第21話 居場所 / 弁当

 職場の昼休み 昼食の場に 自分の居場所を見つけることはできるのでしょうか?



 勤め先の会社には 厚生棟の2階に社員食堂があって 昼休みのチャイムが鳴ると 多くの社員は ぞろぞろと食堂へ移動して 食事をとっていました。 


 ある日の午後 食堂で食事を済ませて 居室に戻った私は 自分の席に座って いつも昼食の時に違和感を覚えるのは 一体何故なのかと考えました。 


 今の会社に中途入社して 最初の頃 私は 仕事をこなしていくのに必死で 昼食のことについて 特に感じることはありませんでしたが 仕事に慣れてくると 昼食の時間に 妙な感じを受けていることに気付きました。


 その妙な感じが 何なのかを思い返してみると それは食堂での昼食時に「食事した感」を得られていない事が原因にあると思いました。 


 食べ物に好き嫌いの無い私は 「食事した感」が得られないのは 料理にその原因があるのではなく 食堂で食事をすることにその原因があるように思いました。



 昼食の時間帯は 11時45分から12時15分までと 12時15分から12時45分までの2つに分けられていて 職場によって 時間帯が振り分けられ 3ヶ月毎に 時間帯の入れ替えがありました。


 昼休みのチャイムが鳴ると 社員は 一斉に食堂へ向かって移動するので 直ぐに 厚生棟の階段に行列ができました。


 行列に並んだ順番により 食事にありつける時間に違いが生じるので その差は 食後に休める時間にも大きく影響することになりました。   

 

 そのため 昼休み近くになると 仕事を切り上げて 職場の入り口付近に待機して チャイムの音が鳴るや否や 食堂へダッシュする者達もいました。


 食堂に上がる階段は混雑し 足元が見えなくなるので 社員等は皆 階段を踏み外さないように 下を向きながら ひどくゆっくりした速度で 階段を1段ずつ上がって行きました。 


 食堂の入り口付近に 料理を乗せるためのお盆が積み上げられていて 社員は それを手にすると 皿に盛り付けられた料理が並べられているテーブルや厨房のカウンターへ向かって行きました。


 テーブルには 2種類の定食と 単品料理が並べられており 厨房のカウンターには ライスと味噌汁 カレーライス 麺類が用意されていました。


 社員は 好みの料理をお盆に乗せると レジへ行って代金を支払い 食堂に整列配置されたテーブルのいずれかへ移動して 食事を始めました。


 社員達は 職場単位で テーブルに集まり 会話しながら食事する事が多く 私も 同じ職場のメンバーと同席し 彼等のその日の出来事等の話を聞きながら食事していました。


 会社の業績が思わしくなく 彼等の仕事もうまく行ってないこともあって 職場のメンバーの話は 仕事のトラブルの事や上司への不平不満に終始しました。


 私は 食べるのに時間が掛かる方で 食事中には あまり話をしませんでしたが 急いで食べても いつも最後までテーブルに残って食べていました。


 周りのメンバーは 盛んに話をしながら食べているのに 早く食べ終わるので 私は「よく そんなに早く食べられるもんだ。ちゃんと噛んで食べているのか。」と思いました。 


 食事が終わると 食器を乗せたお盆を持って 返却場所へ行き それぞれの食器を所定の場所に戻して 食堂を出ました。


 居室に戻り 自分の机に付いた私は そのような昼食に 「食事した感」を得られませんでした。



  この日の昼食の様子を振り返った私は 「食事した感」が得られないのは 自分の心身に良くないと思い その原因を分析しました。


 私は 食堂での昼食を 養鶏場の鶏の食事の様子と比較してみました。


 小さな鳥かごに囲われた 多くの鶏たちが 決まった時間になると 飼育員によって かごの前に設置された容器に飼料が乗せられ 無表情で食事を始める様子を思い浮かべました。


 卵を産むことが鳥たちの仕事なら そのための食事も仕事の一環であり 彼等の食事のスタイルも 仕事の効率化の一環だろうと思いました。 

 

 鳥たちの食事は 食べさせられている感じが強いものでしたが それでも会社の食堂に比べると 食事を運んでもらえる分だけ 待遇がよいと思いました。


 養鶏場の鳥の食事の様子を思い描くと 私は 会社の食堂での食事が 業務の効率化のための仕事の様に感じられる事に 違和感を覚えてたのだろうと考えました。


 その違和感は 本来 仕事に一段落をつけ 栄養を補給することにより 活力を得るための 心地よいはずの食事の時間を 無感覚で 楽しめないものにしていると考えました。 


 「強靭で柔軟な心身作り」を目指す私は 昼食の時に感じていた違和感に対する仮説について それが正しいのか検証してみることにしました。


 

