二十六日目 言葉は飴となり、凶器にもなり得る

 先輩は満悦した表情で俺の手料理を口に入れ、酒を飲んでの繰り返し。たまの休憩に最近の会社での話をしはするが、基本的には短い世間話みたいなもの。ビール缶を三本飲み干したところでようやく手料理たちが尽きたのでしっかり話せるチャンスがやってきた。まだ酔ってはいないように見えるからガンガン攻めていこう。


「そういえば先輩って皆山さんに俺の趣味のこと教えたんですよね」

「あー、うん。棟永とうながくん、初めの頃緊張してたのか話そうとしても会話続かなかったからね。そのなかでやっと教えてくれたことだったから覚えててさ」


 たしかに働き始めて一週間は無口な印象だったかもしれない。緊張という面では間違えていないのだけど、それは仕事に対してではなくてそのときから容姿端麗な先輩に心を奪われていたからだ。かといってそれを今ここで馬鹿正直に話すのも違う気がする。

 まあその結果、俺の内面的な部分をひとつ記憶してもらえたならあの期間も必要なものだったのかな。当時は暗い奴だと思われていないか心配だったけどね。


「逆にそのとき話した私の趣味は覚えてくれているの?」

「もちろんですよ」


 これは俺のなかで先輩が大きな存在だとアピールする絶好の機会なのでは? 前にスタイルが良すぎるあまりもうすこし肉感があればなんて失礼なことを考えていたが、その一因となっているのは間違いなくこれだろう。


「元々陸上部だったから今でも走ったり、歩いたりすることが好きで休日に公園でウォーキングしているんですよね?」

「へぇ、ちゃんと部活のことまで覚えててくれたんだ」

「先輩のことについて、俺自身はあまり知らないなかでの知識ですからね。だから、情報を増やすためにも今更ながらせっかく二人きりなのでたくさんお話しできたら嬉しいなと」


 心のなかでただ願うだけじゃどうしようもない。こうして言葉に出すことで分かりやすく未来があるのかないのかはっきりさせた方が今後の俺のためにもなる。

 先輩の表情は相変わらず食事時の幸せ満点な状態から変わってはいないけど。


「そういえばそうだっけ。私はほら、採用後にいろいろ資料家に持って帰って見ていた分知った気でいたからさ、たしかに棟永くんは全然知らないのかもね。例えばなに聞きたいの?」


 先輩はそう問いつつ四本目の缶をプシュッと開け、グラスに注いでいく。

 答えつつ、つまみを用意してあげよう。キューブ型チーズとスモークベーコンでいいか。


「あっ、ごめん。私、お酒ばっかり買ってきておつまみ買うの忘れてた。今日食べた分あとでお金渡すね」


「いいですよ、そんなことは気にしなくて。それより先輩の知りたいことなんですけど、ウォーキング以外のご趣味といいますか、好きなものってあるんですか?」

「いきなりプライベートだね」

「プライベートな空間ですからね。それに互いに知り合っている情報の密度が公平じゃないのは気に食わないですもん」


「それはつまり、私がもし君のスリーサイズを知っているのであれば全て知らせろということ?」

「いや、さすがにそこまでは言ってないですし、知らないでしょ」

「あはは、それもそうね」


 突然何を言い出すんだこの人は。もしかして、先輩も下戸か? いや、むしろ上戸でただ弱いだけの人か。一番面倒だけど楽しい酔い方なら場の雰囲気を明るくしてくれる人材だ。ただこの感じはダルがらみの傾向にあるのかもしれない。

 バレずにここまで顔をしっかり見つめるなんてことなかったから朗らかな表情だなぐらいにしか思えなかったのは酔って赤くなっていたせいなのかも。

 なによりペースを速くしすぎたのが原因だろうな。


「それで好きなものだっけ? うーん、なんだろうなぁ」


 テーブルに頬杖をついて片手に持ったままのグラスをゆっくり回し始めた。

 これもう限界に近いんじゃないの? 

 瞼がトロンとしているように見えるし。酔いが回ってきたせいか全く俺の視線に気付いていない分先輩の表情を堪能できるのは嬉しいけど、このまま飲み続けていたら最悪さっき話していた妹さんに連絡して迎えに来てもらうことになるかもしれない。

 俺は全然それでも構わないけどね。


「特にこれっていうのはあんまりないんだよね。陸上してた時、そういう欲求抑えていたから慣れちゃって」


 そりゃ今でも運動を続けるぐらい好きなんだからある程度セーブはしているよな。あまり良い質問じゃなかったか。


「あー、でも、者という見方をするなら君のことは好きだよ」

「えっ?」


 ちょっと待って、急展開過ぎない? 聞き間違いじゃないよね? 俺の妄想の世界じゃないよね? 

