第6話


 この家の部屋のドアは厚い。電子制御が入ってるからだろうが、ノックしても聞こえないくらい厚い。熱サーチか赤外線かは分からないが『同じ部屋には入れない』設定にされてしまえば対面はもとより会話もほぼ不可能。

「失礼だわ。ワタシがアナタに喰いつくと思ってるのかしら、あのコ」

 もっとも、知恵と根性があれば別だ。雑貨屋から配達させた紙コップの底に繋いだソーイングセットの木綿糸がリビングのドアに挟んであるのを見て素で感心した。ポット入りの出汁を具が入った椀に注ぎながら、片手で紙コップを耳に当て雛女の声を聞く。海老と青菜と冬瓜の具は一度煮込まれ火が通っていて、熱い出汁に浸って青柚子の吸い口が香りたつ。紙コップをテーブルに置いて椀に口をつける。瀬戸内育ちの俺の好みからは鰹の味が強すぎるが、まあそれは仕方がない。暖かな澄し汁がじんわり胃の腑に染みた。

「ちょっとねぇ、聞いてる?」

「聞いてるが今からメシを喰う。応答はしばらくできない」

 食事室に置かれた海苔巻きと吸い物を前に箸を持って簡単に手を合わせる。いただきますの仕草はなんとなくの習慣。ポットの取っ手に糸を引っ掛けてピンと張って、紙コップから聞こえてくる声を適当に聞き流す。東京のグルメ情報とやらにまったく関心のない俺でさえ知っている有名店の海苔巻きは関西圏でいうところの太巻きで、甘めの卵焼きを中心にエビや椎茸やきゅうりや煮アナゴが巻かれている。

 ここが東京だということを忘れてうっかり注文したが、干瓢かんぴょうだけの細巻きが届かなくてよかった。

「逃がしてくれるって、いつなの?」

 状況しだいだ。

「この家、窓、ひとつも開かないの?ベランダも出られないの?」

 そうだと思うが家主が帰ってから確認しろ。

「キッチンの使い方わかんない。お湯も沸かせないわ、教えて」

 俺もわからない。

「あたしが使っていいベッドってどれ?」

 さあ。とりあえず昨夜、俺が寝てたリビングのソファベッド使ってろ。そこはカメラから死角になってる。

「リビングの写真、時々、ヘンなのに切り替わるんだけど」

 ……ああ。

 ランダムに表示される電子化された写真は時々、死んだ男が秘蔵していた筈の

セミヌードが表示される。誰のかって言うともちろん俺のだが。

「いまさら騒ぐほどじゃないだろ」

 巻き寿司と吸い物を食べ終わって片付けながら、紙コップ掴んで返事をする。

 実家には舶来の写真機があった。祖父の形見だが俺は興味がなく、よく遊びに来ていた幼馴染が使い方や現像の方法を爺やに習って時々使っていた。あの頃、写真館も大きな町に一つ二つあるだけで、秘密の写真は自分で現像する必要があった。

 事後を撮影された記憶はあるし、アイツが持っていたモノが子孫に伝わったのは不思議でもなんでもない。リビングの片隅によく寝転んでいた俺も当然見ているが、局部は毛布に隠れてる上に単なる寝姿も多い。

「天使みたいでキモチワルイのよ」

 雛女の言葉に笑ってしまう。一番若い写真は十四か十五。それから二十歳を超えてしばらくの期間分、かなりの枚数がある。殆ど寝てるか寝たふりをしてるかで、最近、同棲相手に撮られた動画に比べればママゴトみないなもの。

「コンビニ行きたい。お金と服、貸して。どうやって外に出るの?」

「出られない」

 簡潔に答える。贅沢でも広くてもここは檻だ。俺は身柄を拘束されてる。部屋と玄関とエレベータの三重ロックで外出はできない。それでも確かに、独房じみた『本部』の留置室よりだいぶマシではある。

「……退屈で死んじゃうわ」

「リビングのモニターは言えばテレビになる。ちょっとウロウロするから、バスルームに五分入ってろ」

「えー、いやー。話し相手してよー」

「いい子にしてないと零一にとりなしてやらないぞ」

「零にぃが、なに。……どうかしたの?」

 どうもこうもない。

 こっちに出てきてる。けっこう近くに居る。『本部』の位置は俺の首のタグで魅鬼たちに知られた。さらにこのマンションの場所も、酒瓶の底に仕込まれたGPS発信機でバレただろう。なんでこう機密保持が粗雑ザルなのか、そんな立場じゃないが昔なじみを含む幹部を説教してやりたいほどだ。

「なに、それ。どういうこと?アナタ追いかけて?」

 まぁ、たぶん。

 アイツがわがわざ、神奈川じゃなく東京に来る動機は他にない。

「うそ……。アタシ殺される……。あの若い子も……」

 それはもう済んだらしい。

「え?」

 魅鬼の対策『本部』は焼き討ちを七度されたそうだ。ドローンなんてたるい手段じゃない、無風なら時速80キロを超える農業用の大型ラジコンヘリに火炎瓶だのガソリンだのを提げて。うち二度は建物に結構な被害があった。現実的な被害以上に、消防に出動されて内部に踏み込まれでもしたら洒落にならない。

