第7話
水商売は衣装が命。古今東西、男女を問わず。
「勝手に部屋に入ってすみません。先日、彼の身の回りの品物をとりに以前のお住まいにお邪魔したんですが、部屋を間違えてしまいました」
見た目の格好良さに拘るのは水商売だけでなく軍人も同様。『彼』と男は同じ店でシャツも上着もスラックスも、採寸して仮縫いして専用の型紙を作ってもらっていた。
「あなたの分はあなたに持っていけって彼に言われて、ついでに聞きたいこともあるんですが、ご機嫌が悪いならこれだけ置いて出直します」
若い客が両手に提げてきた荷物は大きな紙袋が五つ。不繊布のハンガーカバーごと丁寧に畳まれたスーツが主な中身だが、底に時計やベルトが入っているらしい固そうな膨らみがある。
「……ナニ聞きたいンだ?」
出直されても自分の機嫌が直ることはないと男は分かっていた。
一緒に暮らしていた部屋に入られたこと、それが家主の承認の上らしいこと、遠距離を移動して自分で服をとってきてやろうという親切心、おつかいを言いつけられて素直に従っているところ。何もかもが気に入らないが、若い客の頬が艶々しているのが一番おもしろくない。
「立ち話では、ちょっと」
俯いて照れたような表情を浮かべるのが益々気に喰わない。けれど確かに店の入り口でする話ではなさそうで、殆ど立ちふさがっていた男は半身をずらして若い客を店内に招きいれた。開店したばかりの平日、テーブルは殆ど空いて、
「この前の子、いませんね」
「女の子の前でできる話じゃないんだろ」
「お察しいただけて助かります」
以前に数度、やってきた時とは様子が明らかに違う。困りごとがあるにしろ、追い詰められた焦りも焦燥もない。態度や振る舞いに余裕があるように見える。そのことが男には気に入らない。チリチリ、松明を突きつけられて睫毛を焦がされるような感触。
「
「はい。よく分からないのでお任せします」
人目につかないテーブルについて、要求に素直に従われるのも実に気に入らない。
「お伺いしたいのは、その……。彼の、カラダについて」
そんなことだろうとは思った。
「あの、えぇと、あ……、の……、ですね」
若い客はさすがに言葉をさがす。が、尋ねようという意思は小揺るぎもしない。
「あれは、その、手術しているん、ですか?……、くぼみは」
「……」
黒服のボーイがテーブルに水割りのセットと派手なボトルを置いていく。
「真面目な質問です」
「……」
「形成手術で、らくになるのかな、って」
「……」
「本は何冊が読みましたが性転換とかではなくて。切開とかでラクに出来るようになるならと、思いました」
「……手術は痛いだろ」
体ごと表情まで凍りついていた男がようやく声を出す。
「そう、ですね」
「痛めつけて楽に抱こうっていう発想がおかしい」
「僕がじゃなくて、手術は痛いでしょうけど一時的な処置で後々たすかるならそっちがいいかもと」
「体にメス入れンのを軽く言うな。他人のカラダだぞ」
「まぁ、そうなん、ですが」
顔色が変わっている男に、自分のものだと主張するほどには、若い客も愚かではなかった。
「お怒りは分かりました。別の方法も考えてみます」
「具合が気に入らないのか?」
「いいえ。そういうのではなくて。ただもっと、ラ、じゃない、その……、
「
馬鹿にしたような口調に少し、若い男はムッとした。
「根本的な解決方法過ぎますね」
「男と女だってセックスはロマンチックじゃないぜ」
「存じ上げてます」
「鬼化の勢いで合意もナシにヤっといてなにがロマンチックだ。厚かましいのもたいがいにしとけ。餌に気に入られる必要はあるが愛される権利はない」
男の言葉には非難だけではない苦さがあった。
「……俺たちには、ですか?」
叱責されているはずが苦しみに共感を覚えてしまった若い客が、ひどく鋭いことを言う。
「くぼみは手術じゃない。自然になった」
根負けしたように男が客の質問に答えた。
「カラダってのはけっこう変形する」
楽器や武器を扱う人間の手指が、それに合わせた形になっていくように。
「可愛がって馴染めば自然に添ってくる。精進しろ。ラクしようと手ェ抜いて痛めつけたら吊るすぞ」
「傷めたくなくて考えたことですけど、お言葉おぼえておきます。もうひとつ教えてください。本番ってどれくらいの頻度でしたか?」
「……」
さすがに男は即答しない。
「最近ずっと、そういう本ばかり読んでます。講義中に教科書に重ねて。もっとも
「……あけすけなフリして歪んでンなぁとは、俺もたまに思う」
情報は氾濫しているのに肝心な部分には
「江戸時代の浮世草紙とか艶本とかばっかり読んでます。閨中紀聞枕文庫、ためになりました。男同士で本番はしんどいからあんまりしない、それは分かるんですが、じゃあいつするのかな、って」
教えてくださいという若い客の頬は本当に色艶がいい。若さだけではないきめ細かさが殴りたいほどだ。
「それをこっちが決めようってのは越権だな」
