五十日目 不一致

 悠との共同生活。元の条件は悠のことを深く知ることであったが、当然それは追々達成するとしてそれを盾に奥深くに眠る宝物、すなわち悠の姉である先輩の情報を回収していかなければ。

 こちらから悠の機嫌を損なわない程度に聞きだそうとしていた手前、手土産として差し出してくれるとは思っていなかったから助かる。


「お姉ちゃんって綺麗じゃないですか」


 悠のその言葉に素直に頷いた。

 好意を寄せているという情報を持っているのだから、この反応は想像に容易いことなのだが、それでも身内を褒められるということが嬉しいのか悠も微笑みを返してくれる。


「近寄ってくる人間は年上、年下関係なくいるわけですよ」

「それで言うと、悠は年上に好まれそうなタイプだよね」


 我が儘を突き通す強気な性格に加えてそれを笑顔ひとつで許させてしまうほどの可愛らしい容姿、それから愛嬌を軽々しく表現できるほどの精神があるのだから。男なら誰でも一度は夢見た後輩像のひとつではないだろうか。

 これに先程より一層明るい笑顔の花を咲かせた悠は声色まで鮮やかになったようだ。照れ笑いの後に発せられた、それだとまるでお兄さんからの匂わせになっちゃいますよという言葉からもわかるように。


「可能であればまだまだこの会話を続けたいものですけど、お仕事の時間も迫ってきてますから、今日のところは我慢して話をお姉ちゃんに戻しますね。それで、多くの人から好かれていたとはいえ、お姉ちゃんを自分の物にしたいという男の人は少なからずいたわけです」

「そのうちの何人かは成就したんだね」


 俺は別に相手の過去に相当な闇と呼べるものが絡んでなければ気にはしない人間だ。誰と付き合っておうが構わないし、年相応に性知識の興味から行為に至っていても気にしない。というか、今年で二十七歳になる人が特別な理由なく一切の経験なしという方がこちら側としても若干困るというか。なんだか不安になってしまうから、むしろしっかり恋愛経験者で安堵した。

 それに俺だって童貞ではないし。


「そういうことになりますね。ただ、その相手に多く見受けられる共通点があって、お姉ちゃんは自分が好きになった人のことを好きになるタイプの人間じゃないということは把握していた方が良いと思います」


 それはつまるところ、恐らくこの後に明かされるであろうその共通点に俺が嵌まっていなければ現状での恋愛における仲良し度が低いということになる。

 そう思うと意識が次の言葉に一気に集中しちゃうなぁ。そのせいか、固唾を呑んで悠のナチュラルに近いピンクの口紅が塗られた柔らかそうな唇を見つめてしまう。

 もしかすると、この行動で彼女に多少の気持ち悪さを我慢してこの男と共同生活をするのは危険かもしれないと思われている可能性はあるがここから誤魔化すように咳払いをしたり、視線を外すのは悪手。そもそもそういう意図がないのだからむしろ堂々としていろ。

 悠が見られているという緊張からか、唇を合わせ潤いを少々与えてまた口を開く。


「えっと、その共通点ですけど、まずは抜け目のある人ですかね」


 おっ、これはまさか俺の弱点だと思っていた部分が役に立つときが来たのか⁉


「というのも、やっぱりお姉ちゃんみたいな綺麗な人に告白するって相当な勇気がいると思うんですよ。それこそ自分のことをちゃんと愛しているぐらいの自尊心が高い人じゃないとなかなか踏み出せないみたいな。簡単に噂が流れていたみたいですし」


 まあ、それは容易に想像することができる。

 学生なんて色恋沙汰に夢中な年ごろだし、大学でも仲の良い人間にはしっかり広まっていくしな。サークル活動に勤しんでいたならもっとその効力は増していたことだろう。


「そのせいか、勉強か運動がとても長けている人であったり、文武両道な人であったり、とにかく長所がはっきりとしている人が初めの頃は多かったんですよ。でも、それをすべて断っていて。その理由のひとつとしてお姉ちゃんがお節介焼きな性格であるからというものもあるんですけど、それ以上に弱点を恥ずかしがらずに打ち明けられる人が好きだからみたいなんです」


 なんだなんだ急に俺への押しが強くなってきたな。ただ、これが嘘でないとはなんとなくわかる。

 それは先輩のことを理解しているからではなく、悠が自分を利用されたくないと思っているから。それゆえ、これまではこの話をしたくなかった。この断片でも俺に渡してしまうと、俺のなかで彼女の利用価値がダンと跳ねあがり、ある種情報を持つ物として捉えられてしまう。それを悠は望んでいない。

 しかしながら今は確実に悠を頼りにし、先輩に近付こうとしている俺を見て、自分が必要不可欠な人間であると認識できている。だから、そんな俺に応えるためここまで話してくれた。なのにそこに嘘があっては信頼値が損なわれる原因になりかねないわけで、悠にとって何も得がない。

