四十日目 嘘は誰のために、そして何のために
スマホで今日あったニュースを確認しながら自宅へと向かう。
どうやら元彼女が愛するあまり、他の女のことを選んだ元彼を許せずに腹部に包丁を刺し、重傷を負わせたらしい。傷をつけ合える関係もここまでいけばもはや別物だな。言葉をそのまま鵜呑みにする者は良好な関係を築けるとは思えないけれど、これは究極系かも。
言葉の表向きの意味だけでなく、そのなかに秘められたものを解読することでその言葉を発した人間を理解できるようになるわけで、それを怠ったことがこの事件のような悲惨な結果を生み出したのだろう。
「それにしても夜、彼女の家から自宅に帰る途中で待ち伏せされて刺されるなんて可哀想だな」
特に交際時に大きなトラブルがあったようではないみたいで恨みによるものだというのが尚更怖さを増している。
もちろん何かがあったからといって同じように傷つけてしまった時点で両成敗となってしまうのだから同情こそあれ許されるものではないが、この場合はもはや一方的なもの。同情すら得られないなんて。
それからは同業者のニュースであったり、エンタメであったり、適当にいくつか読みながら歩いているとアパート前に到着していた。
思えばここは入り口がこの道しかないからもし待ち伏せでもされていたら逃げようがないな。まあ、待ち伏せてくれるような相手がいるわけもないんだけど……。
冗談交じりに考えていたがホラー映画を観た後のトイレに行くのが怖いみたいな感覚で、どうにも周りが気になって仕方がなくなる。故に下から俺の部屋の方を見てみるもお隣さんの部屋すらも良く見えず、その隣がギリギリ見える程度。あー、怖い。
こういうときのエレベーターは更に恐怖心を助長させるからなくて良かったかも。ただまあ、階段は階段で一方通行というデメリットはあるんだけど。
数段上るたびに前後を確認してあるはずもない気配にビクビクしながら登り切り、ホッと胸をなでおろして前を向いた瞬間、ギュッと心臓を締め上げられるような感覚と共に唾を飲みこんだ。
俺の部屋の前に人がいる。今は知らない誰かの方が良かったと思えるほど、顔を合わせたくない人物。それは彼女の全てが分からなくなったから。
あちらはまだ俺の存在に気付いていないみたいだ。今なら足音を立てて階段を下りても逃げきれそう。でも、ここで逃げておかしいと思われるのは俺の方だよな。優梨愛からすれば意味が分からないといった状況が出来上がるだけだし。
「あっ」
そんなことを考えていたら視線でも感じ取ったのか、優梨愛がこちらを向いて手を振ってきた。
とりあえずは俺も笑みを浮かべて手を振り返す。
近付くにつれ見えてくる表情は明るく、まるで隠し事など微塵もないような透明さまで感じられるその事実にむしろ戦慄する。
「お兄さん、こんばんは!」
「ああ、こんばんは」
まだ時間が十八時半で良かったとこんなに思ったことはない。外には十分人通りがあるし、叫べば反応ぐらいはありそうだし、とにかく落ち着いていこう。
「どうしたの? またお隣さんいなかった?」
「それはまあ、そうなんですけど。別に未鷹くんに用事があってきたわけじゃないので」
「じゃあ、俺に?」
「はい!」
うーん、この元気な声のおかげか恐怖心が薄れていく。やっぱり嘘はついていたけれど、それはお隣さんのためであって結果として俺が巻き込まれただけのような気も。優梨愛はお隣さんの彼女だって言ってくれたし。
「その用事っていうのは?」
「いやー、ちょっと今日お電話したときに多分、いろいろバレたんじゃないかなって思って。元々騙すつもりじゃなかったんですけど、もし疑いの目を向けられてこれまでの関係がなくなるのは嫌だからちゃんとお話ししておこうと」
ほらっ、思っていた通りだ。
なにより今俺を安心させてくれる言葉。騙すつもりではなかったということは、対象が俺になかったという証拠であると考えられる。
そもそもあのとき、お隣さんが居留守を使うこと自体しっかり遊びの約束を交わしていた優梨愛にとっては想定外で俺の家に急遽お邪魔することになったんだから。
「お兄さんのその表情から見ても、やっぱり私のこと悪い方向で捉えられていた感じですよね」
「ごめんね。信じてあげたかったんだけど、これまで自分の傍にいた君が全て嘘で何のためかはっきりわからない状況になっていたものだからどうしても怖くてさ」
「ですよね。私ももっと早くに説明しておけばよかったなと反省はしているんです」
言葉の通り、先程までの明るさとは一変して申し訳なさを募らせる表情を見てこの言葉に嘘はないのだろうと確信した。
「でも、優梨愛として出会ってその姿ばかり見せてきたから、本当の自分を曝け出したときにこれまでと違うと引かれたり、冷められたりするんじゃないかって怖くなっちゃって。ついつい嘘を重ねてしまっていたのはごめんなさい」
「ううん、ちゃんと明かして謝ってくれたのならもうそれでいいよ。ていうかさ、その辺の話をちゃんと聞きたいんだけど、良かったらこのまま俺の家で話さない?」
急に警戒心を解きすぎかなとは思う。それでも一緒に野球観戦をしたときの優梨愛は偽物のようには見えなかったし、偽物であって欲しくないから誘ってみる。
もちろんですと快諾してくれた優梨愛とそのまま家のなかに入っていった。
「それにしてもよく俺にいろいろバレたってわかったね」
「まあ、わざわざ大学生のことを見て私に電話をかけてくれるほどお兄さんが私を好きでいてくれているとは思えないし、会社の休憩中でなかにいるとしても外にいるとしても他の音が一切聞こえてこなかったのはおかしいし、聞きたいことがあるといいながら自分の要件をぶつけるためだけのように感じられる時間の制限やその内容の薄さも気になっていたところにお姉ちゃんの声が聞こえてきたので」
「お、おお、凄い推理というか詰め方だね」
「いえいえ、こんなの普通誰でもそう思いますよ。何事も観察が大事ですから」
ニコッとはにかむ姿が俺の恐怖心を呼び覚ましたことは察せられないように気を付けよう。
とにかく今の発言で優梨愛が先輩の妹さんである
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