第4話
切迫している雰囲気に目を覚ます。少し離れた床の上でもめ事が発生していた。
床に転がった女の子と、その上に跨っている男。
「なにしてる……?」
女の子はガタガタ震えて男の手には大きな鋏。剣呑な様子に、なるべく静かに声をかける。
「髪、切ろうとおもって」
返事は意外と素直な声。悪戯を見つかったというより思いつきを褒めて欲しい子供みたいな。それにしても手元の大きな鋏は剣呑で、刺激しないようそっと上体を起こした。
「切ってどうする?」
意識して柔らかな声で尋ねる。
「勘違いできるかもしれない」
「ん?」
「似てるって思い込めるかも」
薄暗さに目が慣れて、ガチガチの拘束服を着せられた女の子が雛女だと気がつく。ああ、と、やっと事態を理解した。寝ているうちに雛女が運び込まれて、拘束されたまま髪を切ろうとされているらしい。
「たすけ、てッ」
オレの声に気がついた雛女が叫ぶ。
「騒ぐなって言っただろ」
若い男が低い声で恫喝するのと。
「女の子に凄むな」
俺が若いのをたしなめるのは、ほぼ同時。
「……この子のこと、スキ?」
あ。
ヤバイ。
「あなた裏切られて情報を流されてたんだよ。なのにどうしてこんなの庇うの。スキだから?」
「そいつが流した
激昂しそうな相手に反問する。頭がいい人間は考えさせることで意識を方向転換させることが出来る。そういう
「……ないけど」
「知られて困るようなことは最初から教えてない。裏切ったとか裏切られたとかいう仲じゃない」
もちろん好きとか愛してるとかでもない。ただ、そう。
「特別な感情があるとすれば、おんなじ相手に裏切られた仲だ。その相手が自分の初体験だったっていう
ちらりとサイドテーブルに目を流す。紙箱の酒をくれたモトカレにも雛女との関係は不思議がられていた。
「100年前、一緒に、生きるか死ぬかの大騒ぎした」
初めての相手に裏切られたことがあの時は頭に来た。
注目の結果はこの状況にも繋がってる。不本意な延命は俺が貴重な
「恋愛感情はない」
「じゃあ髪切って、僕が使うくらい、いいだろ。あなたに似てるって思い込めたらあなたの負担減るし。そのために連れてこさせたんだし」
「その子を本部から出す口実だ。言い訳にして済まなかった」
「髪ぐらい痛くもないのに謝ってまで止めようとしてあげるのは、やっぱりこの子をスキなんじゃないかって、僕は思ってしまう」
「庇ってるんじゃない。……面白くない」
どさり、大きな動きで起き上がりかけていたカラダを倒してソファに寝転がる。背面が倒されたふかふかの座面はセミダブルベッドくらいの広さはあって、手足を伸ばすのに不自由はない。
「その顔でその子に跨ってられンのはナンか……。ハラタツ……」
ウソではなかった。100年前にも似たような場面を目撃した。その時は
ぼんやりとした天井を眺めながらの告白。夜景はずいぶん沈んで代わりに月が出て、明かりを消した部屋を銀色に照らしている。
「……」
若い男がこっちを向く。視線は強くて、見なくても分かる。
「ぼくせめられてる?」
喉に詰まったような声の問いかけ。
「そうかもな」
「不条理だよ。あなたの口実を真に受けて意思に沿おうとしてるのに」
「まったくだ」
他人の心が定かならぬのは、最初から分かりきってることで不思議でもナンでもない。まよいまどうはわがこころ。
「雛女とナンかしたい、わけでもないんだろ」
「……うん」
「来い。鋏はその辺に置くな。こっちに」
「かばってるなら、すごい自己犠牲だね」
「しつこい」
鋏を持ってこさせたのは正気づいた雛女に背中から刺されないように。拘束服を着せられていても相手は人間じゃないから油断できない。拘束自体が不完全な可能性もある。意図的であるなしに関わらず。
近づいてきた若い男は出した手に素直に鋏を載せた。ソファのクッションの下に隠して、そのままうつぶせに寝そべる。シャツが外れた肩が少し寒い。
熱が重なるのをおとなしく待った。
意識をまた、少し飛ばしていて。
「……、タスケテ……」
囁き声の呟き。聞こえたからには寝ても居られずだるい体をムリに起こす。軽いけれど暖かな
「サムイ……、オナカスイタ……、ウデイタイ……」
服は見当たらない。仕方なく脱ぎ散らかされた若い男のシャツを借りて羽織る。身幅が余るのは痩せたせい。袖丈は少し短い。
「イタイ……」