最後は殆ど毎晩イタしていた。別離が近いと分かっていたから『彼』も苦情を言わなかった。愛し合っている相手との
「欲しがられたら、でいいんじゃねぇか」
「千年たっても無理な気がします」
客は長居をしなかった。会話が途切れたところで会釈して席を立つ。ボトルは封も切られないままだった。そちらはキープで、同じ瓶をもう一つ、持ち帰りで注文しロゴ入りの紙袋を提げて帰るのを、男は見送らなかった。
「わっ、ルイ13世じゃない。誰が頼んだのそんな高いお酒」
バカラ製の特徴的なボトルはひょいと覗き込んだ
「すごーい、あたしまだそれ飲んだことないよ。もしかして『百年の孤独」のお客さん?いいなぁ、もっと早く出勤すればよかった」
悔やむ女の子に、男は視線を流して。
「まだその辺に居る。追いかけて、抱きついて来い」
珍しく営業の指図めいたことを言う。
「力いっぱい締め上げて戻って来い」
女の子は反問も口答えもしなかった。黙ったまま、こくりと頷いてドアから階段を駆け上っていく。黒服のボーイが後を追って、追いついた時には、店から少し離れた路地で迎えの車に乗り込もうとする若い客の胴に腕を、ぎゅっと廻していた。
なにを話しているかは聞こえない。抱きつかれた客は当惑しながら、でも穏やかに宥めようとしている。女の子は首を横に振ってぎゅうぎゅうと腕に力を込める。抱きつくというよりタックルだなと、眺めている黒服は少し笑った。
客が手にしていた紙袋を女の子に渡す。女の子がようやく腕をとく。走り去る車を手を振って見送って、くるり、向き直った
「ありがとう」
奔放な態度で遠慮のない口を利くが、妙な行儀の良さがあって、実はイイトコの子なんじゃないかと黒服は思っている。
奥まった席に座ったままの男が傍らに置かれた大量の紙袋の中身を検分していたところへ。
「お待たせ。力いっぱい締め上げてきたわ」
ルイ13世のボトルが入った紙袋を戦利品にして女の子が帰ってくる。
「見た目ほど細くなかったけど、ナンか、どうか……」
したの、とは、続けられなかった。
男の隣に腰を下ろすなり抱きしめられて息を呑む。
「え……、ちょ、え……っ」
驚きすぎて減らず口どころかジタバタと暴れることさえ出来ない。腕に力は殆ど入っておらず、苦しいほどの拘束ではなかったが、ふだん見上げる位置にある男の頭が肩口に押し当てられて、薄いサテン生地のドレスごし背中に触れられる指先がひどく熱い。
「あ……、の……」
その、熱を。
向けられているのが自分だと思うほど愚かではなかった。
もちろん自分が抱きついてきた若い客でもない。その向こう側に別の人間がいることを、前回の接客で察している。
ふだん飄々としている男の、知らない誰かの気配を慕っている切ない様子に女の子は同情した。意外と一途なんだという感心もあった。二人とおして匂いするのかなぁという素朴な疑問も胸にわいたが、よすがを探している男に残酷なことは言わないでおいた。
やがて腕が解かれるのを、待ってから。
「あのね、この間、マサクンと話してるの、聞こえちゃったんだけど」
マサ、というのは黒服のボーイの名前。
「その、ヒトのこと、許して上げられるなら一回あって、みたら……?アタシならゼッタイ、レイちゃんの方がイイよ」
抱きしめられただけ。キスもされていない。なのに、ふにゃんとカラダから力が抜けて腰が抜けて、立てない。
「アタシほんとにバージンだから、ナンにも分からないんだけど、ねぇ。あの彼もハンサムじゃないことはないし、お金持ちだし、優しいところもあるんだろうけど、圧倒的だよ、レイちゃんのほうが」
二人に触ったばかりの女の子に断言されて、男がようやく気配を緩めた。苦笑いして、コツンと額を軽く手の甲でつつく。褒めてくれてありがとうよ、というくらいのしぐさ。
「きっと、レイちゃんがスキなヒトもいまごろ、レイちゃんのこと恋しがってるよ」
男は返事をしなかった。出来なかった、という方が正しい。胸の中に湧き上がる感情を持て余して、口を開けば溢れそうだった。黙ったままで店の事務所へ。発注や売り上げ報告、シフト作成に使うパソコンの置かれた机の上、固定電話の受話器を持ち上げて短縮ボタンを押す。本部への直通番号。
「零一だ。オーナーを頼む」
事務員と秘書の取次ぎを介して回線が繋がった相手は、男が口を開く前に用件を察した。
『隷属が成立しましたカ』
「たぶん」
それは待っていたこと。延命を確実にするためには絶対に必要な条件。
『では、詳しい打ち合わせワ、あした』
「ああ」
男の精神状態を察したオーナーは早々と電話を切る。ツーツーという音を暫く聞いてから、男は受話器を電話機に戻す。
成立を待っていた。でもそれは自分が見限られたことを意味する。恋しがられていたとしたら今まで。いまはもう、たぶん、違う。
くるしい。
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