五十一日目 意識改革の兆し
なんとまた最悪なタイミングで家を出てしまったものだ。
俺の前に誰もいなければ、ただのお隣さんとのご挨拶で済んでいただろうに。残念ながら今日から居候するお隣さんの恋人を仲介した本人が俺たちの間にいる。
「あの……棟永さん? これはいったい……」
状況の整理がつかず、とにかくは俺に説明を求めてきたがどう言葉に表せばよいものか。
偶然知り合ったというには無理があるし、以前ここにやってきてお隣さんに居留守を使われたのはあくまで優梨愛であって悠ではない。
先輩の話を持ち出すのは簡単だがそこからどのように家から二人で出てくるようになったのか。考えれば考えるほど俺も上手く彼を説得できる気がしないんだよな。
やばい、どうしよう。
「未鷹くん、私たち実は付き合ってるんです」
「はっ?」
はっ?
俺の心の声とお隣さんの声が見事に重なった。
ちょっと待って、ちょっと待って! その流れは最悪の場合にだす手段として隅に置いていたけれど、あまりにも出すのが早くない?
「ですよね、お兄さん」
見上げてきてウインクをしているけれど、悠からは考え付かないほど不器用な顔になっちゃってるよ! これまで嘘をつくときでさえうまく感情を隠していたはずなのに、焦りが徐に出ちゃってんのよ!
もしかしてあれか? なにかしら策を用意してこのシーンを作り出さないようにしていたのに、まさか初日から顔を合わせることになるという想定外の出来事が起こっているのか?
悠なら優梨愛に頼んでお隣さんの行動を操ることも難しくはないはず。家を出るとき、時間を把握していたであろう悠がわざと面倒臭くなってしまうお隣さんとの対面を避けないはずがないし……とにかく俺と同様に思考がうまくまとまらず出た答えが真っ直ぐに最後の手段に繋がってしまったことだけは分かった。
わざわざここで否定してさらに空気を惑わせるわけにもいかないし、これから少なからず一人でいたとしてもこういう機会はあったろうから一々説明しなくて済む案としては悪くはないか。そう妥協するしかない。
とりあえず、悠の演技に乗ろう!
「そ、そうなんだよねー。共通の知り合いがいてさ、そこから知り合ってなんだかんだあってこういう形になってね」
「あー、いや、僕は別になんとも思わないですよ。ただ、知り合いが出てきたから驚いたってだけで」
そうは言いながら、階段のある方へ後退っているけれど! そうだよ、別におかしなことじゃないんだよ。
たまたま社会人のお隣さんが後輩であるJDとニコニコしながら一緒に家から出てきただけじゃないか…………いやぁ、俺だってなんだか悪い考え方しちゃうだろうなぁ。接点があるはずがないんだもの。
特にしっかり悠とは関係が出来ているからこそ、不透明な部分での付き合いとも考えにくくなっているのがなおのこと怪しさを増しているんだろう。
くそっ、でもここから別の策に切り替えでもしたら嘘をついたとバレて言葉の伝わりが悪くなってしまうからもう貫き通すしかないか。
「ごめんね、これからもこういうことあるかもしれないけれど、気にしないで」
「ですです。もちろんこうやって――」
ギュッと腕を組んでくる悠。
反応できずにそのまま身体を寄せられる。
「恋人らしいことしているときもあるので邪魔しないでくださいね!」
「ははっ、もちろんだよ。それじゃあ、僕も大学行かないとなので!」
最後は逃げるように苦笑を浮かべて去っていったお隣さんの背中が見えなくなったところで悠を見下ろす。
「なんとかなったね。ありがとう」
「いえ、むしろ勝手に設定決めちゃって話進めてしまいましたけど、ご迷惑じゃなかったですか? 私と恋人同士なんて」
「そんなことはないよ」
まあ、焦りはしたけれど。実際これからのことも踏まえたら都合はいいからな。もうこれ以降は会っても不思議がられない。毎回毎回、今みたいに身体を密着させる必要もなかろう。
「むしろ、驚いているんじゃない。俺みたいな男にこんな可愛い子がついているなんてなにかあるに違いないとかさ」
「なんにもないですよ。あるとしたら愛情ぐらいです」
一難去った安堵からか表情の明るい悠は必然と見上げ、上目遣いのような形でそんなことを言うものだから、恥ずかしながらドキッとさせられてしまった。
誤魔化すように何を言っているんだと軽くあしらって組まれていた腕を離すけれど、その瞬間あっ、という言葉と共に見えた寂しさの滲んだ表情がグッと俺の心を掴む。
「さ、さぁ、行くよ」
「はーい」
今はとりあえず気を紛らわせたくて、ただ前を向いて歩いていく。階段を下りている間も駅に向かうまでの道のりも改札で悠と別れるまで彼女の言葉に適当な返しをしながら、最後に手を振り見送った際にようやく見えた表情はいつもと変わらない愛らしさ満点の笑顔だった。
◇◇◇◇◇
いつもより早い時間に会社に到着。ここまでの道のりである程度久しくまともな恋愛をしていなかったせいで童貞力が再発していた心を落ち着かせることはできた。とりあえず自分のデスクに向かおう。
相変わらず先輩は既に仕事に取り組んでいるみたいだ。椅子に座って本日分の売上報告を打ち込んでいるのが遠目からでもわかる。企画案のためにも通常業務を早々に片付けてくれているんだろうな。
悠の言っていたお節介焼きな部分はこういう過度な配慮にも表れているのかもしれないと考えるのであれば、一挙手一投足見逃さずに機会を窺っていくのが最善の手かも。
よしっ、せっかく身内による情報を得たのだから惜しまず駆使して、ここからは意識を八割先輩、二割仕事でやっていこう!
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