第10話 理想の彼氏
その翌日、唯李は早くから台所に立って二人分のお弁当を作っていた。
これはもちろん今日学校で「成戸くんのためにお弁当作ってきたよ。はい」でおもむろに渡すためだ。
「……いややっぱこれダメでしょ……さすがにこれは……」
しかし唯李は作りながら躊躇していた。
いくらなんでも常軌を逸している。これは開戦直後にいきなり核兵器ぶっ放すレベル。
やっぱりこんなバカなことはやめよう……そう手を止めた矢先。
――ていうか顔すごい赤いけど大丈夫?
よかろう戦争だ。
ぶっ放してやろうではないか。
敵に回すと恐ろしいということを、早いとこわからせてやろう。
「初めてですよ……このあたしをここまでコケにしたおバカさんは……」
「な~に一人でブツブツ言ってるの?」
「ひっ」
突然声がして振り向くと、パジャマ姿の姉の真希(まき)が眠たそうに目をこすりながら立っていた。
真希は唯李とは四つ違いの大学生で、のんびりおっとり癒し系タイプ。
デフォルトで笑っているように見える彼女は、唯李にとっても優しいお姉ちゃん……と見せかけて、しかしその実態は。
「ふぁ~あ……何作ってるの?」
真希はゆっくりあくびをしながら、寝起きでバサバサになっているご自慢のふんわりヘアーを手で撫でつける。顔をしかめつつ唯李の手元をのぞきこんできた。
「……あ、なんかいっぱいある。私の分作ってくれてるんだぁ、唯李ちゃんいい子だねぇ」
「違います」
唯李は体の位置をさっとずらして、作りかけの弁当を隠そうとする。
自分の分はいつも自分で作っているというか作らされているのだが、二人分あると間違いなく不審に思われる。
「じゃあそれはなぁに? あ、もしかして彼氏でもできたの~?」
真希は冗談交じりにぽろっと言っただけのようだったが、内心ぎくっとしてつい持っていた菜箸を取り落としてしまう。
すぐにかがんで拾い上げると、水で洗いながらあくまで平静を装った口調で返す。
「ち、ちゃうちゃう。何を言いますかまったく」
「……え? マジ? イケメン? 写真とかないの?」
緩んでいた真希の表情が引き締まって、急にしゃべりが速くなる。
この豹変ぶりはやっぱりちょっと怖い。
「い、いや違うって言ったでしょ今!」
「顔が嘘ついてるね。唯李はすーぐ顔に出るからわっかりやすいよね」
「は、はあ? どういう顔ですかそれは」
ぺたっと両頬に手をあててみるが自分ではわからない。
すると真希がふふふ……と怪しい笑いをしながら、
「ってことは、見つかったんだ? 理想の彼氏」
「へ?」
理想の彼氏。
その一言にとてつもなく嫌な予感がして固まると、姉の口角がゆっくりにや~っと上がっていく。
「そ、それはいったいなんのことやら……?」
「え~? だって前にほら、ツイで」
真希はおもむろにスマホを取り出すと、何度か画面をタップし、するするとスライドさせながら何やら声に出して読み上げだした。
「理想……群れるの嫌い。友達少ない。なんか眠そう。無表情でポーカーフェイス。でも笑うとかわいい。身長そこそこあるけど大きすぎない。スタイルがいい。指がきれい。黒髪。ちょっとだけ天パ。目は切れ長の一重、と見せかけて奥二重。声低め。口数少ないけど声に色気がある。クールだけど意外に天然。素直。お兄ちゃん属性、弟か妹がいて、面倒見がよくて家族とは仲いい。家事とか得意。料理上手……」
「あ、あああっ⁉ ち、ちょっとそれ⁉」
「サブカルネタくわしい。むずかしそーな本読んでる。恋愛とか興味なさげ。けど付き合い出すと一途。よしよしって頭撫でてくる。口に出さないけど重たい過去を背負っている。……やば、読んでるだけで鳥肌立ってきちゃった。唯李ちゃんさあ……いい加減キモい妄想垂れ流すのやめたら?」
「な、な、な、なんでそれっ……」
「この前パソコンで開きっぱなしになってたからフォローしといてあげたよ。グッ」
「ああああああ‼ 鍵、鍵、ただちに鍵ぃぃ!」
「もう遅い」
詰め寄ってスマホを奪い取ろうとするが、真希に腕を高く伸ばされ届かない。
