四十九日目 先輩を誰よりも見ていた存在

 悠と話をして家事は互いにするという意識を忘れずにという形で決まった。元より、俺はこれまでもしてきたし、悠もよく行っていたそうなのでなにも困ることはない。


「お兄さんっていつも何時ごろに起きて、出勤されるんですか?」


 共同生活初日、今日は俺が朝食をつくろうと簡単に鮭の塩焼きとインスタントの味噌汁に炊いた白米を合わせて準備万端だ。ちなみに悠がこれからは味噌汁をつくりますよと言ってくれたのでインスタントとはこれでおさらば。当然手作りの方が美味しいし、好きだから楽しみだな。


「先輩から聞いてない? 出勤時間の話」

「いえ、全然。普段はプライベートな話ばかりですから」


 あくまで知っているのは資料のあった俺のことぐらいってわけか。

 二人分の食事を並べて置くと狭く感じてしまう丸テーブルの前に俺たちは座り、話を続ける前に手を合わせていただきますと声を合わせた。

 こういう一人暮らしだと十分に感じていたものが二人になったことで使い辛くなることはこれからも多く見られるだろうから、今週の休みに悠と一緒に出掛けようか。


「そうなんだ。基本的に決められているわけじゃなくて、七時から十時までの間ならいつでも出勤していいんだよね。なにか用事があるときは先輩に合わせているんだけど、最近は九時に会社に着くように出ているかな」

「そんな自由な会社だったんですね」

「一応、子供向けの玩具を制作、販売しているからね。俺たちはその現場の売り上げをまとめる事務だけど、会社として柔軟な気持ちで物事に取り組んで欲しいために自由で過ごしやすい環境を提供しているみたいだよ」


 就活をしていた頃、こんな良い待遇の会社はないとすぐに面接を受けようと決めたことを今でも覚えている。


「じゃあ、社内恋愛とかも自由なわけだ」

「それは別に芸能事務所じゃないんだから自由に決まっているじゃないか」


 おかしなことを言うものだからつい笑ってしまった。

 ただの会社にそこまで管理する権利が与えられていたら地獄だろう。


「ですよねー。お姉ちゃんが社会人になってからめっきりそういう話聞かなくなったのでちょっと気になってて」


 ん? 俺はその話が凄く気になります! つまりは大学生までは恋人がいたけれど、就職してからというもの縁がないということになる。

 これはまさか何気ない悠からのヒントなのでは?


「ちょっと待って、その情報もうすこし詳しく教えてくれない?」

「さすがの食いつきですね」


 前のめりになってしまったがために笑われてしまったけど、それでも得たい重要機密。

 なにより先輩をよく知る身内からのタレコミだ。ここの嘘はすぐバレる可能性があるからわざわざつくようには思えないし。


「ダメかな? ほんのすこしでいいんだ。俺の想いを知っているのは悠ぐらいだから」

「私は別に構いませんよ。ぜひぜひ、お姉ちゃんに全力でアタックして欲しいですから」

「本当!? それならお願いします!」


 清々しいまでの懇願の土下座。

 悠から次の言葉を頂けるまで頭を上げるつもりはなかったけれど、カシャッと鳴ったシャッター音に思わず顔を上向けてしまう。

 案の定、目の前にいる悠はスマホをこちらに向けていた。

 今撮ったでしょっ! とこのまま地に付いている両手の力で立ち上がり、すぐさま消すよう言おうとしたが未だ俺が顔を上げたことに気付いていないのか、何も反応がない悠の表情をすこし頭をずらして見たときそこにあったのは恍惚であった。

 それが優越感によるものなのか、それとも考えたくはないけれど愛玩動物に向ける一種の愛情表現なのか、その答えは知らぬが仏というやつか。


「あっ、お兄さん、そんなみっともないことしないでくださいよ」


 ようやく俺と目が合った悠は先程までたしかに現れていた感情を隠し、この状況が虚しいと言うように困り顔でため息をついた。


「ああ、で、でも! それは絶対手に入れたいから!」

「分かってますよ。ついさっきも言ったじゃないですか、私はお兄さんにアタックして欲しいって」

「ということは?」

「もちろんお教えしますよ。お姉ちゃんの情報が私の手土産みたいなものですし」


 よしっ! 心のなかでガッツポーズ。

 さっきのことは一旦記憶のなかに保存してなにより優先すべき情報をしっかりインプットさせよう。

 ただその前に、今さらながら思い出したひとつの疑問を姿勢を正し、そのまま口に出してみる。


「そういえば、悠は俺とのことをどう先輩に説明しているんだい?」

「もちろんお兄さんということは隠して先輩の家に居候するって話してますよ。それぐらいの嘘はいいでしょ?」


 悠にとって必要な嘘だったかどうかと問われると怪しさは実際ある。これには俺の都合が含まれていて、それを汲み取った悠が敢えて誤魔化してくれたのだから。

 貴方はこれを許容するのねとチクリと刺されたような気分だ。とはいっても、救われた身である俺は頷きを返すことしか出来ない。

 とにかく先輩を騙せ……いや、誤魔化せているならそれでいいか。


「じゃあ、お待ちかねのお姉ちゃんの恋人遍歴の話でもしましょうか」


 これからもこうして悠に頼って情報を集めていくのは有意義だろう。共同生活をすることになったのだから遠慮なんて要らないだろうし、俺のなかで拭いきれていない頼りにされることで存在価値を見出しているのではないかという悠の内情に対する見解も満たされるし、損なんてないはず。

 有益な情報を逃さないため、会社で使うためのメモ帳とボールペンを用意して態勢は整った。

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