冬の花火も悪くない

川野笹舟

冬の花火も悪くない

 月が爆発するらしい。

 僕が二十歳の頃、テレビの速報で、その衝撃のニュースが流れてきた。

 その日のうちにNASAの緊急会見が開かれた。目の下のくまが目立つ女性が「確実に爆発する」と語った。次いで、「爆発したら地球も滅ぶ」と告げた。彼女は正しく「世界が終わるかのような表情」をしていた。

 しかし、肝心の「いつ爆発するのか」という点は不明らしかった。百年後か一年後か。「もしかしたら明日かもしれない」と半笑いで語った彼女はその後NASAを辞めた。

 その日から、世界は恐慌状態に陥った。

 ありったけの金を使う者、犯罪に走る者、自ら死を選ぶもの……。

 しかし、月はいっこうに爆発しなかった。

 一か月、一年、五年経つ頃には、みな忘れてしまった。確実な死が近づいていることを。

 そもそも月が爆発しなくても人は死ぬ。確実に。それすら忘れてしまう僕らが、遠く沈黙する月を意識し続けるのは、どだい無理な話であった。

 

 あれから十年。三十歳になった僕も、ご多分に漏れず日常の中で月を意識することはなくなっていた。せめてもの抵抗として、毎晩ベランダで月を見ながらコーヒーを飲むことにしている。

 十一月に入り、さすがに寒くなってきたが今日も珈琲をいれてベランダへ出た。

 

 室外機に腰かけ、コーヒーに月を浮かべる。丸い。今日は満月だったろうか。と、益体もないことを考えていると、水に浮かぶ月が不規則に揺れ始めた。風は凪いでいる。地震でもなさそうだ。

 何気なく、空に浮かぶ月を見てみると、なんのことはない、月そのものが、もぞもぞとうごめいているのであった。

 ついに、時が来たらしい。色々なことが頭によぎったが、もうどうしようもない。いつものように、そのままコーヒーを飲むことにした。

 日付が変わってすぐ、月は花火のように爆発した。しだれ柳のように広がっていく光。月の欠片が落ちるスピードは嫌に遅く、時間が止まりかけているのかと錯覚するほどであった。

 遠くから歓声が聞こえる。


 お隣さんもやっと異変に気付いたのか、窓を勢いよく開ける音がした。

「おいおいおい! やばいやばいやばい! ……って、もう無理か」

 その通り、もう無理だ。何をしようと。

 数分沈黙したあと、お隣さんが叫んだ。

「たーまやー!」

 僕は思わず噴き出す。最後の最後でそれはないだろう。

 しかし、正しい気もした。僕も、

「かーぎやー!」

 と叫んだ。

 ベランダを区切る敷居から、お隣さんが顔を出して、

「はっはっはっはっは。いいっすね」

 と言った。顔を見るのはこの時が初めてだった。


 その後、あちこちから聞こえてくる玉屋鍵屋の声を聞きながら、僕らは最後の時を待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬の花火も悪くない 川野笹舟 @bamboo_l_boat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