五十五日目 共に過ごすということ
おいおい、まさかまさかの先輩からお邪魔したいご連絡ですか⁉ もちろん好きなだけ邪魔していってくださいよ!
心中ではそんな下心しかない思いで溢れかえっているが、現実を見ればそうはいかない。今この家には俺一人だけじゃないから。あくまで落ち着きを装い、話しかける。
「ねぇ、悠、ちょっといい?」
「はい、なんでしょう?」
振り返ったタイミングでスマホから顔をあげた彼女と目が合った。
「今先輩から連絡が来てさ、今会社で共同企画として進めている案の話し合いをここでしたいらしいんだけど――」
「私がお邪魔なんですね?」
本当はまだ用事の内容も聞いていないし、悠が困るかどうか聞こうとは考えていたから即答で肯定に近い言葉を貰うとさすがに罪悪感が生まれてしまうな。
表情からして迷惑そうな感情は悠から感じられないけれども。
「悪く言えばそうなるかな」
「構いませんよ、私も一応協力者ですし、なによりただの居候ですし」
「だから気にかける必要もないってか? 寂しいこと言うなよ」
「でも、実際そう頼もうとしたんじゃないですか?」
淡々と、そう返されて少々針で突かれたような痛みが心に走る。
「……まあ、結論としてはそこに行き着いていただろうな」
これ以上視線を交合わせていてははっきりとかたどられた罪悪感に押し潰されそうで言葉と共に目を逸らした。
「はぁ……」
そうして漏れた溜め息は悠のもの。落胆とか憐憫とかそういった確かな感情は乗っていないけれど、たしかに俺に向けられたということだけはわかる。
「お兄さん、いいですか? この話の結末はお姉ちゃんをここに呼ぶことに繋がると決まっているんです。そのなかで表面上の優しさを自分の心の安定のために見せつけるのはあまり良い策とは言えませんよ。私だって傷ついちゃうんですから」
まるで返す言葉が浮かばない。
事実、俺もこれまでの悠の言動から得られる結果は心のどこかでわかりきっていたとは思うから。素直に明日、先輩が仕事でこっちに来るみたいだからすこしだけ席を外しておいてくれないかと聞けばよかった。
ますます目を合わせづらくなる。年下の子にこうもまともな意見を言われるとな。
そんな俺の心情を察してか、悠は立ち上がり近付いてきて俺の手を握ってくれた。
「ここに住まわせてほしいと言ったのは私ですから、何も必要以上の気遣いをお兄さんが抱くことはないんです。だって、私の願いはお兄さんと一緒に住むこと、ただそれだけ。家族のような優しさに満ちた愛情も、恋人のような熱い恋情も抱いてほしいなんて言っていませんよ」
触れている部分から伝う温もりが言葉の勢いに乗って心の奥まで届く。
いつのまにか避けていたはずの目がまた合った。いや、合わせてくれたんだ、悠が。
「そういうものは私が自分で手にしていくものです。だから、建前上じゃなくて本当に私のことを気に掛けてくださったときにはちゃんと心のこもった声と困ったような表情で聞いてくださいね」
「……ああ、そうだね。本当、ごめん。そんな気はなかった……っていう言葉も今は必要ないね」
今はただの素人が作り出せる精一杯の微笑みを浮かべ、彼女の手を強く握り返し、数秒して離す。
俺の立場になり言葉の意味を感じ取った上で投げられた率直な感想は当然俺を想ってくれているから出てくるもので、そんな彼女に対して俺は酷く機械的な言葉をぶつけてしまっていたんだろう。少なくとも彼女にはそう感じられたから捻くれた返しから話を繋げていった。
頼り頼られの関係を望んでいるだけではなくて、そこになにかしらに当てはまる相手を想う感情が欲しい。それが彼女の言うような家族愛でも、はたまた友としての友情でも構わない。そもそも悠の願ったこの生活の理由と俺の考えた悠の嘘の真意は十五%の違いがあったんだ。そのことを忘れずにもっと悠のことを理解しようとする意志を持ち、示さないといけない。
ただ、今この流れでその表明をしても上辺の言葉に受け取られかねないだろう。
「じゃあ、明日は連絡するまで外にいてくれる?」
「わかりました。その代わり、いい雰囲気のまま一泊はやめてくださいよ」
「ハハッ、もしそんな急展開が待っていたとしたら間違いなく悠のくれた香水が引き金になっているだろうね」
空気を換えるためにわざとらしく笑い声をあげ、大げさに身振り手振りでありえないと伝える。
それからは悠もこの話はここでお終いと区切り、連絡が来る前にしていた話に戻していく。
「それで、お兄さんから頼りにしてもらえるのは嬉しいんですけど、やっぱり頼られたからには成果を挙げたいじゃないですか。だから、お兄さんと私、両方の成長のためにも情報の収集に向かいたいと思います」
「そこに関しては俺から求めておいてなんだけども、同感だね。その先を考えたらなおのことさ」
偶然実践できる機会が舞い込んで来たのだから都合も良い。今回はホームで勝負できるのだから、雰囲気を作り出すことも難しくはないだろう。それでも全く恋愛的な友好値に進展が見受けられないのであれば、そのときはまた悠に頼って構築していけばいいじゃないか。
「ではでは、そんな感じでまた明日も頑張っていきましょう!」
えいえいおーと明るく振る舞う彼女につられ、小さく右の拳を上げた。
その後は皿洗いを終え、テレビで一緒に野球の動画でも観ながら談笑を楽しみ時は日を跨ぐ十分前。
「そろそろ俺は寝ようかな」
ぐーっと両腕を伸ばし、欠伸をする。
悠も俺の言葉でもうそんな時間かと気付いたようで学生にしては早い時間だろうけど、私もお布団に入ろうかなーと呟いた…………ん? 待てよ。そういえば大事なことを忘れていたぞ。
今朝、起こされてから家を出るまでは悠はバッグしか持っていなかった。それこそ今着ているような部屋着すら入っていなそうな。けれども現実としてあるということはお昼の間に持ってきたのだろう。恐らく優梨愛にでも手伝ってもらいながら。
違和感はないかダイニングを見渡してみるが荷物らしきものはない。では、どこに?
もちろんその答えはひとつしかないよな……。
「お兄さーん、お布団敷くの手伝ってもらってもいいですか?」
まるで予見する能力を得たかのように、想像通り俺の部屋から悠がその小さな顔をぴょこっと出している。
なるほど、だから片付けたんだ。
それに俺もスーツをかけるぐらいしかしなかったから押入れのなかなんて見なかった。
同居するうえで必ずぶち当たるであろう寝室問題。これが同性ならなにも疑問を抱かず同部屋で済むのだけれど、如何せんそうするわけにもいかない。どうやら眠りにつける頃には日を跨いでいそうだ。
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