十三日目 妹みたいなもんだからは表向きの口実

 ピンポーン……ピンポーン……


 うぅ、朝っぱらから誰だよ……。まだ日が昇ったばっかりじゃないか。カーテンから全然光入ってきてないし。


 スマホで確認してみても六時前って、あと一時間は寝れるのに。

 最近暑くなってきたために引っ越してから初めて使う薄手の掛け布団を手繰り寄せて頭を覆い隠す。もう一回鳴らなかったらまた寝よう。


 …………ピンポーン


 ああ、もうっ! ちゃんとした客人っぽいなー。家賃も光熱費もしっかり払っているから大家さんじゃないだろうし、お隣さんは百ないし……あっ、もしかしなくても優梨愛ちゃんか。にしても早いよ、来るの。


 声を出すには喉が渇いている。メッセージでも送ってみるか。


『おはよう。今開けるから待ってて』


 一回反応がなかったからかすぐに既読がついた。


 硬くなっている身体を軽く伸ばして解し、キッチンで新しく出したグラスに麦茶を一杯注いでグッと飲み干す。髪はぼさぼさだろうけど、これ以上待たせるのは悪い。


 一旦お出迎えしよう。


「開けるよー」


 一応扉の前で待っていた時のことを考えて声をかけておく。そういうドジな部分があったらそれはそれで可愛いんだけどね。

 そんな馬鹿なことを思いながら扉を開けた。


「おはようございます、お兄さん」

「はい、おはよう」


 今日は空のように淡い青のシャツとシンプルな黒のパンツを組み合わせている優梨愛ちゃん。これまでと違ってすこしお堅い雰囲気がある。

朝からこんな天使みたいに可愛い子と会えるのは嬉しいけど、三大欲求にはさすがに負けるな。眠たくて仕方がない。


「とりあえずなかに入りな」

「お邪魔します」


 食洗器のなかから弁当箱を取り出して包みと一緒に渡せば良かったのに、そこまで頭が働かなくて上げてしまったものだからすぐに返すわけにもいかず、以前と同じように優梨愛ちゃんに座椅子を譲る。


 誰でもわかるぐらいには寝起きの顔をしている俺が気になるのかちらちら表情を確認してきた。

 君のせいだよとは言わないし、思ってすらいないけど、誤解を生む前に色々話しておこう。


「ごめんね。今ちょうど寝起きでさ」

「あー、あれですか?」


 優梨愛ちゃんの指さす先には昨夜飲んだまま放置したビール缶とグラスがシンク台の上に置かれている。


 あちゃー、なんだか恥ずかしいところ見られちゃったな。


「まあ、そんな感じ。とりあえず麦茶でいい?」

「はい。というより、前に来たときに場所は把握したのでお兄さんさえ良ければ自分でいれておきますよ。今日、平日ですからこの後お仕事でしょう? その準備やらなんやらのためにまずは整えないといけないことが多いでしょうから」


「それ、助かるわ。じゃあ、顔洗ったり会社の仕度済ませたりするからお願いね」

「はーい。それにしても気だるさ満載のお兄さんもまたいいですね」

「何がだよ。茶化さないの」

「えへへ、ごめんなさい」


 こうして話しているだけでほっこりした空気が流れ、大変居心地の良い空間に変えてくれる。この子の持つ能力は凄まじいなと思いつつ、ひとまずは洗面台に向かった。

 それから十五分後、まだ部屋着のままだがおおまかなものを一通り終え、大人しくテレビを見て待ってくれていた優梨愛ちゃんの元へお茶を持って向かう。


「お待たせ」

「全然大丈夫ですよ。それよりその状態で間に合いますか、今日のお仕事」

「うん。仕事自体は自由なところあるから気にしないで。すぐに渡すもの一式持ってくるから」


 そう言って自室に入り、昨日先輩から頂いたチケットの封筒を手にまた戻った。


「あっ、それが例の?」

「そうそう。この話もしたいんだけど、その前にはいこれ」


 先程の支度の合間に回収していた弁当箱を先に渡す。昨日一日だけの幸せだったけど、十分すぎるほど美味しかったなぁ。


「本当にありがとうね。このお弁当のおかげでお昼時を楽しく過ごせたよ」


「そこまで言ってもらえるなら作った身として嬉しい限りです。適当に出た言葉じゃないってのは昨日からよく伝わってきていますから。お兄さんが邪魔じゃなければ毎日持ってきたいと思っちゃうくらい私も気持ちよかったですよ」

