第12話 トレーニング / 前向きな生き方
「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みを始めて5年が経った頃に 私は その取り組みに対する自分の思いと 自分の心身の姿勢に違いがあると感じていました。
私は これまで スポーツジムに通い ウエイト トレーニングに取り組み スタジオ プログラムを受け プールで泳ぎ その他に独自のトレーニングを行ってきました。
いろいろなトレーニングは 私の心身に それぞれに特有の改善効果がある一方で 足りない部分があったり 逆にダメージを与えるものでした。
一度 足腰にダメージを受けると それを回復するために トレーニングを中断することになりました。
トレーニングの中断期間が 1ヶ月間にもなると 地道に積み上げてきた足腰の強靭さと柔軟性は あっという間に 振り出しの状態に戻りました。
自分の思い通りにならない足腰の状態の変化は「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みに 高いハードルを感じさせ また入院時の理学療法師の「動かさないと 動けなくなってしまう!」と言った言葉を思い出させました。
何故 「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みが結果に繋がらないのか 状況を分析してみました。
分析の結果 私の心身は 自分の意識の支配下にあるものでは無いとの結論に至りました。
それは まるで勤め先の会社の様に 社長の方針に従って自ら働く者は殆どいない状況でした。
私の体を構成する臓器、骨、筋肉、神経、血管、リンパ管等は それぞれに仕事を担っていますが それらの活動は リーダーの「強靭で柔軟な心身作り」を目指すと言う意思とは関係なく行われているようでした。
彼等は 自分たちを取り巻く環境に応じて それなりに働いていますが それは マニュアルに沿った動きのようで 決して仕事に対して積極的な意志を持って行われてはいませんでした。
もし 彼等が 外的な要因でダメージを受けた時には それなりに回復しようとしますが あるところで手を抜いてしまうようで 完全に元に戻ろうとするモチベーションはないようでした。
逆に 彼等の活動には 隙があれば 力を抜いて楽に生きようとする傾向が見られました。
例えば 交通事故で腰にダメージを受けた時は 腰周りの骨や筋肉や神経達は 当初は 何とか回復しようとする意思は感じられましたが それは リーダーの意思からは 程遠いものでした。
リーダーの観察では どうも 彼等は 結託して ストライキに入ろうとする気配が見られました。
リーダーが「よしトレーニングだ! みんな仕事をしよう!」と言って体を動かそうとすると 腰周りの筋肉に張り巡らされた神経は 過敏に反応して「いててて!」と痛み信号を送りました。
信号を受けた脳は「まだ無理か。 ちょっと止めときますか。」と言って 仕事を中断させる指令を発しました。
中断指令を受けた筋肉や骨は「もう一休みしますか。」と言って仕事を休んでしまいました。
彼等が談合し 前向きな仕事をしないでいると お互いに癒着してしまい 楽に生きようとしました。
彼等の態度は それぞれの本来持つ機能を低下させてしまい 将来 思うように仕事ができなくなってしまうと危惧されました。
そのような談合の構造と癒着のメカニズムは 以前に理学療法士が言った「動かさないと 動けなくなってしまう!」を具体的に説明したものと思いました。
私は 現状分析の結果を基に 自身の将来の様子を予測しました。
先々 リタイヤした時に 時間も出来て これまで行きたかったところへ出かけようとしたら 足腰が思うように動かなくなって 自分の足が自分を引っ張る様子が想像されました。
それは 自分自身から三行半を突きつけられるようなものでした。
将来の想像は 私に この談合体質に切り込み 彼等の本来持つ機能を回復するための取り組みが必要だと考えさせました。
そんな時 会社では 組織の構造改革のための新たな方針が発表されました。
半年程前に 会社は 赤字経営を脱却するために 最も手っ取り早い人件費の削減に舵を切っていて 組合員へ早期退職者募集を行い 管理職への半強制的な退職指示を行っていました。
会社は 大幅な人件費の削減を断行しましたが 同時に 腕の良い技術者達の多くが 会社を離れてたことにより 事業部の技術力が低下してしまい 競争力の無い状態になっていました。
会社は 低迷する事業部を活性化し新規事業を取り込むために 更なる会社組織の構造改革の方針を打ち出しました。
「あくなき破壊と創造」と「組織の末端までのダイレクト コミュニケーション」をスローガンに 社内の全ての事業部にメスを入れ 儲からない事業や やる気の見られない組織の改革が断行されました。
会社の責任者等は それぞれの事業部の事業計画や運営状況を吟味し 組織の隅々まで管理体制を厳しくチェックして 無駄な部分を切り捨てていきました。
会社の「あくなき破壊と創造!」 「ダイレクト コミュニケーション」のスローガンの下に組織の隅々までチェックする姿勢は 私の「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みに 強く影響を及ぼしました。
私は これまで 主に足腰の強化を中心に 色々なトレーニングにチャレンジしていましたが 体のどこかの部位に集中したトレーニングを行うと その他の体の部位のメンテナンスがおろそかになり それらは 談合と癒着の温床となっていました。
その結果 私の取り組みは まるで もぐらたたきの様に 一進一退を繰り返していました。
私は 現状を打開しようと思い 会社の構造改革の取り組みを参考にして 体の隅々までチェックするための 独自のトレーニングメニューを考えることにしました。
