十六日目 そこに誰かがいてくれる安心感
はぁ……なんとか終えられた。結局十九時半まで残って作業したな。残業はさすがに身体にくるものがある。ただ、その理由はミスをして時間を遅らせたくないがために丁寧にひとつひとつ処理したからで、実際先輩から確認後に訂正を受けることはなかった。
さて、帰ろうか。
先輩は共有さえしてくれたら帰っていいと言っていたけれど、礼儀として挨拶はしておくべきだろう。そう思い、会議室に近付いたまでは良かったがノックをする前に声が漏れてきた。
「皆山くん、次こっちもお願い。私は残った方を終わらせるから」
「了解。なんとか間に合いそうだけど、日を跨ぐギリギリになりそうだな」
これはどっちの方が良いのかな。まあでも、顔を出して時間を取らせるのは悪いし、最悪MINEでメッセージを送る形でもいいか。
よし、帰ろう。
「それにしても本当助けられたよ、あいつには」
……ん? ちょっと待てよ、これはもしかして俺のことでは?
一旦足を止めて気付かれないよう耳を立てる。紛れもなく盗み聞きだけど俺のことじゃなかったらすぐ帰るからいいよね。
「俺の担当している
やっぱり俺のことだ。ていうか、深瀬の野郎、そんなこと皆山さんに話してたのかよ。あいつ、同期のなかじゃ仕事ができる方だからって……悔しい。
「ああ、その子って棟永くんと一緒に最後まで指導相手として残っていた子でしょ?
皆、性格がきついって歓迎会のときに感じて避けてたから」
「そうそう。まあ、俺もあんまり好かんな。仕事さえできればいいってもんじゃないし、これからあいつも指導役に回る可能性があるわけだし、もうすこし考えて発言すべきだとは注意したよ」
さすがです先輩方! 本当にもう最高の会社すぎる!
めちゃくちゃ泣きそうだよ、俺。ここから二人にも酷評される可能性があったわけだから。
「そういえば、あいつもう帰ったのか?」
「多分ね。共有したら帰っていいって言っておいたから」
「じゃあ、また来週にでもなにか持って行ってやるか。てか、花宮ももう帰って作業して構わんぞ。あとは資料つくっていくだけだし、家の方が落ち着くだろうし。あと、妹さんも待っているんじゃないのか?」
「ううん、大丈夫。妹は今日、友達の家に泊まりに行くんだーって言ってたから帰っても一人で寂しいだけだし」
へぇ、先輩妹さんいるんだ。それに一人になるということは二人だけで住んでいるんだな。
これまで実家暮らしだとかそうでないとか、そういう話はしてこなかったから初情報で嬉しい。ただ、これを聞かれているとは先輩達は知らないわけで、こっちから話を振ることはできないけど。
あと、寂しいと感じているところ、凄くポイント高いです。普段頼りがいのある先輩だからこそ、そういう一面知れたら最高なんだよ。ああ、今どんな顔しているのか確認したい……。
「それならいいか。よしっ、ここからもうひと踏ん張り頑張ろう」
これはもうここでお話しの時間が終わる合図かな。
それじゃあ、俺も早く帰ろう。優梨愛ちゃんが待ってくれているんだから。
◇◇◇◇◇◇
さて、駅を降りてあとは帰りにコンビニに寄って弁当を買うだけ。
優梨愛ちゃんに連絡しよう。
『今、駅に着いたとこ。十五分ぐらいで家に帰るね』
そしてすぐに返信。
前もそうだったけど、優梨愛ちゃんは通知をオンにしてマナーモードすらしていないのかと思えてくる。でも、家に来たときにそんな様子は見受けられなかったから、単にタイミングが良いんだろうな。
『お兄さん、ご飯まだですよね?』
『うん。あー、コンビニ寄るからもう少しかかるかも』
『いえ、そういうことじゃなくて、行きしなにスーパーでお買い物しておいたので今からお夕飯つくりますよってことです!』
「えっ、マジ?」
驚きのあまり声が漏れ出てしまった。
焦って辺りをキョロキョロ見るも運良く聞かれてはいなかったようだ。あぶねぇ。
それにしても作ってくれるって本当かよ。つまりはこうなる可能性を見越して準備してくれていたということだよね。天使すぎるぅ。
『ありがとう! 一気に疲れで落ち込んでた気分も盛り返した!』
『なら良かったです。メニューはお兄さんに褒めてもらえたポテトサラダと、ハンバーグにしましたー。今から焼き始めますけど、いくつ欲しいですか?』
『それじゃあ、二個貰おうかな。なるべく早足で帰るよ』
『待ってまーす』
なんだ、このやりとりは。もはや恋人、いや、新婚の夫婦みたいではないか。
もうコンビニなんてどうでもいい。さっさと帰ろう!
スキップしたい気持ちを抑えながら言った通り早足で帰路に就く。恐らく笑みは完璧に隠しきれていなかっただろうから表情を確認した人にはヤバい奴だと思われていただろう。
それでも構わん。俺には現役JDによる手作りの夕飯が待っているんだ。
一夜限りのディナーを楽しもうじゃないか!
そして、家の前に着き鍵を開けようとバッグのなかを漁るも優梨愛ちゃんに渡しておいたのだからないことに気付く。なんだか自分の部屋のインターホンを押すというのは違和感しかないな。それになかの明かりがついていることも。
ピンポーン
「はーい、どちら様ですか?」
「俺だよ。開けてもらっていい?」
「わかりました! すぐ行きますー」
この感じもまた夫婦間があって良き。でも、優梨愛ちゃんの前ではニヤニヤしすぎないようここでもう引き締めないと。
鍵が開けられる前に頬を手で挟んで息を吐く。よしっ、これで大丈夫だ!
ガチャッという音がなり、扉が開かれる。
そうして徐々に目に映っていく見慣れた風景のなかに唯一の違和感。
「ただいま」
「おかえりなさい、
ここ半年、一度も帰ってこなかったその言葉はとても温かく、俺を迎え入れてくれた。
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