第19話 居場所 / 会社
会社の中で 自分の居場所を確保することは「強靭で柔軟な心身作り」に効果があるのでしょうか。
1995年1月に 私は 関東にある化学メーカーから福岡にある電気メーカーへ転職しました。
電気メーカー本社の研究所に配属された私は 事業部からの要請を受けて 新商品開発に必要な材料やデバイスの開発に取組むことになりました。
事業部は 新商品開発に当たり それに必要な機能を有する材料やデバイスの開発を 研究所に委託しました。
研究所は この要請を受けて 事業部と研究開発受託契約を結び 材料やデバイスの開発の担当者を決めて 開発業務に着手しました。
私は 事業部から開発依頼のあった プリンター用のデバイス開発や 超小型電子部品の開発や BD光ディスクドライブ用の樹脂材料開発に取り組むことになりました。
一度 開発業務に着手すると 会社内の契約業務とは言っても 契約書に記載の開発成果と納期を 最優先する事業部は 開発の進捗を追及しました。
事業部は 新商品の発売時期を公表していて その時期に間に合わないことはあってはならないことなので 彼等は社内の研究所だけでなく 社外のデバイスメーカーや材料メーカーへも 彼等の求める新規デバイスや新規材料の開発を依頼しました。
私は 社外のメーカーと競合する形で 新規デバイスや新規材料の開発を進めることになりました。
これまでにない材料やデバイスの開発は 計画通りに進まないことが多くあり その様な時に 私は 事業部への開発経過報告会では 事業部と研究所の責任者等から厳しく追及されることになりました。
彼等は 開発納期の遅れを挽回するための仕事の進め方やスケジュールの提出を求めました。
報告会の場で 組織の責任者等が 開発業務の進捗を吟味し 問題点を追及するは当然の成り行きでしたが 彼等の矛先の的になった私は その場の雰囲気に 居辛さを感じるようになり その状況は常態化することになりました。
このような業務を続けて7年経った頃に 私は 未だに この職場や会社に馴染めていないことに気付きました。
私は 今の会社で この職場で 普通に仕事をしているのに なぜか 足が地に付いていなくて 自分自身が宙に浮いているような感覚を覚えていました。
その違和感は 以前に勤めていた会社では感じたこの無いものでした。
私は 自身の不安定な状態を改善しようと 違和感をもたらす原因を分析することにしました。
その原因の1つは 会社の経営状況にあったのかも知れません。
転職して以来 市場のグローバル化の波の中で 会社は経営不振が続いており 巻き返しを図る経営陣は 組織の構造改革のための対策を連打し 対応を迫られる従業員は振り回されていました。
V字回復を目指す 経営陣は 各事業部に とにかく利益を出すことと 精度の高い事業計画書の提出を求めました。
そのような指示を受けて それぞれの事業部は 研究所への開発委託業務について 毎月の業務報告会の中で 進捗管理を厳しくチェックするようになりました。
研究所の組織は フラット組織体系を採っていて チームに所属する研究員は それぞれの開発プロジェクトに参画して それぞれのミッションを持ち 担当業務に従事していました。
フラット組織体系は 組織の責任者等と 開発担当者の間に仕切りを無くして風通しを良くし お互いの意志の疎通を図ることにより 開発の課題を見えやすくする効果がありました。
一方でフラット組織体系は 開発担当者の責任が明確になるので 組織の責任者等は 開発の進捗状況を厳しく追及することになりました。
研究所の所長や責任者等は 毎月定例の報告会や臨時の報告会を設定して それぞれの開発プロジェクトに業務の進捗報告を求めました。
報告会では 責任者等は 担当者の業務の進捗を 何度も確認し 開発に遅延が生じると その原因の追究と バックアップ策とスケジュールの提出を求めました。
研究所の責任者等の設定する報告会議と それとは別に事業部の責任者等の設定する会議に取られる時間や 報告書の作成に掛かる時間は 業務担当者の開発に掛ける時間を削り 更に開発を遅らせていました。
更に それぞれの報告会議の前日には 上司のチームリーダーへの事前の報告会が設定されていて その対応にも時間が取られていました。
その様な報告会の進めかたに疑問を感じた私は 報告会の前日の午前8時30分頃に チームリーダーの所へ行くと「開発業務を加速するために 事前の報告会は口頭での簡便なものに出来ませんか。」と提案しました。
