第9話 隣の席恐怖症

 逃げるようにして悠己と別れ帰宅したその日の晩、ベッドに横になった唯李はいつになっても寝付けずにいた。

 席替えのある日の前後はいつもそうだ。眠れずにいると、ついなんとなく思い出してしまう。


 ――うっわ、オレあいつの隣やだよ~マジハズレなんだけど。最悪。


 小学四年の席替えのときだった。

 隣の席になった男子が、そんなことをコソコソ言っているのを聞いてしまった。いやコソコソでもなくそこそこの音量で。


 確かに当時の自分は、いわゆるハズレに属する人種だったであろうことは認める。

 声が小さく話下手の引っ込み思案で、極度の恥ずかしがり。人前で笑顔を見せるのさえ恥ずかしがった。

 友達もほとんどおらず、休み時間にすることといえば一人こっそりノートに漫画やアニメのキャラクターをお絵かき。


 休みの日は、ひたすらお家で漫画やアニメ、ゲームに没頭。

 だからそんなことを言われて、「こっちこそ最悪」だとか言い返すことなんてもちろんできず、そのまま家に持って帰ってきてめそめそと泣いた。

 席替えが大嫌いになり、一気に学校に行くのが嫌になった。


 自分の席にいる間は四六時中隣の子の言動にビクビクしながら、なんとか次の席替えまで、と我慢した。

 だけど席替えをして、また他の子にも最悪って言われたらどうしよう。

 もしそうなってしまったら、根本的な解決にならない。席替えのたびにこんな不安がずっと続くのだろうか。

 考えに考えどうにも困り果てた唯李は、そのとき最も身近で頼れる存在であった姉に相談した。

 するとなんだかよくわからないみたいな顔をされたあとに、こう言われた。


「じゃあ面白い子になればいいんじゃないの?」


 今思えばかなりテキトーなアドバイスだったが、そのときの唯李はなるほどと思った。

 実際同じクラスに明るくて面白い女の子がいて、彼女の席の周りにはいつもたくさん人が集まり、みんなから大人気だったのだ。


 それからというもの唯李は、面白くて楽しい子になる研究を始めた。

 少女漫画だけでなくギャグ漫画も読んだ。動画サイトで面白い人の配信を見て、テレビの漫才やバラエティ番組もかかさずチェック。

 唯李自身はそれなりに頑張っているつもりでいたが、しかしそれだけで引っ込み思案のおとなしい子が、いきなりギャグ飛ばしまくりのおもしろ人間になるというのはやはり難しかった。

