三十三日目 自由の時間が削られていく

 カーテンの隙間から顔を照らしてくる陽の光に起こされ、スマホの時間を確認する。

 七時ちょうどか。今から仕度しても十分間に合うだろう。

 それにしても昨日というか今日というか、優梨愛ちゃんとの話は結局のところ核心に迫ることはできなかった。ただ、なにか害がある雰囲気を感じたわけではなかったから、一旦はまた放置でもいいかもしれない。


「さあ、顔洗ってこよーっと」


 ベッドから降りて洗面所に向かい、意識を完全に醒ます。それから諸々の支度を済ませて家を出る。

 電車のなかでスマホにメッセージが入っていることに気付いた。どうやら先輩からみたいだ。


『今日、出勤してきたら通常業務をするんじゃなくて、とりあえず話があるからデスクに座って待ってて』


 はて? 思い当たる節はないが、どういうことなのだろうか。特別な業務についての話を聞いたこともないし。もしかしたら俺にとっては初めての体験だけど、会社としてはよくあることが発生したのかな。


『わかりました。今、通勤中で二十分弱後に着くと思います』

『了解。慌ててくるような内容ではないから、事故に気を付けてきなさい』

『ありがとうございます』


 知りたい情報を得ることができ、一安心。とりあえずは落ち着いて向かえる。

 そうして、会社の最寄駅から歩き、いつものようにビルの八階へとエレベーターで上がっていった。


「おはようございます」

「おう、おはよう」


 フロアのなかに入るとレコーダーの前に皆山さんと深瀬がいたので、とりあえず挨拶を済ませて先輩に割れた通りデスクにリュックを置いて待っておく。

 こうも見当がつかないでいると、すこし期待を感じられるな。ようやく通常業務に慣れてきたところで新たな仕事を振り分けられる。一か月前の俺からすれば考えられないこと。

 毎日なんだかんだ真面目に向き合ってきた甲斐があった。まさかここまで自分に順応力があるとは思わなかったけど。


「おはよう、棟永とうながくん」

「あっ、おはようございます」


 相変わらずスーツを着こなしている先輩がフロアの奥側から声をかけてきた。やっぱり悠里も綺麗だけど、先輩とはまた違うものなんだな。髪色が大きな違いになっているのだろう。

 日本人らしい美しさと欧風な華やかさ、言い表すならそんなところか。どちらも堪らんけどね。あと、微笑んで挨拶をしてくれるところが良い。


「それでお話しとは?」


 目の前にある自分のデスクに置いていた資料を手に取った先輩は椅子に座ることなく、俺の傍に戻ってきてそれを渡してくれる。


「ひとまずこれを見ながら聞いてちょうだい」

「わかりました」


 そう言われ、受け取った資料の表示を見てみれば大きくタイトルが印字されていた。


「新入社員共同商品企画案について、ですか」


 分かりやすく俺たち一年目の新人を対象とした会社の企画。そりゃ、俺が勘付くはずもないわけだ。それに先輩が慌てなくてよいと言ったことも毎年の恒例企画なのだと教えてくれる。

 とりあえず、質問が浮かびはしたが記憶しておいて話を最後まで聞こう。


「そう、ここの恒例行事なんだけど、新入社員とその指導役がここまでの成長力と指導力を測られるのよ。そもそもこれに携わるには権利を得る必要があるんだけど、それが先週あった会議に出席した者に与えられたの」

「本当ですか? 先輩、ありがとうございます!」

「別にそこまで気にしなくていいわ。一応ライバルはもう一組いるわけだし」


 あー、だからさっき皆山さんと深瀬が一緒にいたのか。このことについて話をしていたところだったんだろうな。ライバルが能力は優秀な深瀬となるとなかなか厳しい戦いになりそうだ。


「こらっ、なにもう険しい表情浮かべてんの。深瀬くんに劣っているなんて考えているんじゃないでしょうね?」

「い、いや、そういうわけじゃ……」

「嘘つかない」

「す、すみません。でも、仕方ないじゃないですか。初めから仕事をこなしていたあいつとここ最近こなせるようになった俺とじゃ、差は明確なわけですし」


 本当はポジティブな発言をして先輩の印象を良くしたいけれど、それをしたからといって企画案が通るわけでもなく、気持ちは素直に表情に出すべきだろう。と、口では隠そうとした俺が言っても説得力はないが。


「そうかな?」


 首を傾げる先輩は俺とあいつのどこが変わりないと思っているのだろうか。

 正直、自負できることなんて性格の良さぐらいしかない。それも俺が良いというわけではなくて、あいつが悪いという意味で。


「だって、あの子はたしかに初めにしてはうまくやっていると思うけれど、ここ二ヶ月何か新しいことを身に付けたかと言われれば殆ど無に近いと思う。野球ゲームの総合評価で例えるなら二百九十が二百九十五になった程度。典型的なユーティリティープレイヤーよ。それに対して棟永くんは入社時こそ能力値に目立つ箇所はなかったけど、毎日腐らず業務にあたったおかげで百から二百七十に上がっている」

「それ、負けてるじゃないですか」

「今はね。でも、この企画案の提出日は二週間後に仮、そこから本番まではさらに一週間もある。つまりはその期間も成長の余地があるわけ。その事実から考えると仮期限でも君は深瀬くんを追い越せるだけでなく、本番ではその差をはっきりと広げられているはずなのよ!」


 おお、なんだか先輩に力説されるとできるような気がしてきた。いや、やれる! 俺だからこそやれるんだ!

 つい鼓舞するためにグッとガッツポーズを取ってしまう。あっと思ったときにはすでに遅く、しっかり先輩に見られた上にその調子よと言葉をかけられたものの笑われてしまった。


「と、とにかく、先輩がそこまで言ってくださったんですからご期待に添えるよう精一杯向き合わせて頂きます」

「お願いね。ちなみに今日からプレゼン本番日までは通常業務がいつもの半分になるから、パパっと終わらせてしまいましょう。期間はあるにしてもどこで躓いて余裕が削られていくかわからないし」

「はい!」


 これからどうしていくのか、まだまだ初体験の俺には未知だが先輩の足枷にならないようにというだけでなく、一戦力としてしっかり役に立つという意識で頑張ろう。

 そのためにもまずは資料を一度読み、情報を頭のなかにインプットさせていく。その間、先輩は二人暮らしをしている妹のはるかさんに今日から仕事の都合で帰る時間が不確定になるため、夕食は用意しなくていいという連絡を入れていた。

 その名前を思い出したとき、連れて悠里が言っていた訓読みの方が好きだという話も浮かびはしたが今は一旦記憶の引き出しのなかに仕舞っておく。

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