 また俺は自分の頬をつねらなきゃダメなのか。いやいや、それで変な空気になってこの話が流されるのは困る。ぜひ掘り下げたい。どういうところが好きなのかとかいつからなのかとか。

 ていうか先輩大胆すぎません? なんだかお綺麗な服が相まって雰囲気を構築しているような気もする。

 もしかしてこれも作戦の内? 酒に強くないのにペースを速めていたのもこの布石? これが策士というやつか……。

 先輩は未だにビールがほんのすこしだけ残っているグラスを見つめたままだ。


「会社での君しか知らないけど、会話が続かないときから仕事には一生懸命でミスしたら泣きそうな顔で私のこと見つめてきていたし、それが毎日のように起きるようになってから日に日に助けを求めることすら遠慮し始めてなんとか挽回しようとするもまたミスの繰り返しだし、そういうところ凄く可愛いなって思うよ」


 お、おお、この流れはある? あるよな! 

 ここまできたら紅潮した頬も酒のせいにしたいがための策に思えてきてならない。やったぞ、俺の人生ここから勝ち組ルート確定だ!


「言い方悪いけど、馬鹿みたいに全力でなにかに打ち込もうとする姿を見ていたら応援したくなっちゃうんだよね。それこそ妹が去年大学受験のために一生懸命勉強していたときの光景によく似ていてね」


 ……い、妹さん? どうして今ここで妹さん?


「私と悠って八歳も離れているんだけど、ちょうどその真ん中にいるのが君なの。だからさ――」


 あっ、なんとなく察したわ。この流れ。


「弟が出来たみたいで毎日成長していく君の姿を見ているのが大好きなんだ」


 …………終わった。俺の恋愛劇は見事終幕です。

 男性からの身内のような感覚発言は建前の可能性が大いにあり得るだろう。でもな、女性からのお兄ちゃんみたい、弟みたいというような言葉には未来なんてないんだよ。結局そこに置いておくのが都合が良い人間なんだもの。

 いいか? 普通、好意を寄せる相手にはそういう発言すらしないんだよ。気持ちを隠し通すか、思い切り曝け出すものなんだ。

 それを弟みたいだから? せめてお兄ちゃんならチャンスは万が一にあったかもしれない。自分の発言を覆すようで悪いがそこには僅かな活路を見出すことが出来ただろう。だがしかし、弟、この存在だけはない! 科学的な裏付けは何もないが俺の直感がそう叫んでいるんだ!


「あ、あはは……好まれているなら良かったです。俺も先輩のこと好きなので」

「ありがとう。部下に好かれるなんて幸せ者だよ」


 最後の抵抗空しく、人として好きだというふうに捉えられたな、こりゃ。

 先輩がいる手前泣きたくても涙流せないし、肩を落とすこともできないし、今は貼り付けたような笑みを浮かべてこの時間をやり過ごすしかない……。

 それから約一時間、先輩について質問をするという議題だけが残っていたので一応これといったものがないなかでの食や酒の好み、陸上の話で選手のことなど聞いておいた。

 これが役に立つことはあっても効果として発揮されることはないのかもと考えるだけで胸が痛くなってしまうので極力口を閉じる時間を減らし、会話を回し続けたおかげで先輩に飽きない喋りを提供できる逸材という風に認識されたのはまだ救いだったの……かも?

 その後、先輩が酔いつぶれる前にタクシーに乗せ、無事自宅に着いたことを妹の悠ちゃんが先輩のスマホから送ってくれたことで俺も食器等の片づけを済ませてベッドに横になることができた。

 そうして眠る前にひとつ、明日から先輩にとっては何も変わらない日常が、俺にとっては絶望に満ちた日常が始まると思うと苦しみばかりが目立つ。とまあ、ここまでいろいろとネガティブな思考を巡らせてきたわけだが、ここで簡単に諦められるほど御利口な人間でもないのが事実。

 俺の言葉で気持ちを伝え、はっきりとお断りの言葉を貰うまではサレンダーするものか!

 …………でもやっぱり傷のついた心を誰かに癒してもらいたいよ、とほほ。

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