「ハハッ、さすがにそれは申し訳なくてできないけど、そういうふうに感じてくれているのなら俺も一安心だ。本当、お隣さんが羨ましいよ」


 褒められ気恥ずかしいのかそれともつい笑みがこぼれてしまったのかはわからないが、俺の言葉に若干顔を隠すように下を向き、ぶるぶると首を振る優梨愛ちゃん。


 どうしてここまで謙虚でいられるんだと感心してしまう。見習いたいよ。


「ちなみに料理はお母さんに教えてもらったの? それとも自分でサイトや本を見ながら練習重ねていったとか?」

「それは内緒です、って言っても大したことなくて。誰にでもあるように母がキッチンに立ってトントンまな板を鳴らしながらいたら、つい覗いてみたくなっちゃうじゃないですか。そこから興味を持つようになって、お姉ちゃんが逆に全然ダメダメな人間だったので、自然と二人きりのときは私がその役を担うことになっていき……って感じですね。お母さんにもお助けアイテムにもお世話になりながら日々腕を磨いていました」


「なるほどね」


 優梨愛ちゃんはついさっきまでとは裏腹に今度はえっへんと胸を張り、全く盛り上がっていない力こぶをトントンと叩いた。


 なんだ、ただのかわいこちゃんか。朝から目の保養ありがとうございます!


 なんて本人の前では口が裂けても言えないことを考えながら、次の話に移る。本来であるならばここでもうお別れのはずだったのだが、急遽できた用事のチケットについてだ。


「まあ、詳しいところはまたの機会に聞くとして、俺も優梨愛ちゃんもこれからそれぞれの仕事を全うしに行かなければならない人間だからパパっと進めていくね。これが昨日伝えた今週末の試合のチケットなんだけど」


 封筒から二枚取り出してテーブルの上に置く。うわっ、俺も初めてここで見るから知らなかったけど、これ内野席じゃん。しかも一塁側の。マジかよ、皆山さんこんな良い席譲ってくれたのかよ。先輩がそこに関わってなければ感謝ばかりの聖人すぎる。


 思えば殆ど交流のなかった俺に先輩が俺のことでこの球団が好きと話していたからという理由だけで渡してくれたんだもんな。あのときは色々と考えごとをしていて忘れていたけど、お金一切払えてないし。


 一応後日請求されたときのためにいつも財布に余分に入れておいてもいいかもしれない。恐らくそんなこと今更するような人じゃないだろうけど。


「どうなされたんですか、お兄さん。驚いたような表情で」

「えっ、あーいや、なんでもないよ」

「そうですか?」

「そうそう。やっぱり今から君と二人で行くのが楽しみでそれが表情に出て変な風に映っていたんだと思う」


 優梨愛ちゃんには譲ってもらった話をしていないからな。危ない危ない、なにか異変に気付かれるところだった。


 俺の言葉に納得したと同時にまた笑みを浮かべている彼女がとにかく愛らしくて、妹がいたらこんな気持ちなのかなとも思う。一人っ子だった俺には分からない感情だから、ちょっと嬉しいな。


「それじゃあ、まず当日どこで待ち合わせるか決めようか。優梨愛ちゃんの住んでいるところが分からないから、そっちが決めてくれると有難いかな」

「実はそのことでお一つご相談がありまして……」

「なに?」


 急に姿勢を正してどんなことだろうか。表情もキュッと引き締められて真面目な雰囲気。


「前日からここに泊めてもらうことってできませんか?」

「…………はい?」


 その瞬間、俺の思考は職務を放棄したようでただそう呟くしかなかった。

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