第2話 予習

 朝のホームルームはいつもどおりつつがなく終わり、再び教室が騒がしくなる。

すると隣の唯李が机から教科書やノートやらを取り出しながら、またも話しかけてきた。


「ねえ成戸くん。あのさ、一限の英語……今日絶対あたしさされると思うんだけど、予習の訳、ちょっと不安だからどんな感じか見せてほしいなぁって……」


 唯李は「お願いします!」と大げさに両手を合わせてぺこっと頭を下げてくる。


「……ダメかな? イヤならいいんだけども」

「いや、見せるのはいいんだけども……残念ながら予習やってないんだ。いろいろゴタゴタしてて」

「えぇ……やってないって……。のんきに本とか読んでる場合じゃなくない?」

「もうどうせ間に合わないし」

 

 それきり会話を終了しようとすると、ちょっと待てと言わんばかりに唯李が身を乗り出してくる。


「あのね、あたしがさされたらそこから横に、みたいに普通に成戸くんもさされる可能性高いからね? 三浦先生怖いしヤバイよ」

「大丈夫。覚悟はできてる」

「なんの覚悟それ? カッコよく言ってるけど開き直ってるだけでしょ」


 唯李は「まったくもぉ……」とぶつくさ言いながらノートをぺらぺらとめくると、開いたページを見せてきて、


「いいよほらこれ。あたしの見せてあげるから」

「いや、こういうのは自分でやらないと意味がないし」

「……やってない人が偉そうに言うセリフじゃないよね? そういう人が隣にいると、あたしのほうがハラハラして落ち着かないから、ほら」

「なるほど共感性羞恥か……いやそれとも……」

「いいから早く写してくれる?」


 無理やりノートを押し付けられてしまった。

 悠己としては覚悟を決めていたところ拍子抜けだったが、言うとおりにしないと今ただちに唯李に怒られそうなので、自分のノートを取り出して書き写し始める。


「あ……」

「何? なんかおかしいところあった?」

「字がきれいだ」

「え、え~っ……? そ、そーかなぁ、別に普通だと思うケド……」

「と思ったらそうでもないか」

「早くして」


 唯李にせかされ、急いでなんとか写し終わる。

 それとほぼ同時に予鈴が鳴って、間もなく教師がやってきた。

 英語の三浦はメガネをかけた四十後半の男性教師で、授業中はもちろん提出物などにも厳しいともっぱらの評判。


 予習をやっていないことがバレると、授業中その場に長いこと立たされることもある。

 さらに朝一発目ということもあり、ややピリピリしたムードで授業は始まった。

 あいさつもそこそこに三浦は教卓の上で教科書類を広げると、


「えー、今日は六月三日……。じゃあ十八番、鷹月」

「は、はい!」

「……の隣から行くか。成戸、油断してたろ」


 にやっと笑いながら言った。

 少しふざけたところを見ると、どうやら機嫌はそこまで悪くはないらしい。その一言で教室の雰囲気がいくぶん和らいだ。


 ただここでの応答次第では、いつ態度が豹変するかわかったものではない。いやがおうでも悠己にクラス全員の注目が集まる。

 しかしそんな空気の変化も我関せずと、悠己はついさっき唯李のノートから丸々写した部分を淡々と読み上げた。


「エクセレント。すばらしい、よく予習してあるな」


 隣の唯李が満面の笑みでこっそりピースピースを送ってくる。

 実際、今のは唯李が褒められたようなものだ。


「じゃ次。鷹月」

「えっ、結局あたしですかー⁉」

「当てないとは言ってないぞ。さっきから何をカニのものしてるんだ」

「か、カニの真似なんてしてません!」


 どっと教室が湧く。

 すっかり顔を赤らめた唯李が、焦った口調でところどころつっかえながら訳を答える。


「う~ん、少し誤訳があるけども、おおむねグッド」


 そう言われて、唯李はほっと胸をなでおろすような仕草をする。

しかしそのあと、なぜか「むー」と軽く口を尖らせてこっそりこちらに視線を送ってきた。

 どうすればいいかリアクションに困ったので、唯李の真似をしてピースをしてみる。

 にやりと不吉な笑みが返ってきた。


 そのあとは何事もなく、平和に授業が終わった。

 教室が休み時間の喧騒に包まれるなり、唯李は無言のままじろっと睨みつけてくる。

 何やら文句を言いたそうにしていたが、しかしすぐにころっと笑顔になって、


「ふふ、二人ともあてられちゃったね。やっぱりノート見せておいてよかった」

「ありがとう、助かりました」

「次からちゃんとやらないとダメだからねー」

「うん」


 何の気なしにそう答えると、何がおかしいのか唯李は声を出して笑いだした。


「うん、だって。なんか素直でかわいいね。くすくす、成戸くんおもしろー」


(よく笑う人だなぁ)


 隣の席キラーはなんと言っても笑顔の破壊力がヤバイ。かわいすぎる。胸がはうっ! てなる。

 ……などと慶太郎が力説していたことをふと思い出しながら、じっとその様を観察する。

 彼女の笑顔を見ているうちに少し思うところがあり、悠己はつい口を開いていた。


「あの、鷹月さんて……」

「ん? なーに?」

「その……ちょっと言いにくいんだけどさ」

「どしたの? いいよ全然、何でも言ってみなさい」


 悠己が口ごもるが、唯李はやっぱり笑顔のまま、優しい声音で応じてくれる。 

 それなら思い切って、正直に言ってみるのも手だ。


「次の数学の宿題って……やった?」

「……あのさぁ」


 あれだけ優しかった目元が、ジトっとした目つきに豹変する。

 やっぱり何でも、は罠だ。悠己はそう思った。

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