五十六日目 餌に食いつき注意

 悠とのベッドの件は明日、先輩が来たときに見られて変な勘ぐりをされないよう今日だけは同室で寝ることになった。

 俺の性欲が爆発しない限りは同室であることに問題はないのだけど、酒の入ったときに自制できる保証がないので俺のベッドを明日、先輩が帰った後にダイニングの方へ移動させておこう。キャスター付きのものを買っておいて良かったとこんなことに思うとは。

 一応今日だけソファという選択肢も考えたものの、悠がそれを了承してくれるとは思えず、致し方なく今回の措置を取った。じゃあ、今日中に動かせばいいじゃないかという話は遠慮してもらいたい。ちなみに自前のシャンプーを使ったのであろう悠の香りがふんわりせっけんな雰囲気で幸せな心地で眠ることが出来た。


 翌朝、目を覚ますと香りと共に悠の姿も既になく、ダイニングからなにかしらの音も聞こえてこない。時間を確認してみれば七時頃。さすがに大学があるとしてもまだ出ていないとは思うけれど……。

 気にしすぎても仕方ないのでゆっくりリュックなりスーツなりをベッドの上に置いてから部屋を出て顔を洗い、口のなかを流してダイニングに向かう。

 扉を開ければすぐ丸テーブルの上に置かれたものと手紙が目に入った。


「早いなぁ、学生さんは」


 とりあえずは手紙を手に取って内容を確認しておくか。もしかしたら大事な用件かもしれないし。

 女の子らしいまるっとした字体かと思っていたけれど、むしろきりっとした綺麗なタイプなんだな。一緒に住むことでこういう個人の特徴がすこしずつわかるのも面白いものだ。

 それで肝心の伝言は……。


「なるほど、そういうことか」


 どうやら俺より早く行動に移していたみたい。

 お姉ちゃんの情報収集を兼ねて怪しまれないよう寂しがる可愛い妹をバッチリ演じてきます!

 当然の関係性である可能性すら感じさせない演じるという言葉にさすがだなと苦笑いを浮かべることしかできない。まあ、悠の協力を断るわけにはまだいかないし、悠と先輩の間にどんなすれ違いが発生して一方的に愛し、一方的に憎しみを覚えたのか知らない以上悠の行動を止める理由もないし。

 成果報告を待ちながら昨夜話した通り、俺も自分なりのアピールをしてみよう。

 恐らく会社から直行で向かうはず。その点を加味して出勤は遅めにしてでも事前準備を済ませておく必要がある。

 それでまあ、もう一つ置かれていたのは以前と変わらない包みに覆われた弁当箱なんだけど、これをどう処理するかだな。会社を出るのは昼頃になると仮定すれば、外食になるのがごく普通の流れだろう。


「かといって捨てるわけにも後で食べるのもなぁ」


 前者は絶対に有り得ないとして、後者は俺のタイミングで悠をここに戻すことができるからありなんだけど、時間の経ち過ぎた弁当を食べるのはなかなかキツイ。

 ここは敢えて会社に持っていき、先輩を休憩室に誘って自宅よりかは緊張しない空気のなかで談笑するという選択肢が良策なのではないか。

 悠に申し訳なさを感じる必要性もないし、うん、これでいこう。

 それからはアロマを用意したり、昨日悠はダイニングも掃除してくれていたみたいで手間が省けた分ちょっと俺の趣味のものを部屋から持ってきてさりげなく置いてみたり、休憩中の話のタネになるよう配置は完璧だ。

 一応俺の部屋を覗かれても構わないよう悠の布団は押入れに仕舞っておいた。


「よしっ、それじゃあ、行ってきます」


 弁当箱の入ったリュックを背負い、今日も日差しの強いなか出勤だ。



 ◇◇◇◇◇



 梅雨入り近くで既に蒸し暑さを嫌でも感じさせられながら、いつものように事務のフロアでエレベーターから降りる。ドアが開き自分のデスクに向かって歩いていくと笑顔の先輩がコーヒーを入れて他の人と話をしているところをちょうど目撃した。

 俺の視線に気付いたのかこちらを見て手を振ってくれる。やばい、癒されるぅー。


「それじゃあ、また今度ね」


 俺のためか単に仕事を始めようと思ったのか分からないけれど、先輩も自分のデスクに戻ってきた。


「おはよう、棟永とうながくん。今日も頑張ろうね」


 言葉の尻に音符がついているんじゃないかというほど言葉の弾みを感じる。どうやら上機嫌みたいだ。


「先輩、いつもお綺麗ですけど、今日はなんだかそれに加えて元気に満ちているっていうか活力がある感じですね」

「そうなの! 実はね、朝起きたら妹が一時的に帰ってきてて、お姉ちゃんが心配だからお弁当だけは作ってあげるって!」


 珍しく前のめりで話す先輩が可愛い。年齢とか関係なく、普段はしっかりしている人が時折見せる子供っぽい仕草にどうもキュンとさせられる。

 初めから雰囲気の良さとこの展開を持ってきてくれた悠には感謝だな。それにお弁当を共に休憩室で食べる口実も楽にできた。思えば、俺が今日先輩を呼ぶことは知っていたのだからそれを見越しての行動だったのかも。

 悠のそういった機転の利かせ方は素直に尊敬するよ。


「ちなみにどんな感じなんですか?」

「気になる? ぜひぜひ見てあげてよ、妹の美味しい料理たちをさ」


 そう言って先輩はバッグのなかから弁当箱を取り出す。

 俺との中身をどんなふうに変えているのか純粋な気持ちで気になる部分があるため、その流れをしっかり見ていた俺は気付いた。

 女性に持たせるとしたら少々地味な黒の包みが顔を覗かせてきたのを。

 あれは俺のものと同じだ……表に刺繍されたロゴがその証拠。やばい、どうしよう。このままの流れで先輩に今日のお昼について聞かれでもしたら――


「そうだ、お弁当と言えば最近棟永くんもよく作っていたけれど今日は何持ってきたの?」


 ――はは、神様はどうにも意地悪みたいだ。

 さて、どう誤魔化したものか。悠のミスかもしれないとはいえ、折角くれた今の雰囲気を壊すわけにもいかない。俺は企画案を考えているときよりも脳をフル活用して答えを探し出していく。

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