第13話 雨降り

 それからはつつがなく一日の授業が終わる。

 唯李はそのあと、予鈴が鳴ると何事もなかったかのように戻ってきて、何事もなかったかのように授業を受けていた。

 やはりご機嫌斜めなのか、ちらちらとこちらの様子をうかがうようなそぶりはあれど、それ以降は話しかけてこなかった。

 

 どうやら彼女のご機嫌は山の天気のごとく移り変わりが早い。なのでいちいち気にしないことにした。


「わーやっぱり雨降ってる~……」


 放課後になり教室が騒がしくなると、唯李が悠己の席のすぐ後ろで大窓に張り付いて、何やら独り言を言っている。


「べ~、やっべ~傘忘れちゃったんだよな~……」


 さらにぶつぶつぶつぶつ言っている。


「傘忘れちゃったかぁ~……か~っ」


 さて帰るか、と椅子を引いて立ち上がろうとすると、困ったことに背後の人と目が合ってしまった。

 スルーしようと思ったが、向こうはこちらを見つめながらわざとらしく目をパチパチさせてくるので、


「……何?」

「唯李ちゃん傘忘れたの」


 かわいく言って軽く首をかしげてくる。ひどい大根演技だ。

 ちょうど先日梅雨入りしたばかりで、外は連日の雨雲。


 朝はまだ降っていなかったが、予報ではがっつり雨だったため、今日は悠己も傘を忘れず持ってきていた。

 すでに教室の傘立てから持ってきて机の横に立てかけてある。


「……で?」

「あれですよ、ほら。昨日、傘入れてあげたじゃない?」

 

 唯李はぴん、と人差し指を立てながら言う。

 入れてもらったと言ってもほんの数分で、しかもすぐに雨は止んだのであまり意味はなかった。

 そうだったよね? という意味を込めてじっと見返すと、唯李はなにか考えるそぶりをして、


「ん~ていうか、今日も一緒に帰りたいな~って」

「人の傘目当てでしょそれ」

「え~そんなことないよ~?」


 そんなことありそうな言い方。 

 というかそれならわざわざ悠己に頼まずとも、学校の傘を借りるなり、誰か友達にでも助けを求めればいいものを。

 そう言いかける寸前、悠己はそれとは別の可能性に思い当たる。


「もしかしてさ……例のゲームするためにわざと忘れた?」

「にやっ」

「にやっじゃなくて。そんなしょーもないことのために……」


 そう呆れてみせると、唯李はむっと口をとがらせて、


「違います~! 素で忘れたんですぅ! お弁当に気を取られて!」

「それはそれでマヌケだなぁ」

「はー? 自分だって昨日忘れたくせに」

 

 ちょっと言ったらガンガン返ってくる。

 ずっとこんな言い合いをしていてもラチがあかない。


「まったくしょうがないな……」

「……えっ、いいの? 半分冗談で言ってたんだけど」

「えぇ……」

「そんなにあたしと一緒に帰りたかったのかぁ、そっかそっか~」

 

 唯李は腕組みをしながら目をつむってうんうんと大きく頷く。


(ん~……これは。やっぱ無視して帰ろう)


 そう結論した悠己は、さっとカバンを担いで、ご満悦中の唯李の脇をするりと抜け教室を出る。

 今日は特にどこか寄るつもりもなかったので、そのまま早足でまっすぐ廊下を抜けて階段を降りて、昇降口へ。


 下駄箱で立ち止まって靴を履き替えていると、ぱたぱたぱたと足音がしてすぐ近くで人影が立ち止まった。

 ふとそちらを見やると、唯李が透明なビニール傘をずい、と目の前に見せつけてきた。


「あれ? 傘あるじゃん」

「ちーがーう。これ、悠己くんの。忘れてるよ」

「あ……」


 机の脇に置いたまま忘れてきてしまったらしい。

 そういえば昨日傘を忘れたのも、瑞奈と朝からなんだかんだ言い合ってたせいだったと思い出す。


「あーあー。悠己くんのせいであたしもここまで来ちゃったよ? これはもう入れてもらうしかないね」


 首をすくめて傘を受け取ると、悠己は結局唯李と一緒に昇降口を出ていく。

 入れてとは言うが、あたりには下校する生徒の影があちこちで見られ、まさかこんな人目のつくところで相合い傘なんてやるわけにはいかない。


 建物の軒下で立ち止まった悠己は、傘を開いて雨の降り具合を一度確認すると、唯李に傘を渡して先に歩いていく。

 幸い雨は現在ぱらぱらと小降りで、傘をさそうがさすまいがそこまで違いはなさそうだった。


「なんかすいませんね~。傘借りちゃって~」

 

