第18話 リフレッシュ / 泣き
「笑い」にリフレッシュ効果を感じ 「笑い」の機会を作ることに「強靭で柔軟な心身作り」のヒントを得た私は 「泣き」はどうだろうかと思いました。
早速 私は 過去に自分が泣いた時の記憶をたどりました。
子供の頃に 上級生にいじめられて泣いたこと 怪我をして泣いたこと 喧嘩して泣いたこと そして 映画を見て泣いたことを思い出しました。
高校3年生の卒業間近の日に 私は同じクラスの男子3人と 熊本市内の映画館へ行きました。
その日に上映されていた映画の中で 私達が選んだのはチャップリンの「街の灯」でした。
私達は これまでその映画を見たことはありませんでしたが チャップリンの名前は聞いた事があったので その映画を選びました。
この頃 4人は 希望する大学の入学試験に落ちていて 今後 仕事を探すのか 浪人するのかをぼんやりと考えていました。
先行きが決まっていない中 私達は 目標を見失ったような漠然とした不安を抱えていました。
その様な背景があってか 私達は 映画館のスクリーンに映し出された映像を見ているうちに 物語の中に引き込まれていきました。
映画の中で 仕事が無く ぼろぼろの服を着て その日暮らしをしていたチャップリンは 町の子供達にからかわれながらも元気に生きていました。
そんな彼は 町の通りで 目の見えない花売り娘と会い 彼女に恋をして 彼女の目の手術に必要な費用を稼ぐために奮闘しました。
映画のラストは チャップリンのお陰で 目が見えるようになった彼女が 彼の手を取った時に 彼が恩人だと気付いて 彼を見つめました。
チャップリンは ちょっと照れた笑顔で彼女を見ていました。
「街の灯」を見終わって映画館を出てた私達は お互いの顔を見ると 皆 必死で泣くのを堪えていたようで 目が赤く充血していました。
一人は「ラストシーンが 後1分間続いていたら 俺は泣いていた。」と言い別の一人は「俺は一人で見に来ていたら 間違いなく泣いていた。」と言いました。
自分もそうでしたが 彼等の発言の背景には 子供の頃に 大人から「男は やたらと人前で泣くものじゃない。見苦しいだろう。」と言われていたことがあったようでした。
大人の発言は 子供心に影響を与えるものらしく 無意識に 心の縛りとなっていたようでした。
就職して3年目の頃に 私は 東京都大田区にある会社に勤めていました。
ある日の午後3時の休憩室で 同じ職場の先輩は私に「南極物語はいいよ。一度見に行ったらいいよ。あれは泣けるよ。」と言いました。
その週の金曜日に 仕事が終わると 私は 駐輪場に停めていたバイクに乗り 会社を出ました。
普段は 会社を出ると 多摩川沿いの道路を 北へ進み 会社の独身寮へ向かっていましたが この日は 多摩川を渡り川崎駅近くの映画館へ向かいました。
私は 勤め先の塗料メーカーで 技術職として働き 幾つかの建材メーカーを相手に 自社製品の塗料の開発や折衝を行っていました。
この頃 私は ある建材メーカーから 現在納入しているトンネル内装用化粧板に塗装される耐熱塗料の改善依頼を受けていました。
トンネル内装用化粧版は トンネル内で車のヘッドライトの光が反射しないように艶消しの塗装が求められていました。
彼等は 地下街外壁用の化粧版を新商品として発売予定で それには高級感を与えるための艶ありの塗装が必要なので 現行の艶消し塗料を艶あり塗料に改良するようにと依頼しました。
元々 設計思想に艶消しの機能を盛り込んで開発された塗料を 艶ありの仕様に改良することは そう簡単に解決できるものではありませんでした。
塗料の改善検討は なかなかうまく行かず 建材メーカーを訪れる度に 重ねて改善依頼を受けるので 私は そのことがいつも気になっていて 少なからずストレスを抱えていました。
その様な背景があってか この日に映画館へ向かいながら 私は これから見る映画が 気分転換になればいいなと思いました。
午後8時に始まった「南極物語」の観客席に 人はまばらでした。
映画が始まると スクリーンには 南極観測基地の様子が映し出され 天候の急変を受けて 隊員達が あわてて基地を撤収する様子と 活動を共にする犬達が ロープに繋がれたまま 置き去りにされる様子が映し出されました。
スクリーンから感じる緊迫感と共に 私は映画の中に 引き込まれていきました。
