六十四日目 贋作

 なにか良い意見を貰えるのではという淡い期待は見事に散り、悠は申し訳なさそうな顔でベッドの上、俺の隣にいる。

 センスが良いと仕事の出来る先輩からの情報ではあったが家族ゆえの過剰評価であったか。それを頼りに話を振ったのは俺なわけで胸が痛むな……。


「そこまで気を落とす必要ないよ。あくまで参考程度にっていう話だったから」

「ごめんなさい、気まで遣わせちゃって」


 より一層沈む声。

 どうやら俺はこういう人の心を慰めるセンスがないみたいだ。かといって、焦りを見せてはなおのこと悠に心配かける。それぐらいはさすがにわかる。


「悠の顔を曇らせたかったわけじゃないから、もうこの話はやめよう。仕事自体はうまくいっているから、今回でなにか失敗に突き進むなんてこともないし」

「そう、ですよね」

「ほらっ、顔上げる!」


 ここまで傷心している姿も珍しく、ほんのり楽しみたい気持ちがないわけではない。ただ今はそんな嗜好は捨て置いて、頬を挟んでたこ口にさせてクイっと顔を向き合わせた。

 それでも視線は落ちたまま、言葉は発さない。むしろ抵抗されているような感覚でこれまた珍しさがある。

 なにもなければ引きずるタイプではないだろうから満足のいくまで放っておくけれど、明日はせっかくのお出かけだ。このせいで空気が悪くなるのは嫌だし、悠との時間を楽しめなくなってしまうのも嫌だ。


「しょんぼりな君も嫌いじゃないよ。でも、年相応に全力でその瞬間を楽しんでいる君が好きだからさ。無理にそういう顔をつくれとは言わないけれど、明日を一緒に住み始めて最初の思い出にするために気持ち、切り替えていこう?」


 すぐには反応がない。俺の言葉をゆっくり受け入れ、どう返せば空気を変えることができるのか。思考を巡らせ彼女なりの答えを導き出しているのだろう。

 それに俺の頑張りも静かな空間を作り出してしまったのも自分だからこそ、一度閉じてしまった口を開くことにためらいが生まれる。そこをどうにかして突破できれば良いんだけど……。

 俺は気にしていないということは伝えられただろうし、あとは悠次第だ。


「お兄さんがそう言うなら……」


 話し始めたと同時に頬に添えていた手を緩め、悠の言葉をしっかり聞き取る。

 受動的で意思が見えてこない返しでは困るんだが、なにもないよりかはいいか。徐々に明日までに仕上げていく手もないわけではない。


「ねぇ、お兄さん、ひとついいですか?」


 ようやく目を合わせてくれたと思えばなにやら話したいことがあるみたいだ。

 もちろん断らず、頷きを返す。


「その、お兄さんが言ってくれたように元気に振る舞うために答えて欲しいことがあるんです」

「なに?」


 ここまでとは打って変わってまっすぐ瞳を見つめてくる。これはもしかすると、彼女の真意に近付くヒントになり得ることなのかもしれない。聞き逃さないよう耳を傾けよう。


「私、お兄さんがそんなこと思うはずないって信じていても、やっぱり幻滅されたくなくて! だから、今日お役に立てなかったのが嫌で……」


 なんだそんなことか、とはもちろん言葉にはしない。

 何事も自分にとっては些細なことでも、相手にはなにより譲れない芯になっている可能性があるから。悠にとって誰でもいいわけではないだろうけど、自分に近い存在でなおかつ頼りにしてくれる人間に隙であったり、欠点であったりを見せることは許せないことなのだとしたら、それは尊重すべき個性だ。

 返事を待つ眉尻が下がったところから不安に押し潰されそうな心の弱さが見えてくるみたいだ。

 そんな彼女にこれだけは伝えたい。


「あのさ、悠にとってそれがどれ程大きな問題なのか、まだ理解してあげられているわけじゃないよ。でも、この前先輩が家に来た日にいろいろと裏で動いてくれていたことや、平日は毎日先輩の元に向かって情報を集めてくれていること、それに比べたらとてもちっぽけなものなんだ。

 だから、俺が悠は役立たずだとか一緒にいて邪魔だとかそんな馬鹿げた考えに行きつくことはないよ」

「……本当ですか?」

「本当だ。ここは俺を信じてくれないか?」


 手を肩に移してポンと乗せる。そこから感じる若干の震えは誰かに捨てられることへの恐怖心の表れだろうか。

 もしかすると、先輩への嫉妬や憎しみのなかには信頼の対象を奪われたことから生まれた一面があるのかも。彼女の過去をこれまで深掘りしたことがなかった俺にはなにもかも確信に至れないのが悔やまれる。

 これからはもっともっと彼女を知ることが必要だな。

 さて、それはそれとして俺の言葉は心の奥まで届いてくれただろうか? 多分、それは聞くまでもない。


「わかりました。やっぱりお兄さんはいい人だなぁ」


 その言葉と共に見せつけられた笑みは野球観戦や二人きりの食卓で見たものとはまるで異なる作品だったから。

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