 校門を出て濡れたアスファルトを歩きながら、唯李がどこか楽しげな口調で言う。

 そんなことよりちんたら歩いてないでシャキシャキ歩け、という意味を込めて歩く速度を上げると、「ちょっと待って、待ってよ~」と追いついてくる。


「あっめよあめよふれ~ふれ~。悠己くんのあったまにふっりそそげ~」

「変な歌やめてくれる?」


 しばらくして周囲の傘の影が減ってくると、唯李は近くに誰もいないのをいいことに謎の歌を口ずさみ始めた。やたら上機嫌だ。

 だが言ってるそばから本当に降ってきてしまって、ついジロっと睨んでしまう。


「ん? 入れたげよっか?」

「それ俺の傘だからね?」


 悪びれもせずに笑った唯李はとっとっと、と大股に近づいてくると、腕を持ち上げて傘を悠己の頭の上にかざした。

 が、すぐにわざとらしく二の腕をプルプルさせながら、


「やだおも~いぃ……。背が高くて力持ちな人に持ってほしいなぁ」


 ぶりっ子全開の口調で言う。

 変に逆らっても面倒なので、はいはい、とぱっと持ち手を受け取る。


「俺そんなに力持ちじゃないけどね」

「ふ~ん……」


 聞いているのかいないのか、唯李はちらっと悠己の横顔を盗み見たあと、なにか思いついたようにいたずらっぽく笑った。


「じゃあ、支えてあげるね」


 唯李は取っ手を持つ悠己の手の上から、軽く自分の手を覆いかぶせた。

 そしてすかさず例のにやにや顔でこちらを見上げてくる。


「んふ、手握っちゃったぁ。どーしよ?」

「……なんか手、濡れてない?」

「濡れ……? ……ち、ちがっ、これは手汗じゃなくて、雨だから。雨」

「手汗なんだ……」

「雨って言ってるでしょ!」


 言ってるそばから添えられた唯李の手がガンガン熱くなっていく。

 唯李はぱっと手を離すと、そのままグーに握って悠己の肩を叩くような仕草をする。


「まったく失礼な。肩ガタガタにしたろか」


 歩きながらしばらくぶつくさ文句を言っていたが、それも途中で飽きたのか静かになる。

 するとそれきり話が途切れて、しばらくお互い無言が続く。


「急に黙っちゃったね」


 ややあってぽつりと唯李がこぼす。

 黙ったと言われても悠己にしたら平常運転で、さほど気にもとめない。


「……あの。もしかして怒ってる?」

「へ?」


 突然そんなことを言われて、ついつい唯李の顔を見る。

 それがいやに神妙な……どこか不安そうな顔でいつもの表情と違っていたので、思わず聞き返す。


「怒ってないけど、どうかしたの?」

「いやあのあたし、無理やり、ついてきちゃったみたいで……その、なんていうか。黙ってると、なんか気まずくない? もっとこう、しゃべらないとまずいかな~って思ったり」

「別に……無理してしゃべらなくてもいいんじゃないの」


 おとなしいといつもと違うからちょっと変だけどね。と付け加える。

 すると唯李はやや顔をうつむかせて、


「もしかするとあたしって、すごいおとなしい子だったりするかもしれなくて」

「どういうこと?」

「自分でもよくわからないんだけど……知らないうちに演技してるっていうか、猫かぶってるのかなって」

「ふぅん? 別にそんな気遣わなくてもいいのに」


 そう言ったら唯李は本格的にだんまりに入ってしまった。

 それだけならいいのだが、表情も暗くやはりどこか元気がない。


 そんな彼女の横顔を見ながら歩いていると、ついつい傘を持つ手を持ち替え、空いた手が伸びてしまって……。

 頭に触れる寸前で、唯李は素早くスウェーをしてかわした。


「い、今っ、また頭なでようとしたでしょ‼」

「あっ、いや違うちょっと虫が……」

「いや絶対なでようとした! その手は食わないよ二度とね!」


 すごい勢いでまくしたててくるが、よほど前回のアレが気に入らなかったのか。 


「いやほら、元気だしてほしくて」


 けどこれで結果オーライかな、と思ったがまたも唯李が黙ってしまったので、ふと横に目線をやるとちょうど目が合った。

 が、ぱっとすぐに顔をそむけられた。

 しかしそれでもはっきりわかるほどに、唯李の顔が赤くなっている。


「顔すぐ赤くなるよね」

「わ、悪い?」

「いやなんかそれ、かわいいなって思って」


 軽く笑みがこぼれると、唯李はそむけた顔をぐりん、と向けてきた。


「は、恥ずかしがってるのがかわいいとか、ドSだね!」

「恥ずかしがってるの?」

「恥ずかしがってない!」

「え? ってことは怒ってる?」

「怒ってるのがかわいいとかどんだけドMなの」


 言うだけ言ってぷいっとそっぽを向くと、唯李はまただんまりに入った。

 どうやら話によると、何かしゃべってくれないと不安になる、ということらしいので、とりあえず思いついたことを口にしてみる。

  

「雨っていいよね。雨の音とか、匂いとか結構好き。まあざーざー降りとか、台風来たら嫌だけど」


 言いながら俺にしては珍しくよくしゃべってるな、と悠己はふと思った。

 けどそれぐらいしか話すことが思いつかなかったので、結局沈黙になる。

 そのうち雨足が強くなってきたので、半歩近づいて、少しだけ唯李のほうに傘を傾けた。


「あたしも……好きかも」


 それきり、お互い付かず離れずの距離を保ったまま、ただ無言で歩き続けた。

 しとしとと地面を打つ雨音がやたら澄んでいて、それだけが耳によく響いた。


 そして歩くこと十数分後、立ち止まったのは大きな交差点の赤信号。

 悠己の家はここを折れていかないと通り過ぎてしまうので、唯李とはここでお別れだ。


「じゃ、俺あっちだから」

「……あ、うん」

 

 それだけ言って、唯李は小さく頷くと、悠己は傘の持ち手を差し出して言った。


「傘貸してあげるよ」

「え? でも……」

「大丈夫。走っていけばウチすぐだし」


 信号が青に変わった。

 悠己はなかなか受け取ろうとしない唯李の手に、傘を押し付けるようにして渡すと、


「バイバイ」


 小さく手を振って、踵を返す。

 唯李は一瞬あっけにとられたような顔をしていたが、ふと我に返ったようにすぐに手を振り返してきた。

 慌てていたのか持ち手を離してしまい、肩にかけた傘のシャフトがずるりと落ちそうになる。それをわたわたと掴み直して、唯李は少し恥ずかしそうに笑った。


 雨の中、傘の下で手を振りながらはにかむ女の子。なんだか絵になる。

 やはり彼女には笑顔が似合う、と悠己は雨で霞んだ唯李の姿を脳裏に思い浮かべながら、帰り道を急いだ。

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