十五日目 予定には常にハプニングが付きもので
木曜日。遅めの出勤と今週末先輩や皆山さんが参加する会議に必要な資料のお手伝いを申し出て残ったことで時刻は二十一時だ。今日はここまで場慣れしてきたおかげか、仕事が順調に進んで入力ミスもなく先輩に褒められた。
それに先日言ってくれた一緒に飲もうという話について来週の休暇を使おうじゃないかという流れになり、土曜日は俺が高校時代の仲間たちと会う約束をしているため日曜日に外の居酒屋で集合という形になった。なにより嬉しかったのは二人きりだということ。
一応気を遣って他の人も呼ばれますかと聞いてみたら、「二人で良くない?」と返してくれたものだからもう内心舞い上がっちゃったよ。そうですよねって即答しちゃったもん。
まあ、そんなわけで今日は最高に気分が良い。
手にはスーパーで買ったサーモンの刺身とちょっと甘めの純米吟醸酒が入っている。家で保管している日本酒は辛口で合うかわからず調べてみたら、サイトでちょうど紹介されていたものが売られていたのでついでに買ってしまった。でも、いいんだ。やっぱり酒には最高の肴が必要だからね。
さあ、アパートに着いたぞ。あとは階段を駆け上がって自宅に入っていくだけ。実際には誰かに見られでもしたら恥ずかしいのでゆっくり上るのだけども。
よし、あとは部屋まで一直線……あれ? 誰かお隣さんの部屋の前にいるな。それもドアの方を見ず手すりに腕を乗せて、電子タバコを吸いながらスマホを触っている。よくは見えないけど、大胆なブロンドの髪とロングシャツのワンピースから女の人だということはなんとなくわかった。
おいおい、この前話したばっかりなのにまた新しい女の子と会っているのかよ、お隣さんは。
そりゃ優梨愛ちゃんもクズって言うわけだ。しかも優梨愛ちゃんや沙耶ちゃんと違って綺麗で格好良いタイプの子からも持てるとか最強か? 神様配分間違えただろ。絶対お隣さんの代わりに幸福のステータス下げられている人いるって。
まあでも俺には関係ないから後ろ通るときに会釈だけすればいいか。
さすがにあちらも俺が歩み始め近付くと足音で気付いたのかこちらを確認するように見てきた。その瞬間、目が合ってしまう。
「こんばんは」
「あっ、こんばんは」
挨拶をされたものだからつい反応して返してしまった。いや、別に悪いことじゃないんだけどね。
それにしても綺麗な顔立ちをしていらっしゃる。キリッと整えられている眉やスッと細い筋の通っている鼻が特に。もちろん他のパーツもお似合いだ。それから背を曲げていたせいでそこまで高さを感じなかったけど、今は俺よりすこし高い位置に目がある。恐らく百七十三ぐらいかな。
どうやらワンピースの前はあいているみたいでデニムと白のキャミソールが見えた。
「お隣さんですか?」
「ああ、はい。奥の部屋に住んでいる者ですがなにか御用ですか?」
なんだかこの会話の流れ、似たようなものをつい最近したような……いやいや、まさかこの子もなんてことはね。
「いえ、特には。ただ聞いてみただけです。ごめんなさい」
そうだよね、ないよねー。良かった良かった。
「そうでしたか。では、俺はこれで」
最後にもう一度会釈をして扉の鍵を開けなかに入っていく。
思えば、あの子が持っていたスマホのケース、ちゃんと見てはいないから確証はないけど優梨愛ちゃんのものと似ていたな。もしかしたら沙耶ちゃんみたいに二人の仲は良くてお揃いのものを買っているのかも。それかどちらか一方が被せている可能性も……それはさすがに考えすぎか。
まあ、どちらにせよ俺が気にするようなことじゃないな。とにかく早く今の良い気分のまま買ってきた酒と刺身を頂こう。
そうして、今日は圧勝したTGの試合もつまみに酒を飲み進めた。今週末も今日ぐらい圧勝して西城投手の記録達成に貢献してくれたら嬉しいな、なんて思いながら。
◇◇◇◇◇◇◇
来る土曜日、優梨愛ちゃんに夕食を振る舞うために八時出勤したは良いものの、休憩を取ろうとした際に先輩から声をかけられた。
「ねえ、
「はい、もちろん。なんでしょう?」
このとき既に予測は出来ていたんだ。ここ数日珍しく焦った様子でいた先輩が明日に迫った会議のことで四苦八苦していることは知っていたから。
どうやら昨日必要な資料が足りていないことに気付いたらしく、今はその重要な部分を抜き出している段階らしい。当然普段から迷惑をかけている俺が断れるわけもなく、むしろ俺で良いのかと不安になってしまうほどだったが、頼られたからには全力を尽くすのみ。
優梨愛ちゃんにはその時点で連絡を入れておいた。
『ごめんね。今日仕事が遅くなりそうだから先に部屋に入って待ってて欲しい。こんなこともあろうかと家の鍵はアパートのポストのなかに入れておいたから。番号は0618。晩御飯も外で食べるなり、なにか買ってきて俺の家で食べるなりしてもらえると助かる! なんでも使って大丈夫だから』
『わかりましたー。私のことは気にせずお仕事頑張ってください! でも、お誕生日をロックのナンバーにするのは危険なので気を付けておいた方がいいですよ』
『ありがとう! 番号のことは考えておくよ。じゃあ、またあとで』
『お家に到着しました。鍵もゲットです!』
最後のメッセージは一時間前に送られてきていたようだ。
それにしても相変わらず素直に話を聞いてくれる彼女には頭が上がらないな。鍵については、しっかり考えて行動していることがこの前話したときに分かったから安心だろう。
さて、これで意識をしっかりと先輩のお手伝いに向けられる。
「お待たせ」
デスク前で抜き出し作業を待っている俺の元に先輩が帰ってきた。手には十数枚ほどの資料を持って。
「棟永くんにはこの資料のボールペンで囲った箇所をページごとに改行してまとめて欲しいの。多分全部で一時間ぐらいだと思うんだけど、終わった後に共有さえしてくれたら帰ってもらって構わないから。分からないことがあればここの会議室のなかにいるから聞きに来て」
「わかりました。すぐに取り掛かります」
「ありがとう」
そう言ってすぐに会議室のなかに入っていくところを見ると、どれだけ焦っているのか再確認できた。今朝から通常業務を早めに終わらせて取り掛かっていたにも関わらず、まだ先が見えていないと考えれば俺に託された仕事も重要そうだな。
資料にパッと目を通した限りでは一枚に対して約二カ所、先輩が言っていたように丸で囲まれた部分がある。先輩のためにも優梨愛ちゃんのためにも早速始めようじゃないか。
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