五十二日目 頼れる存在は誰よりも君だから

 昼休憩。

 さっそくダメダメな自分に戻ろうかとしたけれど、それで迷惑をかけてしまうのかと考えたら出来やしなかった。ただ挨拶を交わして通常業務を終わらせたのみ。

 情けない気持ちを抱えたまま次に向かいたくないので一先ず悠に連絡を取ってみる。大抵返事が早いし、せっかく同居を始めたわけだし、嘘はあったとしても優梨愛とお隣さんとのことからも頼るには一番の存在だろう。


『全然貰った情報を活かせそうにないんだよ……ごめんね』


 送信して間も無く返事がきた。期待以上の早さだ。


『私に謝ることなんてないですよ。まあでも、そんな気はしてました。お兄さん、演技苦手そうですし、真面目ですし』


 どうやら見透かされてはいたようだな。その想定を覆すことができていれば良かったのだけど、とにかく情報をくれただけに申し訳ない気持ちが先行して先の言葉になってしまった。

 それにこの結果を報告することで悠にも情けない自分を晒してしまう形になるわけで、こちらから頼ろうとしたとはいえ二重の痛みが胸を刺す。


『ではさっそく二の矢を放つとしましょうか。お姉ちゃんの好物をプレゼントしてみるのはどうでしょう』

『と言いますと?』

『お兄さんの休憩時間ってまだありますよね?』

『ああ』

『それなら、今から会社近くにあるお姉ちゃんが最近通っているカフェで待ち合わせしましょう。十分もすれば、着きますので』

『わかった』


 どんな策を講じようとしているのかわからないがまさかすぐに手に入れられるとは思ってもいなかったので助かる。

 十分休憩時間はあるし、そこで優雅に昼食も済ませてしまおう。もちろん悠の分も。

 早くも先輩の好みのタイプになりきるという有力な手札を捨ててしまうことになるけれど、なにも諦めきったわけではない。というより、諦めてはならないんだ。それは悠が言っていたお姉ちゃんは好きなった人が好きなタイプではないということと、これまでの彼氏に性格の点において共通点があるということからしっかりと先輩のなかにもストライクゾーンがあることがわかっている。


 もちろん俺に惚れさせてみせる! という意気込みはあれど、まずはその前段階である恋愛対象の一人として認めてもらえているのかすら怪しいのだから、ここは素直に先輩に好かれる行動を取った方が良い。

 現実において俺様キャラなんて成り立つのは本当にごく一部の人間だけだし。

 そうして、約束通り十分後、今朝見た格好の悠とカフェに入っていく。席は話しやすい奥のほうを選んだ。互いにコーヒーとレモン風味のケーキを頼み、運ばれたのち話し始める。


「それにしても、大学この近くなの?」


 この十分と少しの間、なにより引っかかっていたことをまずは問う。

 悠はいただきますと一口飲んでから答えてくれるみたいだ。


「実は今日、授業がお昼までで。優梨愛先輩の車でどこかドライブにでも行こうかなと思っていたところにお兄さんからの連絡がありまして」

「もしかして、そのままの流れで優梨愛に送ってもらったの?」

「はい。加えて言うなら、このあと一緒に出掛ける予定なのでちょっと歩いたところのパーキングエリアで待ってもらってますね」


 優梨愛はあまりにも悠に従順すぎるきがするけど、まあ、それほどにお隣さんと結ばせてくれた恩以上の友情があるんだろう。後輩力がずば抜けて高いことはわかりきっているし。

 とりあえずは苦笑で返しておいて、さっそく主題を切り込んでいくとしようじゃないか。


「本当はゆっくりお話ししたいんだけど、休憩時間も限られてはいるから次の策の具体的な内容を教えてもらってもいいかな?」

「もちろんですよ。なんたって私は恋のキューピットになり得る存在なんですから」


 えっへんと胸を張る姿が微笑ましい。これを見れただけでも心が癒されてここに来た甲斐があったというものだ。欲望のままにさらなる報酬を得よう。


「お姉ちゃんの好物というのはこれです!」


 ドンッ!

 そんなSEを付けたくなるほど自信のありそうな勢いでバッグから取り出し、そっとテーブルに置いたものは香水の入った小型のボトルだった。その入れ物自体は至ってシンプルで可愛さの欠片もない。ということは、中身の香水が正解か。


「香水のブランドに好みがあるとか?」

「いえ、率直に香りに興味を抱くようになったらしくて。というのも、ここ最近香りが気になり始めているという話は聞いていたんですよ。元々そういうのには疎い人なのでもしかするとお兄さんのことを意識してのことかもしれませんけど、それは確信的な情報ではないのであくまで心の支えとして今はまだ抱えておいてください」


 俺のことを気遣ってくれたんだな。ありがたいよ悠。本当に。

 自分の恋愛のことはちゃんと進んでいるのかおじさん心配になってきちゃった。


「とにかく、好みの香りがはっきりとできたみたいなんです。それでその内のひとつがこれというわけですよ」

「なるほどね。よし、買った!」


 迷いなく長財布を取り出し、現金でいくら入っているのか確認しようとしたところで悠に止められる。


「別に構いませんよ。それにこれは一応男性用で、今朝、未鷹くんと鉢合わせちゃったお詫びみたいなものですから」

「いやいや、あれは不運だっただけだから。情報まで頂いて物まで貰うのはさすがに」

「あー、じゃあこうしましょう?」


 ポンと手を叩いた悠はどうしても金銭のやり取りは行いたくないようで別の案を提示しようとしているみたいだ。

 こういうところに好感が持てる。あくまで自分のルールのなかで相手との交渉を進めようとする姿勢は実に素晴らしい。その上、内容が酷く一方的なものになることがないところがまた良い。


「今度、私と一緒にショッピングモールにお買い物に行きませんか?」


 想定外……いや、どちらかといえば内の返答がやってきた。そこにどんな感情があるかは置いておくとしても、俺は少なからず悠から好かれていると感じるから。でないと、わざわざ共同生活の提案なんてしてこないだろうし。自分の姉に好意を寄せているという情報を持っているために、悠からのそれはあくまで呼び名の通り近所のお兄さんのような関係に似ているのかもしれないけれど。

 まあ、俺からすれば正直ここで金を渡そうが一緒に出掛けようがどちらでもよい。ゆえ、悠の思いを尊重しよう。


「分かった。今週末にでも行こう。それで決まりね」

「はい!」


 今回もまたわかりやすく悠の表情が晴れ晴れしくなる。こういうところも気付きやすい一因だろう。

 それから適量がどれぐらいなのか、普段は殆ど使用しない俺には分からず無理しないでいろいろと悠に教わり、少々つけてから店を出た。ちなみに試しで匂いを嗅いでみたら柑橘系の恐らくレモンであろう爽やかな香りだった。主張が強すぎず、うちの会社であればこれぐらいはまったく気にならなそうなぐらいの良いカジュアルさで毎日つけていても問題はないと思う。


「ありがとうね!」

「いえいえ! 頑張ってください!」


 優梨愛の待つ方へ歩いていく悠を見送り、角を曲がったところで俺も会社に戻る。

 ここから仕切り直し。悠からの声援に応えられるようやるぞ!

 エレベーターのなかで一人、大きくガッツポーズ。


 ピンポーン


 その瞬間、扉が開き、別の会社の知らない人に見られてしまったことは俺だけの秘密にしておこう……。

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