悠己はバタンと扉ごと瑞奈を締め出した。


(まったくもう……)


 兄の体に興味津々な妹というのもどうかと。

 まあ単純に最も身近な異性ということなのだろうが、せめてもっとわかりづらいようにやれと思う。

 ……やらないに越したことはないけども。


 風呂から上がってリビングへ出ていくと、待ってましたとばかりに瑞奈が近寄ってきた。

 腕を引かれてテーブルのほうにやってくると、瑞奈が椅子を引いて「どうぞ」とやる。


 すすめられるがままに腰掛けると、テーブルの上ではでん、と大皿に乗ったオムライスらしきものが異様な存在感を放っていた。

 その傍らには、これまたお茶碗に入った味噌汁らしきものが湯気を立てている。


「これは……なんていうか和洋折衷だね」

「今日は瑞奈が晩ご飯作りました! 冷めないうちにどーぞ」

 

 じゃん、と手を広げてみせる瑞奈。

 気がはやって作ってしまったのだろうが、夕飯にはまだちょっと早い。


「すごいなぁ、瑞奈が作ったのか」

「そうよ。たまごフワッフワやぞ」


 瑞奈はふふん、と鼻を鳴らしてみせるが、ふわふわというかぐちゃぐちゃだ。ライスをまったく包めていない。

 ためしにスプーンでひとすくいしてみると、ライスも色のついたところとそうでない部分があり、ケチャップの混ざり具合がまばらである。というかところどころ焦げている。


「……これ、俺の分しかないみたいだけど、瑞奈は?」

「瑞奈はおべんと買ってきたのでお気遣いなく」


 そう言って瑞奈はテーブルの端を指さす。

 近所のスーパーの袋に入ったお弁当が置いてあった。


「ゆきくんお昼おべんと食べたっていうから、対抗馬を出しました。おべんとって、どういうの食べたの? もしかして手作り?」

「まあ一応……隣の席の人の?」

「なにそれ」


 瑞奈は不思議そうな顔をするが、それは悠己だってそうだ。


「まあいいや。それよりもさあ、召し上がれ」


 早く食べて食べて、と急かしてくるので、スプーンを一息に口に運ぶ。

 一応オムライスらしき味はするが、味付けにムラがある。それとちょっと米が硬い。

 だがそんなふうにテーブルにかじりつくようにして、期待を込めた眼差しで見つめられたら、他に言うことはない。


「……うん、おいしいよ」

「いょっしゃあー‼」


 瑞奈が腕を振り上げて小さく飛び跳ねると、悠己も思わず頬が緩む。

 がしかし、これをおいしいと認めてしまうと、後々困るのは自分もそうだが瑞奈本人のためにならないのでは。

 とは言え細かく指摘するのも気が引ける。ならば自分で気づかせるべきだ、と悠己は瑞奈にスプーンを向けて、


「味見した? 自分でも食べてみなよ」

「あ、いいです。おべんと食べられなくなるので」


 あっさり断られた。

 だがこのまま逃しはせんと、悠己も食い下がる。


「あーんしてあげるから」

「あーん!」


 そう言ったら素直に口を開いた。

 ここぞとばかりにスプーンいっぱいにすくったライスを口に放り込んでやる。

 もぐもぐもぐ、と咀嚼をする瑞奈に向かって、


「どう?」

「まあまあかな」

「じゃあもう一口あーん」

「あ、もういいっす」


 どうやらあかんことに気づいたようだが、気づかなかったふりをされた。別に味覚音痴というわけではないのだ。


「味噌汁はどうかな……」


 おそるおそる一口すすってみる。

 一応豆腐と、玉ねぎが入っているようだった。


(……これは)


 味が薄い。どうやらお湯に味噌を溶いただけらしい。

 これはまごうことなき味噌湯。ただインスタントではなく自分でつくろうとしたところは評価すべきか。


「どう? 瑞奈もちゃんとご飯作れるんだから」


 傍らに控えた瑞奈シェフが得意げな顔をする。

 味はともかく瑞奈は瑞奈なりに頑張って作ったのだ。無下にするのはよくない。


(今度一緒に、作って見せてあげたらいいかな)


 そんなことを考えながら食事を進めていると、


「なんかお腹へってきちゃった。瑞奈ももう食べようかな」


 そう言って瑞奈は、弁当をごそごそと袋から取り出す。

 ちらっと見るとトレーの中には海苔の引いてあるご飯に揚げ物、鮭の切り身。


 煮付けは仕切りからはみ出てしまっており、おかずもすかすかで見栄えも悪い。

 なんだか全体的に色合いが失せていて、よく見れば蓋に三割引きのシールが張ってある。

 悠己が昼に食べた唯李の弁当とは、見るからに雲泥の差だった。


「おべんと、おべんと~」


 それでも瑞奈はうれしそうに、レンジに入れて弁当をあたため出した。

 その横顔を見ながら悠己はふと唯李の作った華やかなお弁当を思い出し、罪悪感のような、なんとも言い表しにくい気分になる。


(お弁当か……)


 そのとき、ポケットに入れてあったスマホが震えた。

 めったにないことで不審に思って確認すると、唯李からメッセージが届いた通知だった。

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