第2話
いかがお過ごしですか、と尋ねられて。
「色々たいへんご不快にお過ごしだ」
答える。冷静に苦情を言ったつもりが我ながら拗ねた声になって心の中で舌打ち。学生時代に甘えまくっていた相手だ。つい油断してしまう。
「よくこんな変質者見つけてきたな」
『桜に誓うが我々も認識していなかった』
居間というより広間というべき天井の高い
『貴様をそこに送ったスタッフに聞いたが、聞きしに勝る……』
話し相手が苦笑する。部屋の壁一面に飾られいてるのは俺の写真。正面モニターの半分くらいの枠が上下左右に天井近くまでずらりと並んで俺の画が嵌めこまれている。ほぼ実物大のそれは肖像画に見えるが実は光学写真を拡大したもの。
映画俳優の記念館でもここまで凝ったのは珍しいだろう。
『ずいぶん
それはむかしむかしの話。俺の実家のモトは中世の山城で、頂上には土塁の外郭、周囲には出丸を兼ねた指揮官の屋敷という配置がそのままで継承されていた。石垣に天守閣という近世のお城と違って地方の土着勢力らしい地味な城館跡。日本に3万を超えるくらいある、その一つだったというだけ。
『先に行方不明になった海軍の銀時計の墓碑が、わざわざキサマの家の墓の正面に建てられていたし』
その墓碑を俺は見たことがない。故郷に寄り付きたくなかった理由の一つでもある。行けば墓参りをしないという訳にもいかないが、墓地に行ったら俺が殺した幼馴染の親の嘆きを目の当たりにする。後悔していない気持ちとは別に耐え難い。
『貴様がもてることは100年前からよく知っている。が、まさか会ったこともないあんなに若いのが、これほど気持ちを募らせていたとは知らなかった。妄想にしても常軌を逸している。しかしながら思い込みというのは馬鹿に出来ない。精神は肉体を支配する。衝撃で鬼化してしまうほどに』
「……」
『貴様はむかしから本当にもてる。陸士でも入学してすぐ、食堂から上級生に呼び出されたりした』
ふるい友人がむかしのことを話す。陸軍士官学校に入学して三日後。その頃には物慣れない地方上京組を東京出身者が気遣ってくれる構図が出来上がっていた。西より醤油ずいぶんしょっぱいから掛けすぎるなよ、とか。
言われているうちに上級生が五人ほど食堂の入り口から俺を手招きした。もちろん同郷や親類じゃない。同級生たちがざわめき、何人かは俺を庇おうとする気配もあった。時代的にそういうのは今より多くてオープンだ。そして上位者は下位者を、もしくは下位と思い込んだものを圧迫してムリに相手をさせることもあった。
招きに応じて箸を置き立ち上がる。食事時間は短いからさっさと済ませたかった。行くな、と上着の裾をつかんで止めてくれたのが確かこいつだ。
「さかな毟っといてくれたな」
『むしっておいてくれと貴様が言い置いた。あの時は感動した。五人殴れば手が利かなくなるから先んじての指示だと思ったから。喧嘩慣れして豪胆で、それでいてなんと行き届いたことか、と』
ふぅ、と、友人はかぶりをふる。
『まさか単に煮魚を食べるのがへたなだったとは、まさか』
まさかで悪かったな。
実家で俺はばあやに甘やかされて育った。同時に明治の30年代に陸士の教官をしていた爺やにたいへん心配されていた。寮生活でありがちな騒ぎに俺が巻き込まれて、やり過ぎの過剰防衛で退学させられることを。
一対一で俺が負けるとは爺やも思っていなかった。問題は囲まれて手加減ができなくなること。最初に頭を潰したら
顔にもう一蹴りをくれてやれば顎と歯が折れて
五対一で過剰防衛をとられることはないだろうと、俺は強気だった。表沙汰にしてやってもいいんだぜというのを言葉ではなく態度で示し、口が切れてもいないのにペッと唾を吐き捨てたところまでが一場面。
悪かったと上級生たちは謝罪してのびた奴を抱えて戻っていった。やってやったというほどの感慨もなくあっさり終わった出来事。以後、連中が卒業するまで俺は五人に敬礼をしなかったが誰からも咎められなかった。
『すぐ帰ってきた貴様を取り巻いた仲間に、貴様は右の拳を揉みながら
そんな風に言われるのは違和感がある。俺は格闘技に凝りすぎて卒業の席次は入学時より落ちた。なんとか上位一割にくい込んで陸軍大学選抜の
はなしている相手こそ陸士始まって以来の秀才。英語も仏語も独語もペラペラ。外国からの来訪者の対応を語学教師に頼まれるくらい。試験のたびトップを他に譲るのを見たことがない。もちろん主席で恩師の銀時計をもらった。同期の代表というならこいつの方が相応しい。陸大でも貰って二個を所有しているはず。
『戦後に売った。生活に困った時期に』
そうか。あの時代じゃ仕方ない。証拠が手元になくなったところで努力の成果と自信とは永遠。誰かに与えられた名誉が色褪せても。
『愛想が悪いくせに口がうまいのも変わらないな礼一。でもそこからは出さない』
「ストレスで死にそうだ」
『死のうとしていただろう、貴様』
「……」
ショック状態で瀕死になることを承知で雛女に体液を打ち込ませたのはそういうことに、なるのかもしれない。
『妄想の暴走でも思い込みでも、アレが突然の鬼化で貴様に喰らいついていなければ今頃、貴様は秘密を抱えたまま自死を遂げていた』
「……」
それほど格好よくもない。
『それを阻止したアレの功績は大きい。鬼化の瞬間を映像に撮れたことも偶然だったが100年かけて初めての成果だ。ヒステリーでもストーカーでもアレは貴重な資料になった。……貴様をヤツから離しても代理をたてることになる。ショック症状がまたでないとは限らない。総合的な判断として現状維持の経過観察中だ』