するとチームリーダーは「私は 精度の高い業務計画を求めています。計画の良し悪しを判断するために報告書を提出してください。」と反論しました。
これまで 報告会の前日に チームリーダーへ報告書を提出すると その内容について事前の打ち合わせが入り 報告書の修正が求められていました。
私は「今日中に 済ませておきたい作業があって そちらを優先したいので その後の事前打ち合わせは 口頭での説明にしたいのですが。」と言いました。
するとチームリーダーは「では作業を優先しなさい。報告書の修正は 何時になってもよいから提出してください」と譲りませんでした。
おそらく 自身の感じる違和感の原因の1つは 会社の経営状況改善のために いつも仕事の進捗を追及されていることだと思えました。
また 違和感を感じる原因の1つは 会社組織の中での上下関係にあったのかも知れません。
開発業務を進める時に チームリーダーと私との間に 信頼関係を感じたことはありませんでした。
業務の進捗報告会が開かれると 私は チームリーダーとの事前打ち合わせを経て作成した報告書を元に 業務の進捗を報告しました。
会議室のレイアウトは テーブルを挟んで 奥の方に組織の責任者等が陣取り 入り口側の席に報告者等が座り 双方が対面する形になっていました。
業務報告が始まると 上司のチームリーダーは テーブルの向こう側の責任者等のサイドへ移動して 責任者等と共に 私の報告の内容を吟味し 課題を指摘しました。
彼は「スケジュール通りに開発が進まないのは何故か その理由を自問しなさい。その自問を繰り返し 繰り返し考えて 出てきた答えをスケジュールに反映させなさい。」と指示しました。
報告の後の打ち合わせでは 議論が 開発スケジュールに対する業務の遅れとその対策に集中して その場は重苦しい雰囲気になり 上下関係を険悪なものに変えていきました。
自身の感じる違和感の原因の1つは 業務報告会で 組織の責任者等に 上司も加わり 追及されることに 自分の居場所がないと感じていることだと思えました。
私は 会社の中に自分の居場所を確保するために 現状を細かく分析することにしました。
私は これまで 仕事を進める時に 何か課題があると 現状分析のために 状況を単純なモデルに置き換えて 問題点を抽出するためのモデル実験を行ってきました。
今回の件でも同様に 私は 会社の人間関係を単純化するために 人と人との繋がりを架空の糸と考え お互いのやり取りを 糸を通して送られる信号に例えて考えてみることにしました。
私は 上司と私とが糸で繋がれていて 上司は 報告会等の場で 糸を引っ張り 私を思う方向に進めようとするイメージを考えました。
私は 上司の指示に納得できずに反発して糸を引っ張っている様子を思い浮かべました。
糸を引く力の関係は 人事権や決裁権を持つ上司の方が強く 私は糸の引き合いでは勝つことができませんでした。
上司の引く力は 強力で衝撃力があり 波の様に周期的に押し寄せるので 私の受けるダメージは だんだんと大きくなっていきました。
ダメージから逃れようと この関係を断ち切るためには 自ら糸を断ち切って 会社を辞めるしかありませんでしたが 中年となり気力と体力が低下してきた私には その決断は出来ませんでした。
一方 職場には 私と同じように上下関係に不満を持つ同僚も多くいて 彼等との糸のつながりは 逆に自分を落ち着かせる効果がありました。
ある日の上司との打ち合わせで 心的にストレスを受けた私は 作業室へ戻ると そこにいた同僚達に「いやー参りました。また報告書の再提出になりました。」と言いました。
すると同僚達は「そうなんですね。」とか「またダメ出しですか。」とか「勘弁してもらいたいですね。」と口々に言いました。
私は 彼等に報告会の様子を話して 彼等の反応を受け取ると言う普通のやり取りで 少し肩の力が抜けて ほっとするような感じを受けました。
その感じは まるで 打ち合わせで 上司から受けた 不快な糸の張力の波を それとは性質の異なる 同僚達の糸の張力の波により 打ち消しあって緩和したかのように感じられました。
確かに職場の同僚達とのやり取りには ちょっとしたストレス緩和の効果があるように思えました。
そのちょっとしたストレス緩和の効果が 今後 より厳しくなる仕事環境に耐える 「強靭で柔軟な心作り」の取り組みのヒントになるだろうと思いました。
私は 上司や同僚との間の糸の張力の波の中に 自分自身を安定させる居場所を見つける方法を模索することにしました。
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