三十二日目 捕まえきれない悪党

 今は一人、ベッドの上で寝転んでいる。

 悠里とはその後、すこしだけプライベートな話をして解散した。

 そのなかで得た情報としては特に役に立つというようなものではなくて、先日彼女と優梨愛ちゃんで買い物に行ったときにあれは違う、これも違うと優梨愛ちゃんが商品を吟味していたことぐらい。悠里からしてみれば機能は殆ど変わらず、見た目の違いだけなのによくそこまで悩むなぁとしか思わなかったそうだ。

 インテリアに凝っている人からすればたったそれだけでも大事なんだろう。

 さて、時刻は日を跨ぎ、出勤のためにこのまま寝たほうが良いとは思うけれど、その前に優梨愛ちゃんに連絡を入れておきたい。以前、この時間に返信があったから起きている可能性は十分考えられる。


『今日、さっそく悠里と話したよ』


 まずは何事もなかったかのように振る舞おう。相手に空気を察せられて考える時間を与えるのは得策ではないからな。

 その分、電話までこぎつけられたら明確に言葉の出る早さがわかることでどこで詰まったとかむしろここは早口で流そうとしているとか、そういった感情を聞き取れる。


『それは良かったです! 提案した身としても安心しました。迷惑になってしまったのではと後々になって後悔していたので……』


 相変わらずの早さだ。もう驚きもない。というか、俺自身、返事が来ない時間が長ければ長いほど気にしてしまうタイプだから実は助かっている部分はある。だからといって、ずっとメッセージを送り合うだけでは前に進むはずがなく、さっそく電話を繋ぐことができるかどうか確かめてみよう。


『悠里との今日の進捗を報告したいんだけど、電話してもいいかな?』

『ええ、もちろん。責任者としてお付き合いさせて頂きます』


 はは、どうやら乗り気でいてくれているみたいだ。

 この調子で俺の考えを勘付かれず進めていけば問題はないはず。とはいうものの、ここまでどれだけの謎を振りまいてきたのか分からないが、今日初めて、しかも協力者である悠里がついボロを出すまで疑いをかける要素が殆どないように思えたぐらい言葉の使い方が上手な子。

 もちろんそれが単に俺に関係のないところで発動している嘘故に気付けなかったという道も当然あるし、その上で俺に内情をばらして外に漏れるリスクを増やすぐらいなら一緒に騙しておいた方が良いと判断されたと考える方が道理が通っていると思う。

 それでも、モヤモヤを植え付けられたからにはできる限り晴らしたい。それにせっかく同じ趣味を持ってくれた優梨愛ちゃんに興味が湧いてきている段階なんだ。こんなところで関係を断つような展開は望んでいない。


「こんばんは」


 コール音を全く聞くことなく繋がった。


「どうも」

「ごめんね、夜遅くに」

「気にしなくていいですよ。ただ、長くは話せないです。明日、一限に遅れるわけにはいかないので」


 これすらも無駄に話を長引かせないための策かと感じ取ってしまう。俺は嫌な奴だな。


「それで、ご報告って言っても感想みたいなものですよね?」

「うん。そもそもの目的が恋人に近い人間関係を得ることで自分に自信を与え、余裕を生むことだからね。今日の心境変化を伝えるようなものかな。自分で日記をつけてもみるけど、第三者視点で変化が見受けられる箇所を教えて欲しいなかで事情を知っているのが優梨愛ちゃんしかいないから頼みたいんだ」


 俺の言葉に対してふふっと微かな笑い声が聞こえてきた。面白いというよりも喜びが零れてしまったようなものに聞こえたけど、そんなところあったかな。選択肢は初めから優梨愛ちゃん一択だったから、取捨選択したわけではないし。


「好きなだけ頼ってください。私はお兄さんと会社の先輩さんの恋のキューピッドになれればそれでいいので」


 発せられた言葉自体におかしなところはない。さすがに気が立ち過ぎていたか。

 よしっ、切り替えてここはさっそく放り込もう。


「それで言えば、悠里のことも手伝ったんだってね」

「へぇ、もうそんな話したんですね。てっきり今日は自己紹介やら趣味の共有ぐらいかと思ってました」

「俺もそのつもりだったんだけどね。お酒飲んだからかな。元々気さくなんだろうなって部分が表に出て会話が弾んだんだよ」

「はぁ……お酒飲んじゃったんだ」


 あからさまに呆れた溜め息。多分、なにかしらやらかしたのではという疑問が生まれたな。


「飲ませない方が良かった?」

「うーん、仲良くなるために杯を交わすのはもちろん必要なことだとは思いますよ。やっぱりアルコールが全身に行き渡って酔いが起こればその人の素が出てくるわけで、それを見せても良いと思われている証拠にもなりますから。ただ、あの人の場合、普段はしっかりしてて学生時代なんかは生徒会長もやるぐらいだったんですけど、あっ、この話って聞きました?」

「聞いたよ。そのおかげで悠里と君が二歳差だということも知れた」


 自分から出したってことはそこまで重要なことじゃないんだろうな。

 まあ、これに関しては俺が勝手に一歳差だと勘違いしていただけだし。実際に先輩後輩という関係性は紛れもなく本物であるだろう。一応、言葉遣いから同級生という線を追う余地はあるのかもしれないが、その線上に俺が欲しい情報が待っている可能性は限りなく低い。


「えっ、それはつまり悠里が一歳差だと嘘ついてたってことですか?」

「いや、間違ってはいないんだけど、俺が勘違いしてそう言わせてしまったみたいなところはあるかな」

「あー、びっくりしました。サバ読むような年齢じゃまだないですもんね」

「そうだね」


 世の中では何歳を越えたらおばさんだとか、この年齢以降はきついとか、まるで人の気持ちを考えていない発言を軽々しく言葉や文字にする自由の意味を履き違えた輩がいるけれど、たしかによくよく考えてみれば二十二歳でサバを読む必要性は感じないい。

