第五章:

六十三日目 持たれつ持たれつ持たれつ

 先輩との食事を断ってまで悠と今後いつでも過ごせるはずの二人だけの夕食を選んだのは間違っていなかったと思う……というより、そう思いたい。

 翌日、先輩に再度謝っておいた。本気で不安だったわけではないけれど、微かな心の憂いが仕事や日常生活の歯車を狂わせてしまうのは嫌だから。そういう小さな異物をしっかり取り除くために行動を取ったまで。

 もちろん先輩は嫌な反応なんてみせず、変わらない綺麗な顔で気にしてないよと答えてくれた。

 それがすこし残念だったとはいえ、さらに悪い方向に関係性が進むよりかはマシだと思いそれから数日企画案に集中した。その結果、金曜日の退勤時には三つの企画案に絞るとこまで展開することが出来た。


「このなかだったらどれでも十分勝負できると思うよ。あとは棟永とうながくんの判断次第。来週の月曜日までに決めて事前に連絡だけお願いね」


 そう伝えられ、わかりましたと返事をしたのち解散して帰宅。

 家で悠の手料理を堪能して眠った。

 そうして今日、二連休の初日に俺を気遣ってくれた悠に起こされたのは正午前。


「よく眠れました?」


 起床から諸々を済ませてダイニングに戻ると氷水とそうめんの入ったボールがテーブルの上に置かれており、その前に座ってどうやら俺のことを待っていてくれた悠が見上げて聞いてきた。


「すっかり疲れも取れたよ。明日のお買い物に向けて体調はばっちりだ」

「忘れてなかったんですね」

「もちろん、約束したからな。それに楽しみなんだ。こうして休みの日にどこに行こうかと仲の良い友人やもっと仲良くなりたい誰かと話すのが久しい感覚だから」

「友人……」

「ん? どうかした?」


 目はあったまま、ぼそっとそう呟いた悠。彼女にとってはよく触れ合う言葉だと思うけれど、なにかあったのかな。


「いえ、友人といえば以前お兄さんがお酒と共に話されていた方とは会ったりしないんですか?」

「あー、内島のことかな。そういえば、リモートで飲み会した翌日に悠が来て話したん……だっけ?」

「ですです」


 あのときは早朝に来られたもんだからあまり俺の記憶は頼りにならない。

 ていうか、そんなことが気になったのか?

 あまりにも俺が毎日幸せそうな顔しすぎて逆に心配されているんじゃないの、これ。


「こっちで会ったことはないね。その後、同級生や後輩らと一回飲んだけど。だからといって、全然寂しくないよ。今は悠がいてくれるから」

「そう言って貰えると凄く……嬉しいです」


 幸せを最後まで味わうように俺の言葉を復唱する。やはりこういう言葉は好物のようだ。


「良かったらいくらでも感謝することはあるし、言葉にしてみようか?」


 そんな提案に、しかし悠は首を横に振る。


「一気に貰っても飽きちゃいますから。たまにでいいんです。それに意識しての言葉じゃなくて、こういう自然な流れの方が温かみがあって好きですし」

「それもそうか」


 優しい空間。家族との楽しいリビングとはまた違うこの空気感は新鮮だ。


「それじゃあ、話を明日の買い物に戻すね。どこに行きたいとかはあるの?」


 彼女の隣に座り、そうめんを啜りつつこの質問から幾度かやり取りを経ておおまかに明日のスケジュールを決める。あれもこれもと想像し、いやでもとまた別の案で悩む年相応の姿はこれまた新鮮味があった。

 するすると胃のなかに入っていくそうめんはすぐになくなり、片付けや洗濯物の取り入れを済ませ、部屋で仕事をしてくると伝えリュックから取り出した企画案を並べた。そこから何度も手に取り睨めっこ。

 結局季節もの、子供向けのもの二種類に絞ったわけだが自分でも甲乙つけがたい。

 冗談を抜きにして先輩の言った通り、全てで勝負に出ることができると思う。とはいっても、まるで無知な俺の自信なんかはあてにはならないんだけど。

 先輩がお世辞やモチベーション維持のために放ったわけではないと願おう。そうしてまた数分決めきれずにいると、突然扉が開けられた。


「うわっ!」


 驚きのあまりつい声をあげてしまう。顔をあげた先には俺の声に驚いた悠が手にグラスを持ち立っていた。

 幸いなかの液体は漏れていない。


「ああ、ごめん。急でびっくりしちゃって」

「い、いえ全然気にしないでください。それにノックしてから入ったというのに聞こえてなかったってことはそれだけ集中してお仕事に向き合えている証拠ですし」


 マジか、全く気付かなかった。本当に申し訳ないことをしたな。


「それじゃあ、お茶を机に置いておくので適当に飲んでおいてください」


 邪魔をしてはならないと気遣おうとしているようで短く用件を伝えて退出しようとする悠。その腕をパッと握り、引き留める。


「お兄さん、どうしちゃいました? まだお昼ですよ?」


 ここでは逆に驚く素振りはなく、冗談めかしたことを言ってきた。


「いや、そういう意味じゃなくて。良かったら悠の意見も欲しいなって思ってさ。ダメかな?」

「そんな、むしろ嬉しいです。お兄さんのお役に立てるならなんでもしますよ」

「ありがとう。それじゃあ頼むよ」


 気分転換にこういうのもいいだろう。信頼できる人間の声を聞くというのは視野を広げられる可能性がある。それに先輩が悠はセンスがあると言っていたから商品の内容だけでなく、デザインなどの手助けを得られるかもしれない。

 彼女を立たせて企画案を見せるのもあれなので一旦俺のベッドに腰かけ、間に三つ並べた後ひとつずつ見せていった。

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