嘆く声が俺にはかわいそうに聞こえる。でも部下や同僚を惨殺された『人間』の怒りを誘発するかもしれない。自分は専属の餌をもっと痛い目に合わせただろう、という腹立ちは当然の発想。
「外してやるから少し黙れ」
言いながらクッションの下から鋏を取り出す。
「おまえなぁ、家主の言うこと聞いてしばらくは大人しくしてろ。じゃないと本部に送り返されるぞ」
率直に言って腰が抜けているのを無理して立ち上がり、そばにしゃがんで拘束服に鋏を入れていく。頑丈な麻布がザクザク切れる新品の鋏はよく見れは蟹の甲羅を砕く機能つきキッチンバサミ。焦って取り上げたのが馬鹿馬鹿しくなったが、舌くらい切り落とせる凶器には違いない。
「おそ……、アタシ、ずっと……、うぇ……」
拘束服の下は素裸。下着も身に着けていない。現状の俺は人のことを言えはしないがこっちは事後だ。状況が違う。
「風呂は入れるか?今日はもう寝ろ。隙みてそのうち逃がしてやるから猫かぶってろ。いいな?」
雛女が返事をするよりも先に。
「聞こえてるし」
背後で若い男が起き上がる。ヨロヨロしながら素っ裸で毛布を持ってきたから雛女に着せ掛けた。すぐに体に巻きつけて表情がクシャッとなる。暖かくて安心したんだろう。
「おなか、すいた……」
しゃくりあげながら訴える。
「いうこと聞いたらごはんくれるって、いうから、たくさん、いろんなこと……。でも、一回も、ナンにも食べさせてくれなかった……。ずっと……」
だから逃げろといったのに。
「舐めるだけだ。吸うなよ」
言いながら鋏をもう一度持って、左手の人差し指の爪の付け根に傷をつけようとした、が。
「ナニしてんの」
背後から手が伸びて鋏を掴まれる。
「腹減ってるって言うから」
「……え?」
「誤解するな。循環してない血は性行為じゃない」
人間でなくなりたての若い男に、なぜかまだ人間の俺が説明することになる。100年も付き合ってれば知っていることは多い。
「血の飢えは多分に感覚で死にも痩せもしない。でも苦しいから、事情で相手が居ないのに自分の持ち物を舐めさせてやるくらいの融通は、きかせてやるのが習慣だ」
「……させれたことあるの、あなた」
「何回か。直接じゃないが」
肌に口をつけられた事はなくて、いいかと意向を確認された上でほんの数滴、たいていは女の子に。前のアイツは妓夫だのホストだのするだけあって女の子たちに優しかった。その優しさがむかし殺してしまった初恋の従姉妹のことがあるせいだったのはさよならの少し前に知った。
戦後の混乱期にはいろんなことがあって、若い女の子が多い女性体は素性がばれないよう苦労してた。同じく戦中は、青年期から壮年期の健康な男性体の多い魅鬼たちはなぜ従軍していないのかと不審がられて狩られることもあった。
「僕はアナタがそんなことするの嫌だ」
「そんなケチケチするな。オマエは俺の同意もなく散々喰ったのに」
「そう……、だけど、でも、ダメ。やめて」
鋏を取り上げられる。背中から抱きしめられる。そこまでは好きにさせた。けど腕を引かれてカラダをかえされ、背中から押し倒されそうになって。
「ちょ、ヤメロはこっちだ、痛い」
ふかふかのラグは敷かれているけれど床に這わされるのは不本意。
「背中痛いって、離せ」
足掻いていると一瞬だけ引き上げられ、すぐに再び今度は柔らかなモノの上に押し倒される。絹毛布を纏った雛女を背中に敷いてる。この姿勢で俺が暴れたら雛女が重いだろう。悪知恵に舌打ちする間もなく刺し傷のある左胸に喰いつかれる。
「……、ッ」
ビクッと仰け反る反射は止められない。ソレははっきり性行為。痺れとむず痒さとチリッとする痛みの後で、確かに快感、気持ちよさもあった。
「ン……」
突起に絡みついた舌が蠢いて胸の上で若い男の喉がごくりと飲み下される。実際の吸血量がどれくらいかは分からないが、たぶんたいしたことはない。一緒に貪られる生気とやらの方が、あっちにもこっちにも深い意味がある。
思い通りになりながら左手の指先を唇に当てた。声をしのんでるフリで爪の付け根を食い破る。身悶えるついでに指先を雛女の口元へ投げ出す。すぐに濡れた口内に納められた。
釘をさしていたのに思い切り吸い上げられる。そのせいで腰まで跳ねて、ばれて、ちょっと酷い目にあった。
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