 それと優梨愛ちゃんの反応を見るからにやっぱりこの話自体に価値はなかったな。


「ていうか、さっきから思っていたんですけど、悠里って呼んでいるのは年下だからですか? それとも距離の近い雰囲気を感じたいからですか?」

「ああ、それは悠里からの提案だよ。成人しているのにちゃん付けされるのはおじさんみたいで嫌だみたいな流れでさ」

「えー、じゃあ私も今年から成人なので優梨愛って呼んでくださいよ」


 ふむ、思えば優梨愛ちゃんも成人しているのか。四月にその定義が変わったけど二十歳なら関係ないしな。どうしても身長の低さとか可愛らしさとか、そういう面に引っ張られて年下感を強く感じてしまい、ちゃん付けしていた。

 まあ、望むならそれでもいいか。こんなことに時間を割いていられないし。


「いいよ。優梨愛だね」

「えへへ、ありがとうございます!」


 表情が見えなくてもわかるこの嬉しそうな笑い方。これをされるとこっちまで気持ちよくなるから困る。

 話しの主導権を掴まれないよう気を付けて進めていかなければ。


「話を戻すけど、お酒を飲んだ悠里が何なの?」

「そうでしたそうでした。だから、あの人は普段しっかりしているのにお酒が入るとポンコツになっちゃうのであまり飲ませないで欲しいなーって」


 おっ、これは隙を見せたのではないか? ここで詰める理由が出来た。


「どうして? 俺は通常時とのギャップが可愛らしいなーとしか思わなかったけど、ポンコツになられると困ることが?」

「それはもちろんありますよ! 女の子同士でいろいろと情報を共有していますし、二人だけの秘密もありますし」


 声が大きくなった。この先に何かがあるのは間違いないな。


「その秘密は俺にも知られちゃいけないこと?」

「もちろん。私の全てですもん。お兄さんに知られたくないことも含まれているわけですし」

「それは例えば……俺に嘘をついているとか?」

「まあ、それもありますね」


 意外にも落ち着いているな。

 この場合、可能性として挙げるとすれば、そもそも嘘が大したものではなかった説、バレるにしても大小があることで更なる核心をつく発言をしない限りは余裕がある説。

 さて、どうしたものか。

 どう策を打つか考え始めたとき、優梨愛は言葉を続ける。


「そもそも、この世の中でこの歳まで生きて一度も嘘をついたことがない人なんて滅多にいないと思いませんか? その規模がどうであれ」

「ま、まあたしかに」

「それにいつかテレビで聞いた言葉ですが、女の子から隠し事を取ったら何も残らないんですよ。まあ、なにもかもを自分の物にしたい、そういう独占欲がお兄さんにあるのなら私は身体の隅々まで差し出しますけどね」

「あ、あはは……」


 なんて気持ちのこもった声で言ってくれるんだ。さすがに押されちゃうなぁ。初めに誰かの名言を置くことで後の言葉の信憑性を持たせるなんて。いや、俺が勝手に期待してしまうように動かされているのかも。

 あーあ、ここでありがとうと退きたい。でも、まだしこりは取れていないから。これだけは最後に確認しておきたいということをぶつけようじゃないか。


「あのさ、それを聞いたうえで問いたいことがひとつだけあるんだ」

「いいですよ。時間的に今日はこれでお終いですし。なんでもどうぞ」


 優梨愛の言葉でそんなものかと時計を見れば一時過ぎ。もう三十分近くも話していたことになる。体感で言えば十分ぐらいだったんだけど、それぐらい考えている時間が思ったよりも長かったんだな。

 さて、そんなことは一旦思考の隅に追いやって問おう。悠里との会話のなかで混乱したせいで自分を納得させるしかなかったあのことを。

 俺の言葉を待つ優梨愛は一切言葉を発さない。環境音さえ聞こえてこない。

 そんななか、一度深呼吸をして意を決す。


「優梨愛は本当にお隣さんの彼女なんだよね?」


 俺の質問に彼女は馬鹿な話だと笑うわけでもなく、キョトンと声をあげるでもなく、淡々と返してきた。


「はい。優梨愛は本当にお隣さんの彼女ですよ」


 ああ……ここに間違いはなかったのか。


「お話しは以上ですか?」

「……うん」

「安心しました?」

「うーん、どうかな」

「ふふっ」


 最後は心底楽しそうに声を漏らした優梨愛。

 曖昧に返してしまったのは自分でもよく分からないけれど、これで間違ってはいないと思う。ただ、これで俺も確実に隠し事をしてしまったのだからもうなにも優梨愛と悠里のことに口を出せなくなってしまった。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」


 そう言って通話が切れる。

 結局、モヤモヤもしこりも取ってもらう形になってしまったのかもしれない。それにこれ以上追究しても仕方ないことは十分にわからされた。

 ん? 優梨愛からメッセージだ。なにか言い忘れたのかな。

 画面をタップしてトーク画面を開く。


『そういえば、さっきのテレビの言葉でもうひとつ覚えていたのを忘れてました』

『なに?』

『たしか、いい女ってのはね、自分で自分を守れる女よ。こんな感じだったと思います。それじゃあ、今度こそおやすみなさい』


 これはつまり、今日の結果だと? お兄さんの口撃を躱しきったと言いたいのかな。

 ああ、せっかく靄が晴れた気でいたのにまた広がっていく。そんな気がしてならなかった。

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