十九日目 あなたのことをもっと知りたいから
翌朝、いつもに比べて質素なベッドで寝ていたはずなのに寝起きが良い。それは多分、ダイニングキッチンの方から心地よい料理の音が流れてくるから。
ん……起きるか。スマホで確認したら八時だ。せっかく優梨愛ちゃんが朝食を用意してくれているんだから、顔でも洗ってこよう。
ドアを開けると音に気付いた彼女がこちらを向いてニコッと微笑みかけてくれる。
「おはようございます、お兄さん」
「おはよう」
「今、オニオンスープを作っているのでちょっとだけ待っててくださいね」
「わざわざありがとうね。じゃあ、いろいろ洗面台で済ましてくるよ」
「はーい」
数分して二人の定位置になりつつある優梨愛ちゃんが座椅子、俺が座布団に腰を下ろして朝食を済ませ、試合開始二時間前、つまりは開場直後に着くよう時間を逆算して家を出ていった。
そうして球場前に到着したのが正午過ぎ。熱気あふれることを予測して初めて会った日に着ていたラガーシャツにショートパンツの組み合わせでいる優梨愛ちゃんは今日も可愛い。
こういうオッサンの多いところで脚を出すのは少し不安だけど、これはさすがにお節介だね。
「よし、ここは再入場できないから先に外にある大きなグッズショップに寄ろうか。今朝、見ておきたいって言っていたよね」
「はい! どうしても通販だとわかりにくいものを生で見たくて。タオルとかぬいぐるみとか、手触りを試したいんですよ。それにデザインもちゃんと実物を見て確認した方が良さに気付けますから」
「その気持ちよく分かるよ。せっかくの記念っていうことも相まってなおのこと失敗したくはないんだよね。まあ、そのためにこの時間に来たんだからたんと店内を見て回るといいさ」
「ありがとうございます」
まだまだ試合は始まっていないというのにワクワクしているところが初々しさの塊で見ていて微笑ましい。スタッフさんに貰った球場案内の地図を広げ、あっち側みたいですよと指さして教えてくれる姿なんてまさにじゃないか。
小学生低学年までの先生たちはこんな気持ちで生徒のことを見守っていたのかなとなんだか懐かしみさえ感じられる。あの優しい笑みはこうして生まれていたんだと。
「あっ、でも、先に買っちゃうと邪魔になるかも」
グッズショップに向かう途中、水を差したいわけじゃないが優梨愛ちゃんのことを思って口にした。やはり席の感覚はそこまで広くないし、ボルテージが上がるような試合展開になれば荷物がどうこう言ってられるような場合じゃなくなることもある。
「それは私も感じてはいたので、とりあえず通販にある分はここでリストアップだけして自宅に帰ってから注文するつもりです。試合前に買うとしたらさっき言ったタオルやリストバンド、それからキャップぐらいですかね」
「うん、それぐらいでいいんじゃないかな。もしなにか今日中に持って帰りたいものやここでしか買えないものがあったら試合が終わってからまた寄ればいいから」
「いいんですか? 試合後なんてどういう結果であれ、あまりそういう気分にならないものなんじゃ」
まあ、それは仰る通りなんだけどね。余程の完敗ムードでなければアドレナリンが出て興奮状態になっているわけだからそのままの勢いで飲み屋に行くことが多いし。
でも、今日の主役は初心者の優梨愛ちゃんだ。
「そういうの、今日は気にしなくていいよ。俺がこうしようって言ったのは全部建前でも何でもないからね」
「わかりました。それじゃあ、思う存分甘えさせてもらいますね!」
そう言って今までよりすこしだけ距離を縮めて歩き始めた。こういうことを指して言ったわけじゃないんだけど……まあ、さすがにこれがお隣さんにバレることはないからいいか。
単に離れていても歩きづらいと思っただけかもしれないもんね。
「あっ、見えてきましたよ! ほらっ、行きましょうお兄さん!」
「ちょっ、急に引っ張ったら危ないって!」
まさかここまで良い反応を見せてくれるとは思っていなかった。
稀有な出会いから今日に至るまでの間に元気で活発なイメージはそこまでつかなかったから、良い意味で裏切られたな。
前を行く優梨愛ちゃんの表情は生き生きしていて輝いている。
対して俺は娘に連れまわされるお父さんのような顔になっていると思う。
「いらっしゃいませ!」
店内に入ると店員のお姉さんが丁寧に頭を下げて迎え入れてくれる。
急に走ったからさすがに肩で息をして落ち着けないと。
優梨愛ちゃんはさっそくなかに入っていって、タオル系を見始めている。その姿だけでも今日をどれほど楽しみにしてくれていたかが良く伝わってきて、誘った身としては嬉しくてたまらないな。
呼吸が落ち着いてきたところで近くに寄ろう。
「どう? 良さそうなデザインはあった?」
陳列棚をじっくり見て吟味しているみたい。
「どれもいいんですけど、選手ごとのものがあってどれにしようか悩んじゃって……私、まだ推し? の選手がいないので」
「あー、それなら球団ロゴの方は?」
「そっちももちろん買うつもりですよ。でも、せっかくならそういう熱くなっちゃう選手、欲しくないですか?」
うんうん、よくわかっているじゃないか。お兄さんは嬉しいぞー。
こういう団体のスポーツ競技は優梨愛ちゃんが言ったように、特別視してしまうような選手がいると尚更熱くなれるからな。一喜一憂できて。
「それなら初めはバッターのものを買うといいよ。それもレギュラー格の選手のね。そうしたらいつでも、テレビの前で見ているときでさえ応援できるから」
「たしかに。私、まだまだ詳しくないのでお兄さんおすすめの選手を教えてもらえませんか?」
「いいよ。俺はやっぱりロマン溢れるパワーバッターの
「斎藤選手ですね、わかりました。じゃあ、この黒地の球団ロゴの方と白の斎藤選手のタオルをいれるかご、持ってきますから待っていてください」
「それなら俺が持ってくるよ。他のも見ておきな」
これだけで済むわけじゃないだろうから本人にはゆっくり選んでほしい。
今日はこの後も含めてずっとこういう立ち位置になるだろうな。全く苦じゃないし、なんなら俺も懐かしい気持ちになれるし、なにより楽しいわ。
かごを手に取ってつい先程までいたほうを見れば既に優梨愛ちゃんの姿はなくて、奥のぬいぐるみコーナーまで進んでいた。
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