 今は俺も一切疑いの目を向けず、与えられた情報をメモ帳にしっかりと書きこんでいく。


「あとは受動的な人ですかね」


 と、その言葉につい走り出したばかりの筆が止まる。


「えっ、それってさっきの弱点の話と繋がっているの?」

「んーと、関係がないとは言い切れないですね。今は多少なり自制できていると思うんですけど、ついさっき言ったようにお節介焼きなのでどうしても何かしてあげたいと思う節があって」


 なるほど。その先に本人の精神的な成長に繋がることを好むのではなく、ずっと世話をしてあげたいと思う、いわゆる尽くしすぎる女性なのか。ヒモ男を誕生させてしまう人間なわけだ。

 こういう人って結局のところ依存的な資質があって、自分が必要とされるために相手をひたすらに甘やかす傾向がある。実際に仕事が出来て大事な会議を任されていたところからも説得力はあるな。


「お兄さんは今、自分の良いところを見せようと必死になっていると思うんですよ、実際のところ。こうして私にわざわざ情報を求めてくるのもその一環でしょうし」

「否めはしないね」

「ですよね。だからこそ、話の繋がりを気にした。ただ、さっきも言ったように社会人になってからというものそういう気配が全くなくて、もしかすると好みのタイプが変わっているのかもしれません。上下関係がさらに厳しくなるはずの会社でもう数年も後輩を見てきたはずなのにひとりもいないっていうのはおかしいですから」


 たしかに! その意見に激しく賛同します!

 ……でも、その場合、悠にもわからないということになる。情報の回収源がなくなってしまうわけだ。それは困るというか……。


「ご心配なく」


 そう続けた悠は多分俺の表情を見て考えていることを察したのだろう。


「なにもこの情報を与えるだけが手土産じゃないですよ。だって、これじゃあ結局お兄さんの得にはなりませんし。私がその辺りを調査してみようと思います。とはいっても、探偵みたいに調べまわるわけじゃなくて本人との対話で少しずつ情報のアップデートをしていく感じですけど」

「いやいや、それでも十分だよ。俺からしたらやっぱり直接聞きだせないから。好意を見せつけて早々に道を断たれるのは勘弁したい」


 真っ暗な闇を突き進むほどの青春っぽさをもう俺は持ち合わせていない。堅実に明かりを照らして、見える範囲にのみ足を踏み入れる。もし勇気を振り絞らなければならないとしても今じゃないし。

 とにかくここは回収率の高いであろう悠に望みをかけて俺は以前の先輩に刺さるような行動を取ってみてもいいと思う。


「そこで悠にお願いがあるんだけど、俺はわざと甘えることを覚える。その練習に付き合ってもらうことってできる?」

「もちろん構いませんよ。いくらでも甘えてきてください」


 そう言って両手を広げ、いつでも飛んで来いと堂々と構えているが甘えるといってもそういう意味じゃないだろう。

 わざとやっているとわかっているからこそ、プッと吹き出してしまった。

 悠も釣られるように笑って朗らかな空気が流れていく。それにしても本当に笑顔も可愛らしい子だな。

 落ち着いた後、これからの互いの動きを再確認して悠は先輩の情報収集を、俺は人に甘えることへの葛藤をなくすための練習を始めることになった。改めて言葉にすると、大分俺が情けなく見えるというか奇人に見えるというか。まあ、そこを気にしていたらなにも進まない。


「じゃあ、そろそろ家出ますか」

「ですね。私も大学に向かわないといけませんから」


 一通りの話を終え、スーツに着替えてリュックを背負えば準備万端だ。

 鍵がひとつしかないので今日のところは俺が閉めておく。合鍵をつくって悠に渡しておくのもいいけど、そこまでの信用はまだなぁ。


「あっ、いいですよ。鍵は前みたいにポストのなかに入れておいてくれたらそれを取って入りますから」

「本当、悠はエスパーだね」

「もしかして考えていること当てちゃいました? でも、そういう特殊能力なんかじゃなくて、鍵に視線を落とした後に考える素振りをしていたのと一度私の方を見たのでこういう感じかなって勘で話しているだけですから」


 そういう観察力がまた凄いんだけどね。


「そうかい。まあ、いいや。悠がそう言ってくれるならまた入れておくよ。ロックナンバーは知っているよね?」

「はい。お兄さんの誕生日ですよね」

「そうそう」


 それから靴を履き、悠に外に出てもらい、俺が鍵を閉めるため扉と向き合った瞬間、右手側から声が聞こえてきた。


「えっ……」


 その声の主が誰か判断するのはあまりにも簡単で、あまりよろしくない展開だなと思いつつも顔を向ける。すると思っていた通り、理解が及ばないといったように視線を俺と悠で行き来させているお隣さんの未鷹くんが立っていた。

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