映画のラストシーンは 南極に置き去りにされ 生き延びた2頭の犬が それらを探してやって来た南極隊員等に気付いて 駆け寄ってくる場面でした。
犬達が隊員に気付いて 駆け寄る様子を見た私は 思わず涙がでてきました。
映画が終わり観客が席を立って退室していく中 私は 椅子にかけたまま静かに泣き続けました。
暗い映画館の中で 周りを気にすることなく 涙が落ちるのに任せていた私は 映画に感動したせいか 頭がぼんやりしているのを覚えました。
暫くぼんやりして 何か頭の中に霧が掛かった状態が続いた後に 今度は その霧が晴れて 頭がスッキリと澄んで 肩の力が抜けて軽くなったような感触を受けました。
私は 「街の灯」を見て泣きそうになったり 「南極物語」を見て泣いたりした事を思い出し それらの事例を基にして それぞれの状況を分析してみました。
「街の灯」を見た時に 私達は泣きそうなくらいに感動していましたが その感動を泣いて表現することを必死で避けていました。
その様な意識の背景には 子供の頃に大人達から「男は 人前で泣くもんじゃない。」と言われた戒めが聞いていたのかも知れません。
その様子は 自分の意識というものは自分の心身とは別物であって 自分の意識が 自分の心身の感情を抑え込んでいるかのようでした。
私は 折角の泣ける機会に 心身の感情を押さえ込んで 泣かないようにする事は 不自然なことで 自分自身に良くない事の様に思いました。
一方「南極物語」を見た時は 私は 大人の戒めを気にせず 感動して泣いていました。
周りをはばかることなく泣けたのは 映画を一人で見に行ったことや 観客が少なかったことや 暗い館内にいたことがその理由にあったのかも知れません。
この時の私の意識は 泣くという心身の感情を押さえ込むことなく 自由に涙を流させていました。
この時に 私は 自身の意識が自身の心身と同調していて 感動を泣いて表現するプロセスを進めて その結果 頭がスッキリしたり肩が軽くなったりしたのだろうと思いました。
その様なプロセスで放出される涙の成分には 多くの無機物や有機物が含まれていて その中には 副腎皮質ホルモンの一種でストレス成分といわれるコルチゾールが含まれているようです。
そのため 涙を流すことは 体内に溜め込んでいる ストレスの原因物質を除くことに繋がるようです。
それらの映画を見た時の 自身の状況の変化を分析した私は 映画を見て泣くことは 自分自身をリフレッシュさせる効果があるのだろうと思いました。
そこで 私は リフレッシュ効果のある映画を多く収録することにしました。
私はTV映画の番組をチェックして 良さそうなものをDVDレコーダーに録画しました。
休日になると 自宅の部屋に閉じこもり 録画していた映画を見ました。
しかし 映画というものは 人それぞれの好みがあり 知人から「この映画はいいよ。」と勧められたものでも 今ひとつ 泣けないことが多くありました。
また 一度感動を覚えた映画でも 二度目に見ると 話の展開が分かっているので 期待するほどの感動は得られず 逆に 話の設定や登場人物のリアクションに不自然さを感じて 自分の気持ちが引いてしまったり 興ざめしてしまいました。
それでも 映画を見続けていたある日 画面に出てきたお年よりの男性が「年を取ると涙もろくなってね。」と言うのを聞きました。
その言葉を聞いた私は 人は年を取ると 自身の意識が感情を押さえ込んでいる力が弱まって 開放された感情が涙を流させるのだろうと思いました。
そう思うと 私は 自分の意識の制御能力を低下させることが出来れば 簡単に泣くことができるのだろうと考えました。
私は 休日の午後になると 自宅の部屋に閉じ篭もり 酒を飲んで TV映画を見ることにしました。
ほろ酔い加減になると 私の意識はすこしぼんやりとして 素面の時には気になっていた映画の中の些細な違和感には拘らなくなりました。
一方 映画の中の感動を呼ぶ場面では 私の心身は 感情を露に表現しました。
果たして 酒を飲みながら感動する映画を見ることは「強靭で柔軟な心身作り」に効果があるのか 私は これを継続して その様子を日記に記録することにしました。
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