四十一日目 何事も種を蒔くところから始まる

 優梨愛、もといはるかちゃんを家のなかに招き入れる。

 未だ三回目の来場だとは思えないほど滑らかな流れでダイニングまで向かい、俺と自分の麦茶をコップに注ぐその姿はまるでお客様とは思えない。それこそ、同棲している彼女のようだ。


「お兄さん、今のうちに着替えてきたらどうです?」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 一旦自室に戻りスーツはハンガーにかけ、シャツをかごに入れてリュックを床に置く。そうしてまたダイニングに戻っていった。

 丸テーブルの上には先ほど用意してくれていたコップと恐らく棚から取り出したのであろうわらび餅が出されている。ちなみにきな粉。


「お兄さん、これ食べてもいいですか? あっちでいろいろしているうちに見つけちゃって」

「構わないよ。つまみながら話そう」


 付属の楊枝とは別に自分の爪楊枝をこれもキッチンの引き出しに仕舞っているケースのなかから出して持っている。あくまで家主の俺に食べやすい太めの楊枝を渡すのはさすがだね。

 ここから優梨愛ではなく、悠ちゃんについて話をしていくわけだが、多分呼び名は悠の方が良いだろうな。


「悠はきな粉が好きなの?」

「んー、どうでしょう。逆にお兄さんは買っているくらいだから好きなんですよね?」

「もちろん。小さい頃からずっと好きだよ」

「なら、私も好きですよ」

「なにそれ」

「えへへっ」


 甘ったるいやり取りに胸焼けしてしまうかと思ってしまった。恋人とする分には悪くないんだろうけども。

 ただ、悠が時折見せるこの顔を蕩けさせるような笑い方は可愛いので見れて良かったと素直に喜ぼう。


「本当はこんな感じで軽い話を続けたいんだけど、そういうわけにもいかないからさ。まずは改めて自己紹介してもらってもいい?」

「あっ、はい!」


 返事と共に表情を戻し、座椅子の上で背筋をピンと伸ばす悠。


「本名は花宮悠。今年から大学生になった十九歳です。お姉ちゃんが持って帰っていた新入社員さんの資料で初めてお兄さんのプロフィールを見ました。だから、誕生日もどこに住んでいるのかも会う前から実は全部知っていたんですよ」

「なるほど。後半は今更どうこう言うような問題じゃないから後回しにするけれど、十九歳ってお酒飲めないじゃん」

「あっ、気付いちゃいました?」


 うわー、やられた。これ誰かにバレたら俺が罰せられます。普通に怖いよ。


「でも、大丈夫ですよ。誰にもお酒飲んだこと話してませんから。当然お姉ちゃんにも。わたしたち二人だけの秘密です」


 そう言った悠はグッと距離を詰めてきて、反応できずに固まってしまった俺の耳元で囁くように続ける。


「軽かろうが重かろうが、犯罪の共有ってちょっとドキドキしませんか?」


 何を言っているんだ、この子は。思わず唾を飲み込んでしまった。明るい雰囲気でいたはずなのに二人きりゆえ、その言葉で空気を一変させられる。

 これまでは俺の目線の下に彼女がいたのに、グッと腕で身体を押し上げたことで漏れた息が耳に触れる感覚と見下ろされている視線になぜか支配されたような恐怖心が顔を出し始めた。表情がうまく見えないのもまたそれを助長させているみたいだ。そうして黙り込んでいるとクスッと笑われ、今度は顔の位置を若干下げて見上げてくる。唇は満足気に広がり、からかわれているようで。

 その意図は? なんだか作りあげられたこの空気のなかで遊ばれている感が否めない。


「なんて、冗談ですよ。私もお兄さんも捕まるようなことはないし、ちょっと私の経歴に傷がつくくらい」

「あ、ああ、そうなんだ。もしかして、前に言っていた傷のつけ合える関係って……」


 目は悠と合っているけれど、意識はあまり向かっておらず、何を元に思考すればよいのかわからないまま混乱している脳から出た言葉はあまりにも面白みのないもの。


「ん? あー、上手いこと言いますね」


 それなのに悠はこんなふうにお世辞を言って話を続ける。


「でも、そんなんじゃないです。だって、二人でお縄についたら意味がないじゃないですか。言葉の通り、喧嘩して口で傷をつけてしまったり、手で傷跡を残してしまったり、そういう関係のことですよ。他で言えば身体を交合わせたときに噛み跡を残すとか。がおーって感じで」


 最後は雰囲気を和らげるためか口を大きく開けて可愛らしく言って見せてくれたけど、一瞬で芽生えた恐怖心はしっかりと根を張って植え付けられた気がした。ある意味、これも傷をつけられたのかもしれない。

 とにかく一度会話の流れを切りたいからお茶を飲み、すこしだけ悠との距離を取る。すると、悠も座椅子に戻り姿勢を正した。

 はぁ、早速ペースを握られて何をしているんだ俺は。多分、ここまでの流れ全てが悠の遊びで見事俺は付き合わされただけ。

 ちらっと表情を確認しようと彼女の方を見てみれば、楽しそうに身体を横に振っているので間違いない。

 ダメだ、ダメだ。今日は俺が主導権を持って悠の全容を明かすんだから。今一度、気を引き締め直して質問に移ろう。

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