 いつかそのうち……と言いつつ、実際は一人で部屋でギャグアニメを見て笑い転げて「あー面白かった」で終了……が日課となりつつあった。


 結局姉に「ほんとにやる気あるの? とにかくノリよく楽しそうに、嘘でもいいからまず笑いなさい」と脅し気味に言われ、仕方なくそのとおりに演じてみることにした。

 しかし運良くそれが功を奏したのか、いつしか隣になった子に嫌がられるようなことはなくなっていた。

 蓄えたギャグ知識が徐々に覚醒し、気づけば軽く冗談も飛ばせるようになり、なんだか明るくなった、と友達も増えるようになって、いいことずくめ。


 だがそれも中学に入ってしばらくすると、徐々におかしな方向に向かい出した。

 隣の男子にただ笑顔で元気よくあいさつしていただけなのに、いきなり呼び出されて「好きになりました」などと言われ始めてしまう。

 その反面、小学生のときに面白くて人気だった子は、いつの間にかやかましくてうざい女扱いされていた。

 唯李は成長した自分の容姿にあまり自覚がなかった。面白い子こそが正義と思っていた唯李はすっかり混乱した。


 唯李としては、ただ隣の席の人に嫌われまいとしていただけ。

 なんとか楽しませようと笑顔で、愛想よくしていたら、結果としてオーバーキルになってしまっていたらしい。

 そのうちに自分が男子の間でやたらもてはやされている、ということも友人づてに聞いたが、どうにも実感がない。

 さらにそれから何度目かの告白を受けて、いい加減思い知った。

 もうこんなことはやめよう。普通に、普通にしていればいいんだと。


 そう頭ではわかっていても、状況が改善するきざしは一向に見られなかった。

 隣でむっすーとされると、何か自分が悪いのではないか、と思ってしまう。

 前後の席が隣同士楽しそうに話していると、自分も何かしゃべらなければ、と思ってしまう。

 隣の相手を楽しませないと、という無意識の強迫観念のようなものは、今現在も払拭されずにいた。


 隣の席恐怖症。

 こうなる以前の自分は、いったいどう振る舞っていたのだろうか。

いっそのことその頃の自分に戻ってしまえばいい、と考えることもあったが、今となってはそれがどうにも思い出せない。

 どこか演じているという感じはあるのだが、もはや人格そのものが変わったらしく、オンとオフの境目が自分でもわからなくなってきている。

 今の自分の性格自体は嫌いではないし、なんだか陰気臭くてじめじめしていた頃よりはずっといい。

 ただそれでもやっぱり、席替えが大っ嫌いなのは相変わらずだった。


 ふぅ、とため息をつきながら、唯李は寝返りをうつ。

 実を言うと今日の眠れない原因は、席替えのことではなかった。


 ――君は隣になった男子を自分に惚れさせる、というゲームをしている。


 彼はものすごく真面目な顔でそんなことを言った。

 そのときのしたり顔たるや、思い出すとおかしくなって笑えてきた。


(言うに事欠いてゲームって……。うーん、やっぱ天然なのかなぁ? でもなんか、おもしろー……)


 自然とにんまり口元が緩む。

 それだけなら少しおマヌケでかわいい……で済ませられたのだが、そのあとがよろしくない。


(なでなでされた……)


 同年代の男子に頭を撫でられたことなどない。というかよくよく思い返すと頭を撫でられたこと自体、意外と記憶にない。

 つまりヤツに初めてを……奪われた。不意打ちに奪われたのだ。


(しかも思いのほか手慣れてやがった! 正直ちょっと気持ちよかった! 声もめっちゃ優しかったし……)


 あれはおそらく頭なでなでのプロなのだろう。

 山ごもりしてひたすらなでなでして音を置き去りにした、そういう類のものに違いない。きっとそうだ。


(妹がいるって、意外にお兄ちゃんキャラ……?)


 しかもそんなことしそうにないキャラだっただけに余計だ。

 こっちはもう軽くパニックになって取り乱してしまい、無様な醜態を晒してしまった。

 きっと「うわこの程度で顔真っ赤にしてるよちょっろ」とか思われたはず。思い出すだけで顔面が火照ってくる。


(なんなのも~ほんとに!)


 思わず頭を抱えて両足をバタバタ。

 前からなんとなく気になっていて、たまたま隣の席になって、話したら意外に調子があって、偶然帰りが一緒になって、なんでか頭を撫でられて、それからずっと気になってしまって……今ココ。


(いやいやないない! どこのチョロインよ、しゃべって一日目だからね? ハーレムアニメのヒロインでももっと耐えるわ)


 そんなわけがないのだ。この感じはきっと何かと混同している。

 そう、あれだ。驚きだ。単純にびっくりさせられてドキドキしただけ。そうに決まってる。


(くっそ、あの男~……!)


 こっちがこれだけ心乱されているというのに、向こうは今頃きっとすやすやと安らかな眠りについていると思うと腹が立ってきた。

 なんだかんだで負けず嫌いなところがあるのだ。あの眠そうな顔を思いっきり真っ赤にさせてやりたい。こうなったら本気で惚れさせゲーム上等だ。


 やられたらやり返す。倍返し……いや倍々返し! 

 そう考えた挙げ句――。

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