三十七日目 怪しいものが次々と

 先輩の家に入り、玄関先でまず気になったのはこの香り。

 これは俺が先輩のことを家に招待したときに使ったグレープフルーツのやつと同じものだ。鼻が凄い利くわけではないから確証はないけれど、限りなく似ているような気がする。


「あっ、気付いた?」


 俺がつい鼻をすんすんとぴくつかせていたのが見えたのか、先輩が聞いてきた。

 そりゃ、気付きますよ。正直、ここからの会話の展開次第では喜びが心に満ちるんですから。


「グレープフルーツですよね」

「そうそう。この前、棟永とうながくんの家に行ったときにも言うのを忘れていたんだけど、実は妹がせっかく女二人なんだから香り良くしようってアロマ? の香りを出す機械を買ってきてくれてさ。ちょうど同じ匂いだったんだよね」

「へぇー、とんだ偶然ですね」

「だよね」


 なんだ、先輩が気に入ってくれてわざわざ買ったわけじゃないんだ。

 そういえば、あのときはスルーしていたけど、やっぱりいい匂いだって話してたっけ。あと、先輩の話し方からして本人はあまり興味がなかった感じなのかな。


「ちょうど一週間ぐらい前かな。それぐらいに妹が今更いろいろと買ってきてね。先輩に車出してもらうんだーなんて言ってたから嫌な予感してたんだけど、結果としては凄くいいものだったから良かったよ」


 なんだか似たような話を最近聞いた気がするなぁ。まあ、偶然だろうけど。

 それから靴を脱いで丁寧に揃えて先輩の案内を待つ。今の時点でわかることはどうやら玄関から一番近いところに一部屋あるということと、真っ直ぐ伸びる廊下と恐らくリビングに繋がっているのであろう扉の間にもう二つあること。その近くに電気のスイッチがあることから洗面所と風呂場、それとトイレだということが推察できる。


「ああ、妹の部屋は入っちゃダメだよ」

「えっ、じゃあ、先輩の部屋なら――」

「ダメに決まってるでしょ。そういう揚げ足取りはいらないよ」

「すみません。それにしても見た感じ、先輩の部屋に通ずる扉がないみたいなんですけど」

「ああ、それはリビングから入れる場所にあるからだよ」


 なるほど。先輩の部屋は奥にあると。見れないのは残念だがチラッと覗くことはできるかもしれない。そのチャンスを逃さないようにしよう。


「それじゃあ、リビングの方に案内するわね」


 そう言って廊下を進む先輩について行く。扉が開かれると、その先にはダイニングとリビングが繋がったつくりとなっている大きな部屋が待っていた。

 俺のダイニングキッチンが比べものにならないほどの広さだ。さすがだなー、先輩は。カーテンが水色でちょっと可愛らしい。


「適当に椅子に座って待ってて。お茶持ってくるから」

「ありがとうございます」


 ここで手伝いに行くのはひとつのアピール方法かもしれないが、俺はこの家のどこに何が置かれているのか知らないわけで、持ち運びだけにキッチンに向かうのは悪手だろう。

 ここは大人しく言うことを聞く方が得策だ。

 それにこの時間を使って部屋をぐるっと一周見渡してみる。木製の椅子と長脚のテーブルが置かれているのがおおよそ部屋の真ん中で、さっき通った扉の近くからキッチンに入ることができる。そこからこちら側に壁がないからしっかり顔を見れるつくりになっているのは良いところ。

 ちょうど今、冷蔵庫を開けて麦茶のペットボトルを取り出している先輩の姿が見えていて微笑ましい。あー、あの人が奥さんだったらなーと欲が口から出てしまいそうで怖いわ。


「おっ、ゲーム機だ」


 これはちょっと意外。先輩に視線を気付かれるのはよろしくないと思って反対側、つまりは俺の背中側にあるテレビの方を見てみると、先輩のイメージには似合わないそれがあった。

 家族でも遊べるパーティーゲームが多い機体ではないのでなおのこと。近くにカセットのパッケージが見当たらないため、どんな内容のものをプレイしているのかも分からない。ちょっと聞いてみよう。


「先輩ってゲームするんですか?」

「ん? ああ、それは妹が買ってきたの。私も妹も元々そういうのには興味なかったんだけど、急に欲しがってね」

「それでどんなゲームを?」


 俺の質問に答える前に先輩はさっき見えた麦茶とコップを二つお盆に乗せてもってきてくれた。ありがたく受け取り、まずは一口喉を潤すために飲む。

 先輩は立ったまま同様に喉を潤してコップをテーブルの上に置くと恐らく自室に繋がる扉の方に向いながら話の続きをしようと口を開けてくれる。


「殆ど野球のゲームかな。ほらっ、昨日例えで言ったでしょ、深瀬くんはユーティリティープレイヤーだけどそれ止まりで、棟永くんはこれから成長して追い抜かすって話。それも妹が遊んでいるときに選手の評価の話を聞いてさ、数字で総合力を表しているんだってね」

「あの例えはそういう経緯があったんですね。それにしても、妹さんが急にっていうのがまた」

「私もびっくりしちゃってさ。なんでも選手の名前を覚えるにはこれが一番とか言ってたけど、スポーツ関連のアナウンサーにでもなりたいのかなって勘違いしちゃった。まあ、結局棟永くんの好きなチームの選手たちの名前をしっかり覚えて、それからいろいろと調べていたみたいだけど、ほらっ、テレビの前にキーホルダーの付いた鍵置いてあるでしょ、あれ妹のなんだよね」


 はー、そこまでの嵌まりっぷりは凄い……というか、これもまた聞いたことのあるような話。いやいや、でもまさかな……うん、ないない。

 一応キーホルダーを見れば俺の好きな斎藤選手のものだな……そういえば、前に適当な受け答えをしてしまったけど、あれを二つ買ってしまったどうこうの話を優梨愛ちゃんがしていたような……にしても、優梨愛だしな。妹さんははるかだって言ってたから。

 うん、ちょっとこれは一旦頭の隅に追いやろう。気が散ってしまう。


「私、着替えてくるからもうすこしだけゆっくりして待ってて」

「あっ、はい、わかりました!」


 返事をしている間にせっかくの先輩の部屋を覗くチャンスが消えてしまった。くそっ、やっちまった。

 ああもう、とにかく今は先輩と二人きりだという空間を存分に楽しみたい。やっぱり隅に追いやるんじゃなくて、一回スッキリさせたほうがいいだろう。

 先輩が戻ってくるまでの間に確かめようとスマホを開き、優梨愛ちゃんに電話をかける。数回のコール音の後、彼女の声が聞こえてきた。加えて悠里の声も。

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