しまいにカウンターで胸を揉まれそうになったので、さっと後ずさって距離を取る。
「要するにこれ、ただの気持ち悪いぼっちの陰キャラじゃないの? 中二病こじらせてそーな……しかもなんか途中で矛盾してない? こんなのいないでしょ……完全に少女漫画脳」
「そ、そんなことない! 惜しいのがいたの惜しいのが!」
「ほんと~? 彼氏なんてできたことないくせに言うことだけは一丁前……」
「う、うるさいなあ! いいからあっち行って……ひぁああっ⁉」
「相変わらずいい反応。唯李はかわいいねぇもう」
「ちょ、ちょっとぉやめてよ、もぉおお‼」
さわさわとお尻を撫で回してくる真希の手をわたわたと振り払う。
頭は撫でられないが尻はよく撫でられる。何の自慢にもならない。
真希は名残惜しそうに唯李の腰元を見つめていたが、急にキリっと顔を作って、
「彼氏ができるってことは、こういうことだからね? この程度で恥ずかしがってちゃダメよ」
「いきなり真顔でかっこつけてごまかさないでくれる?」
「ああでも、手塩にかけた私のかわいい妹がどこぞの変な男に盗られるのは……。唯李のゆいは、かわゆいのゆいだから。知ってた?」
「知らない」
絶対違うでしょ、と睨んでやるが真希はなぜかうれしそうに笑っている。
真希は再びちらっとキッチンのほうへ目線を移すと、
「まずは胃袋をつかもうっていう魂胆なんだろうけど……実際男の子なんてね、こうやって……」
ずい、と体を近づけてきて、唯李の二の腕にぎゅうっと思うさま胸を押し付けてきた。かなりのボリューム。
さらに真希はすかさず口を寄せて、吐息混じりの声で耳元に囁きかけてくる。
「……好きよ」
ぞくりと鳥肌が立った。
思わず「ひゃっ」と変な声が出てのけぞると、真希がうふふふと笑って、
「って、やったほうが早いわよ」
「な、何言って……こ、この悪女め!」
「まぁめんどくさくなるから私はやらないけど」
「あたしだってそんなのやりません!」
「またまた、そんなやらしい体つきしてよく言う~」
懲りずに胸に手を伸ばそうとしてくるので、きっちり両手で胸元をクロスしてガードする。
「やりませんっていうか、無理よね。超恥ずかしがり~の唯李ちゃんには」
「べ、別に……そのぐらいあたしだって、その気になったら……ねえ?」
「ふっ」
思いっきり鼻で笑われた。
何を言おうと彼女にはもういろいろと……知り尽くされてはいるのだが、こうやって弄ばれてばかりはどうにも癪なのだ。
「それより私は、唯李が変な男に捕まっていいように調教されないか不安で不安で。やはりこの感度の良さはいかんともしがたい……」
「そっ、そんなのされるわけないでしょ‼ 不適切な単語使わないでもらえます⁉」
「どうだかねぇ。そのガタガタの防御力で」
「ぼ、防御力?」
笑顔こそすっかり板についてきたが、極度の恥ずかしがりはいまだに克服できていない。
これまで相手を一方的に瞬殺してきた唯李に、守りなど必要なかったのだ。
「……ふ、ふんだ。攻撃は最大の防御って言葉、知ってる? もうこっちがよゆーで手玉に取ってやるから」
「ん~……? ってことはその彼……まだ片思いなんだ? いいなぁいいなぁそういうの、あーもうお姉ちゃん妬けちゃう!」
「あー違う違う! 今の全部なしなし! 嘘でーす! 冗談です! そんなのいないし、なんでもないから‼」
「はーいったいどんな子なんだろう……なんか私のほうがドキドキしてきちゃった」
「だから人の話を聞け‼」
唯李の言葉もむなしく、真希は「んふふふ……」とさもおかしそうな忍び笑いを残して逃げていった。
また一つ絶好の弄られネタを提供してしまった。唯李はがっくりと首をうなだれる。
(こうなったのももとを辿れば全部……あいつのせいだ)
もう遠慮はいらない。やってやる……やってやるぜ。
フフフフ……と一人不敵な笑みを浮かべながら、唯李は弁当の仕上げに取りかかった。
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