「あくなき破壊と創造」を参考に 1週間のスケジュールの中に ウエイトトレーニングとエアロビクスと格闘技系エクササイズとヨーガのレッスンを盛り込み 実行することにしました。
それぞれのエクササイズは 体の異なる部分を異なるモードで動かし 動かした部分の筋繊維は一時的に破壊されても その後 修復され強化されるので 全身のトレーニングを実践することができると思われました。
「組織の末端までのダイレクト コミュニケーション」を参考に 毎日 朝食前に 体のそれぞれの部位を意識しながら動かしコミュニケーションをとることにしました。
朝起きると 私は 居間に出て まず深呼吸を10回行い 首を前後左右に動かし 肩を回し 肘を回し 手首を回し 指先を曲げ伸ばしすると ぶら下がり健康機に ゆっくりとぶら下がりました。
ぶら下がりながら私は 指先と肘と肩と背骨と腰周り、膝、足先の伸びを意識しながら それぞれの部位に「お目覚めですか。今日の調子はどうですか。」と話しかけました。
彼等は「リーダー。ぼちぼちです。」「相変わらずで。」「どうですかね。」と言った感触を伝えてきました。
次に スクワットとホーススタンスと左右のランジとプリエと四股を30秒間ずつ行いながら 足腰周りの動きを確認しました。
その後 深く呼吸をしながら ヨーガの「太陽礼拝」の動きにある 前屈と下向きの犬のポーズと板のポーズと上向きの犬のポーズを3回繰り返し 体の隅々の動きに意識を向けました。
私は 全身を動かしながら 体のそれぞれの部位に「今日の調子はどうだい?」と問いかけました。
すると右足の膝が「リーダー。いやあ 雨のせいか 古傷が痛んでいますが やる時は やりますよ。」と答えました。
それを聞いた私は「そうですか。でも無理はしないでください。」と声をかけました。
「トップが代わると会社は変わる」とか「意識するだけでやせられる」というのは本当らしく 「あくなき破壊と創造」 と「ダイレクトコミュニケーション」 とを取り入れた私の取り組みは功を奏していきました。
一連の取り組みを始めて3年後に 私は 自身の体に変化が起きているのに気付きました。
ある日の夜 スポーツジムで格闘技系エクササイズを受けた私は 体が疲れにくくなっているのに気付き 何か変わったと感じた私は ストレッチエリアへ行くと いつもの様に体を伸ばし始めました。
ストレッチマットに足を伸ばして座り 息を大きく吸って 大きく吐きながら 前屈をした時に いつもより アキレス腱からふくらはぎの間や 膝の裏や ももの裏や 腰周りや 背中や 肩周り が伸びていくのを感じました。
ゆっくりと前屈していくと 体のそれぞれの部位の筋繊維が 方向を揃える様に伸びて行き 筋繊維にまとわりついている血管や神経繊維も それに引きずられるように伸びていき それと供に 汗がにじみ出ていくのが分りました。
次に両足を左右に開いた開脚をやると 広げた足の角度が160度くらいで 内ももに張りを感じましたが 大きく息を吐きながら伸ばしていくと 内股の足付け根付近と 膝の内側の硬い部分が僅かに動くのが感じられました。
一連の取り組みを始めて5年後に 私の体は とても柔らかくなっていました。
ある日の夜 スポーツジムでエアロビクスを受けた川緑は その後 ストレッチエリアへ行き いつもの様に体を伸ばし始めました。
ストレッチマットの上で前屈をすると 腹と胸と額はそれぞれ足の上にぴったりとつけるまで伸ばすことが出来るようになりました。
前後の開脚は180度に開き 開いた足の脛に額をつけることが出来るようになり、左右の開脚は180度に開き 開いた足の脛に後頭部をつけることが出来るようになりました。
私のストレッチを見ていたスポーツジムの会員さん達は「何者ですか。」、「どうやったら そうなるんですか。」と言いました。
別の年配の男性の会員さんは「若いというのは いいですね。」と言いました。
私は 彼の言葉にはっとして いずれは自分も彼の様に年をとってしまい 強靭性と柔軟性を無くしてしまうのだろうと思いました。
体の全ての部位は それぞれを構成する細胞の生まれ変わりによって維持されていて 細胞の生まれ変わりの回数には 限りがあると聞いた事がありました。
体の細胞の生まれ変わりは 年とともに 細胞を劣化したものに変えていくので 若いときのような張りがあり 強靭で柔軟なものから 変わってしまうのだろうと思えました。
私は 「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みが 前向きな生き方だと考えて 実行してきましたが それは 老化とともに その目標が遠ざかっていくのだと感じました。
いや もう既に 自身の強靭さと柔軟性は 失われ始めているかもしれないと思いました。
私は 自分の将来の様子を想像しました。
それは 年を取ってしまい 体が思うように動かなくなり 気力も体力も低下してしまった様子でした。
私は「強靭で柔軟な心身作り」の取り組みが出来なくなっていて トレーニング日記には メニューの項目だけが書き込まれていて 実施記録は空白のままでした。
私は とても心細くて 寂しい思いをしていました。
現実に戻った私は その時が近いと感じる日が来たら「強靭で柔軟な心身作り」 の取り組みは 意味の無いものになるだろうと思えました。
そして その時は 遅かれ早かれ やってくるのは間違いのないことでした。
そう思うと 私は ひどく暗い気分になりました。
その時に「いや まてよ 彼等は 年を取っても とても元気で 前向きに死んでいったはずだ。」と思わせる記憶が脳裏に蘇りました。
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