 ある日の昼休みに 私は 食堂へは行かずに 会社の敷地内の路上に出店している弁当屋へ行くと 鳥の唐揚げ弁当を買って 職場の作業室へ戻りました。


 職場では 3割ほどのメンバーが 昼食に弁当を食べていました。


 彼等の内の半数は 弁当を持参し 残りは 弁当屋から弁当を買っていました。


 職場の弁当組は 昼休みになると 談話室や 作業室に集まって食べるか または 居室の机で 一人で食べていました。



 作業室で弁当を広げていたメンバーは 私が入ってきたのに気付くと「あれっ 川緑さん 弁当にしたんですか?」と聞きました。


 「ええ ちょっと気分転換に 弁当を買ってみました。」と答えると 彼は「食堂に並ぶのは嫌ですよね。」と私の心情を見抜いたように言いました。


 私は 椅子に座ると プラスチック製容器に入った 鳥の唐揚げ弁当に 輪ゴムで止めてあった割り箸を外し 透明なプラスチック製の蓋を開けました。


 弁当には 鳥の唐揚げと 卵焼きと ポテトサラダと 漬物と きんぴらごぼうと ご飯に 小ぶりの梅干が乗っていました。

 

 1つ400円の弁当は 食堂の定食に比べると やや割高でしたが 個々の具材や盛り付けに 料理人の心意気が感じられました。


 食堂に入っている業者は 会社と契約し 多くの社員に料理を提供することができるので 大きな商売ができる一方 多くの料理の提供求められ 厨房の作業は 量産工場の様になっていました。


 厨房の中を覗くと 流れ作業に追われる作業者が忙しく動き回り 彼等は 弁当屋の人達のように 元気にお客に対応する姿勢は見られませんでした。


 弁当屋と食堂を比較すると 私は 弁当屋を応援したい気持ちになり 暫く 弁当を買い続けることにしました。


 

 弁当屋通いを始めて数日経つと 私は 弁当を作って販売する人達が 明るく接客できるのはどうしてだろうかと考えるようになりました。


 私は 料理を作ることは それが仕事であっても 楽しいことなのだろうかと思いました。


 一方で 食堂で働く人達は 同じように料理を作って提供する仕事をして 安定した給料を得ていると思われるのに まるで嫌な仕事でもしているように見えました。


 長く組織で働いてきた経験から 私は 食堂の作業者達の態度や表情には 何となく思い当たることがありました。


 私は 弁当屋の明るさに興味を持ち 弁当作りに 何か人を明るくする要素があるのか そしてそれは「強靭で柔軟な心作り」に効果があるものかを確かめたくなりました。


 薄味を好む私には 弁当屋の料理の味付けが濃い目であることも 私の弁当作りへの思いを後押ししました。


 早速 私は 仕事の帰りに 自宅の近くのスーパーに自転車を止めて 卵とソーセージと丸干しイワシとキャベツと漬物等の食材を買い込みましだ。


 帰宅すると 私は 食材を冷蔵庫にしまい 長く使っていなかった弁当箱を取り出して洗うと 米をといで炊飯器に入れて タイマーを掛けました。



 翌日の朝5時に起きると 私は 台所に立ち 弁当作りを始めました。


 丸干しイワシをオーブンで焼き ソーセージをフライパンで炒め 目玉焼きを作り 水に晒したキャベツを刻みました。 刻んだキャベツは 千切りと言えるものではなく 幅広のものでした。


 私は それらの具材を弁当箱によそって ご飯を詰めると その中央に大き目の梅干を1個乗せて 蓋を閉じ 弁当箱を保温袋に入れました。


 この日の昼休みに 私は 作業室へ行くと いつもの所で 椅子に座り 弁当箱を広げました。


 職場のメンバーは 目ざとく 私の手製の弁当に気付くと 近寄ってきて「男らしい弁当ですね。」とか「自作の弁当ですか!」と驚いた様子で言いました。


 手製弁当組のメンバーは 全員 彼等の奥さんの手作り弁当を持参していたので 私の弁当の具材のサイズや盛り付け方に 奥さんの作ったものではないことを 一目で見抜きました。


 弁当組みの多くは 彼等の奥さんが 子供の弁当を作るついでに作ってもらった弁当を持参していました。


 彼等は 子供が大きくなって弁当が要らなくなると 即 彼等の弁当も終了となるものと覚悟していたようで 私の弁当作りには興味を示しました。



 私は 箸を取ると 梅干をつまみ 半分かじると 口の中に広がる酸味と辛味を味わい キャベツを噛むと その甘みと繊維質を感じました。


 私は 弁当箱から それぞれの具材をつまむと 味わいながら食べることができました。    


 人の出入りが多く がやがやとした人の話し声や多くの物音の中にある食堂と比べると 作業室は静かで 落ち着ける場所でした。


 作業室では 食堂へ行く時間や 人の列に並ぶ時間や 食堂から帰る時間が削減できるので 自分のペースで ゆっくりと食事をとることが出来ました。


 いつもより時間をかけて 自作の弁当を食べ終わると 私は なんだか いつもより元気になったような気がしました。


 私の様子を見ていたメンバーの一人は「自前の弁当じゃないと力が出ませんよね。」と言いました。


 彼の言葉にはっとした私は「それは どうしてですか。」と聞きました。


 彼は「どうしてかは分りませんが そうなんです。 家の奥さんもそう言ってますよ。」と言いました。



 私は 弁当を作って食べることには 何か奥深いものがあり それは「強靭で柔軟な心身作り」に効果のあるものと確信しました。


 私は 弁当作りの奥深さを理解するために その効果の正体を掴むまで 弁当作りを続けようと決意しました。

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