台詞が長い。早口で口数が多い。動揺してる。一回目の交渉としては上出来。
『先に我々を裏切ったのは貴様だ』
「はくじょうもの」
恨みがましく告げて話し疲れたように仰向く。ソファに体を預けた俺を見下ろす位置からはシャツの中で肩が泳いでるのも鎖骨が浮いているのもよく分かるだろう。目をそらすのは見なくても分かった。弱いところをえぐるのは得意だ。
たっぷり痩せた首筋を見せ付けておいて、なぁ、と、再び声を掛ける。
「俺と一緒に捕まえられたオンナ」
『そんな素敵な関係の女性は知らない。貴様の情報を我々に流していた女性体の魅鬼なら居たが』
「どうしてる?」
『
「とめろよ」
『人外に人権は発生しない。……礼一、俺にも様々なことがあった』
それは見れば分かる。軍人には向かないくらい柔和だった顔立ちの半面は崩れて肩も腕も管に繋がれて痛々しい。椅子に座って下半身を毛布で覆われ、ゆったりした服の上からでもカラダの変形はみてとれる。通常であれば寿命が尽きている年月、自分自身を実験体にしてきたことは聞かなくても分かる。
『それでも貴様を見ているとふっと妄想が浮かぶ。俺の娘も略取でなく駆け落ちだったのかもしれん。物分りの悪い父親から逃げて、異族の男とはいえ愛されて、もしかしたら幸せにすごしていたのかも、とかな』
駆け落ち。
しなかったとは、言い難い。
「……相手が派手なんで俺は目立ってたが」
『派手なのは貴様だ』
「そういうことは、稀にある。もともと人間だしイケメンが多い。お役御免になった後も絶対に食い殺されるわけじゃない。市井で普通に暮らしてることもある」
飽きられた後に証拠隠滅を兼ねて喰われることも勿論あるし、慈悲を与えられて無事に開放されても匂いが残るから他の鬼たちに目をつけられやすくなる。長い隷属の末に開放されてもまとめて歳を取り無残に老いることもある。そんな多数の結末は言わないでおいた。知っているだろうから。
『慰めるな。助けてやれなかった父の気弱な戯言に過ぎないのは分かっている。貴様の恋人に情があったのではなく貴様に情を抱かせる魅力があっただけだ。
悪態をつかれる。八つ当たりでも娘のことを悲しまれているよりよかった。
『そういう次第で、専属の餌を何人もなぶり殺した女鬼のことを助けてやろうとは思わん』
友人の言うことはごもっとも。雛女の自業自得。
『部下も一人、貴様を見張らせていたのがやられた』
「その部下、俺に警告をくれたぞ」
しらっとすっぱ抜く。今にして思えばメールに添付された音声はそういうことだったんだろう。詳しい話をする前に押し倒されそうになって正当防衛して、喋れなくしたから曖昧になってしまったけれど。
友人はほんの一瞬、顔色を変えて強張った。
『……貴様がもてることは知っていたが』
そこからの内通は予想外だったらしい。ため息をついた。
『まあ、いい。女鬼について俺の私情はともかく、貴様が身の回りの世話をする下女として欲しいなら提供する。
「自分で頼めってか。肩書きご大層なのに待遇悪いぞ」
『仮就任だからだ。契約書に署名をくれるならぜんぶ貴様の思い通りになる。貴様が契約を尊重することは知っている。ヤツとは少し話しをしてみろ。意外と悪くないかもしれん。すくなくとも頭はいい。去年、十九で司法試験に合格した』
「犬猫の繁殖じゃないんだ。意識ないのにノられてヘラヘラできるか」
『ごもっとも。怒らせたついでに尋ねるが、契約は成立しているのか?』
それは。
「……わからない」
正直に答える。こういうのは初めてでよく分からない。
最初の相手とは初体験同士の仲。次のもそうなる以前から口説かれていた相手で一晩のうちに
ヤられて数カ月を経た現在進行形で拒否中だとかいうギスギスした関係は初めて。懐いていない猫がソファの下に篭城するみたいなもので、俺は心を許さず警戒しまくっているし、少し怖くもある。
隷属とまではいってないがヤツを攻撃することに対する
性愛も食欲も愛情の範疇に入らないことはない。喧嘩をしてしばらく寄せ付けなかったときも苛立ちを募らせるだけで、俺以外は不味くて口をつけられないと真顔で言っていたむかしのは可愛かった。
いまは搾取だ。吸血も吸精も性交も。だから不愉快で苦しい。
「ヤツとおんなじ顔の男と仲が良かった頃」
『海軍の銀時計のことだな?』
「一対一で、疲弊した。相手もちょっと心配して、俺以外の遊び相手を作った」
『それはちょっとの心配でするような真似とも思えないが』
言いながら、気がついたらしい。
『あの女鬼か』
「似てるらしいな。自分じゃ分からないが」
『少しも似ていない』
俺を知っているやつはみんなそう言う。が。
『目元と口元と眉とはなすじの形に相似があるだけだ』
それは、すごく似ているんじゃないだろうか。
「一対一で、いま疲弊してる」
訴えの意味を友人は理解して考え込んだ。
そこへ、秘書とおぼしき、拉致されたときに助手席に居た男がカメラに写りこんでくる。友人に何かを囁く。友人は頷いて俺に向き直る。
『ヤツが本部に顔を出したそうだ。女鬼は俺から言ってつれて帰らせるか、後から送り届けるさせる』
「ありがとう」
『ただし朝には迎えに行く』
「朝晩のツーシフトで疲れ果ててンだ」
『……』
「……」
『……善処しよう』
「ヨロシク」
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