 威嚇もしくは脅迫に屈した形で『本部』は魅鬼の疑い濃厚と目をつけてた繁華街の大物と接触。間接的に零一に俺の生存を知らせた。数度の交渉の結果は現状維持の不可侵協定。期限は俺が『本部』の代理人として魅鬼の『仮代表』に再交渉をするまで。

「なに、それ。……なんで、いつも、アナタ、ばっかり……」

 雛女の声が震えだす。

「ゴイケンをお伺いされるの?どうして、いつも……」

 それは、まぁ。

 色々と特別、規格外だからだ。

 『契約』していたヤツ以外にも、雛女を含めて魅鬼たちとは長い付き合いになった。『本部』はそもそも俺が創始者だ。双方の殲滅が現実的でない以上、対策というか共存というか、双方が許容できる被害範囲のすりあわせをさせるのには最適。ある意味でコウモリ的、双方にとって裏切り者だったことを含んで。

「いっつも、ずるい……ッ」

「逃げ出せたとしても勝手に出歩くな。ここは見張られてる」

 だろう、という予測ではなく断言する。

「落ち着いたら零一に取り成してやるから、それまで篭もってろ」

 返事はなかった。かまわずに食事室に寄ってビールを取り出して、飲みながら部屋に戻ってまた眠った。




「……、のよ……」

 にぎやかな女の声で目が覚める。

「アタシの服と下着はごみ袋にぐちゃぐちゃに詰め込んだくせに、なにこの扱いの違い。ハラタツ……」

 衝立の向こう側、クローゼットにハンガーが掛けられる気配。

「大きな声を出すな」

 帰宅したらしい若い家主が低い声で叱っている。

「いいじゃない。そろそろ起きて夕ご飯たべなきゃ。ねぇ、穴子のちらし寿司とママカリあるわよ。おきてー」

「おいっ」

 手を出しそうな様子に起き上がれば、外はもう夜。寝すぎたせいか少し頭が痛い。恐る恐る、という様子で衝立の向こうから気配が近づいてくる。

「う、るさくしてごめん。まだ寝たいなら、でてく」

「いや……。起きる」

 結局は一日を寝て過ごした。眠いというよりもだるい。癒すには睡眠よりも栄養が必要なことは分かっている。

「おかえり」

 寝台の横で立ち尽くす若造ガキにそう声を掛ける。両手に衣類のかかったハンガーと紙袋を持ったままの。

「あ、うん。ええと……、タダイマ」

 とってつけたよう返事を聞く目の前に冷えたペットボトルが差し出されて。

「はい、お茶。ビールの方がいい?」

 小首を傾げて尋ねる雛女を俺はまじまじと眺めた。

 髪の色が黒い。そうして短い。美容師に出張カットしてもらったらしい額と耳の出たベリーショート。顔の小ささと頭の形のよさがよく分かる髪形のせいで切れ長の目がさらに目立って、えらく若返ってる。下手したら十代だ。

「褒めなくていいわ。アナタに似せてもらったの」

 俺の驚いた様子に満足したらしい雛女はフン、という風に鼻先で笑った。生意気でも笑顔には違いなくて可愛くないことはない。

 今の俺とは正直、それほど似ていない。女の子だから当然。ただしむかしの、少年時代の、もう忘れかけてた、でもさいきん写真をよく眺めていたせいで思い出すことが多い、高台の洋館に住んでた頃の顔とよく似ていた。いっそ残酷なくらい。

「早く起きてよ。おなかすいたわ」

「……おぅ」

 起き上がる。部屋着のままだったから着替える必要はないが、シャツの裾を整えて髪を手指で撫で付けた。急かされながらクローゼットの奥にある洗面所で顔と手を洗う。鏡ごしに雛女に眺められながら。

「おまえ、どうして魅鬼になった」

 鏡の中の雛女は妓楼に居た頃の『牡丹』を思い出させた。思いがけない問いが口からこぼれる。

「さあどうしてかしら」

「いいことなんか、あんまりないだろう」

「なろうと思ってなったんじゃないわ。気がついたらこうだったの。居なくなった零にぃを恨んだせいかもしれないし、身請け金だけ勝手に払って連絡先も教えてくれなかった薄情な『旦那パパ』を憎んだせいかもしれない」

 雛女は他人事のように答える。

「可哀想にって思ってるなら余計なお世話よ。そっちだって、たいがい哀れよ」

「そうだな」

「そうよ。ねぇでも、ひとつ教えて。……あんな顔だった?」

 鏡の中の雛女が、まだクローゼットで俺の衣服を整理してる若いのを視線で指す。

「……見れば分かるだろう」

 生き写しだ。顔だけじゃなく背格好も似てる。声は違うから喋れば別人だし、抱きしめられれば職業軍人じゃないのは胸板の感触で瞭然だが。

「それが分からないから聞いてるの。あたし、顔、よく覚えてないみたい」

「オマエは付き合い、長くなかったからな」

「幼馴染だったアナタとは違うけど、でも、そういう問題かしら。そんなので顔を忘れたりするの?」

「俺にきくな」

「あたしホントは愛してなかったかもしれない。ただ助けて欲しかっただけで、相手は別に、誰でも良かったのかも」

 まぁ、ほんの小娘だった『牡丹』には過酷な時代と状況で、そういうことも、当然あるだろう。

「だれも助けてくれなかったけど。……違うわね。だれも、助けてくれなかった」

「……」

「あたしホントは、どうしたかったのかしら。わかる?」

 わからない。




 







 






 

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