十日目 デートの約束は思い切りが肝心
皆山さんより早く昼食を食べ終え、話自体も短く終えたために休憩時間はまだ残っている。かといって、今すぐ先輩のいるデスク前に戻って適当に時間を過ごせるかと言われれば全く以てそんな気にはなれない。
とりあえずは休憩室内でちょうど空いたばかりのビーズソファにゆったり身体を預けスマホを触りながら時間を潰すとでもしよう。なにより先輩以外のことに意識を向けたいし、味を覚えているうちに優梨愛ちゃんへ弁当について感謝のメッセージでも送っておこうかな。
『休憩時間中にお弁当を食べたけど、見た目も良ければ味も良くて最高だった!』
無難だけどこんなところか。さすがにあっちは友人らと一緒にいるだろうからすぐに返事は――来るな、これ。早くも既読マークがついたぞ。
『本当ですか⁉ お気に召していただけたなら凄く嬉しいです! お嫌いなものをいれてしまってないか後から不安になっていたんですけど、大丈夫でした?』
いつも通り気遣いを忘れない姿勢が素晴らしい。
『全然問題ないよ。むしろ、好みのものが多くてびっくりした。前に気が合うって話をしたけど、まさか食の好みまで似てるなんてさ』
『そう思ってくださったなら作った甲斐がありました! でも、好みは私じゃなくて未鷹くんに寄せてますけどね』
あっ、そうだった。じゃあ、俺と未鷹くんの舌は同じ趣向を持っているということか。うーん、それはそれでなんだか恥ずかしい。
『ちなみになんですけど、なにが一番良かったですか?』
未鷹くんのためにフィードバックが欲しいのかな。あのなかだったら全て美味しかったという前提で言っても圧倒的なものがひとつある。
『やっぱりポテサラだね。味付けも使っている食材も無駄がなくて凄く美味しかった』
『だと思いました。自分で言うのもなんですけど、料理には自信あるんですよ。なのでまた今度お会いできる機会があればぜひ振る舞わせてくださいね』
おっ、これはチケットの話しをする最高のタイミングなんじゃないか?
せっかく頂いたのに心苦しいが、優梨愛ちゃんが欲しいと言ってくれるならお隣さんと一緒に行くよう勧めてみるか。
ちょうどファンになったばっかりで良い経験になるだろうし。
『それは楽しみだ。ところで話が変わるんだけど、優梨愛ちゃん最近TGに興味持ってくれたでしょ? それで良かったら今日のお礼も兼ねて渡したいものがあるんだ』
『えー、何かプレゼントですか? 凄くドキドキします……』
冗談めかして嫌な雰囲気はなさそうだ。この調子で行けば話の流れはもっていけるだろう。
『実は、今週末にある試合のチケットを手にいれまして』
譲ってもらったと正直に伝えたところで優梨愛ちゃんも受け取りづらくなるだろうからここは適当に嘘をついて進めていったほうが良いかな。
『それが二枚あるんだけど』
『じゃあ、一緒についてきてくれませんか?』
良かったらお隣さんと行きなよと送ろうとしていたところで先手を打たれてしまった。それにまるで俺が二枚とも譲ろうとしているのをわかっていたような言い方だし。
そう見越しての提案か、それともただの図々しさか。恐らく前者だろうな。
『その日、未鷹くん用事あるっぽくて、私一日暇になっちゃったんです。凄く困ってたのでお兄さんが良ければなんですけど、TGの先輩として付き添ってくれませんか?』
おいおい、お隣さんのことまで想定済みかよ。貴方エスパーか何かですか? ちょっと怖いぐらいなんですけど。
でもまあ、優梨愛ちゃんが問題ないなら俺も当然行きたくはあったから、二人で観戦しに行くのも悪くない。むしろ、滅茶苦茶良い。
だって現役のJDよ? ちょっと今先輩のことで傷心気味な俺は癒しが欲しいわけで。そこに転がってきたまたとないチャンス! 逃すわけがないね。
『そう言ってくれるなら一緒に行こうかな。実は俺一人だと相手がいなくて困っていたから、その提案、凄く助かった』
『やっぱりそんなことだと思いました。お兄さんみたいなファンの人がわざわざチケットを譲ろうなんて普通しませんもん。それに私ルーキーながら調べていたんですけど、その日エースの
事前情報もしっかり取り入れているとは、賢いな。どうやらファンと行くときにどんな知識が必要かわかっているみたいだ。
長年のファンとはいえ、こっちだって相手が初心者だとわかっていたら歴史的な話をしたいわけじゃなくて、初心者が自分なりに頑張って覚えてきた知識をニコニコしながら聞いて教えてあげるのが一番楽しいんだから。
ああ今この人しっかり沼に嵌まってるなぁって感覚がもう堪らんのよ。嬉しくて。
『せっかくの喜びを一人で味わうのは私だって嫌だし、お兄さんと一緒にビール片手に大きな声で盛り上がりたいですし。昨日写真を送ったユニフォームを使う時がさっそく来ましたね! 今から楽しみです!』
『俺も楽しみだよ。それじゃあ、今日のお弁当箱は洗っておくから明日の朝取りに来て。そのときに詳しい待ち合わせ場所や日時なんかも決めよう』
『お仕事でお疲れでしょうに手間増やしちゃってごめんなさい』
『これぐらい全然気にもならないから。それでお願いね。あと、本当にお弁当ありがとう。楽しい昼休憩を過ごすことが出来たよ』
本当は皆山さんによっていろいろと壊されたんだけど、優梨愛ちゃんは何も関係ないからな。こんな感じで大丈夫だろう。実際、元気をもらえてはいるし。
この癒され効果のおかげで今ならもう先輩の所に戻っても問題なさそうだ。
『仕事に戻るから、またね』
『はい! また明日お会いできることを楽しみにしています!』
なんていうか、ここまで素直に気持ちを表現してくれると喜びがひとしお大きくなるんだよなー。学生時代の後輩に似ていて慕ってくれているかどうかはわからないけれど、良き上下関係って感じがして付き合いやすい。とまあ、優梨愛ちゃんの話はここまでで、休憩時間も残り数分程度だから本格的にデスクに戻らないと。
エレベーターからまた八階に降りて、フロアのなかに入っていく。先輩はいつも俺と交代で休憩に行くからデスクに向き合って仕事をこなしている様子。
「先輩、休憩いただきました。お次はどうぞ」
「ありがとう。じゃあ、この続きをやっておいてくれる? 残りの店舗の総売り上げとジャンル別売り上げを打ち込むだけで構わないから」
「わかりました」
当然俺と皆山さんが話した内容なんて知らない先輩はいつも通り。
はぁ……結局ここに帰ってきたら頭のなかは先輩に染められていく。先輩はどうして皆山さんと当初、試合を見に行くつもりだったのか、先輩は同期で自分と同じく仕事の出来る皆山さんに好意を抱いているのか、聞きたくても聞きだせないことばかりが浮かんでくる。
「どうしたの、そんな浮かない顔して。なにか悩み事?」
こちらを振り向いて俺の異変に気付いてくれたようで声をかけてくれた。その気持ちは有難いけど、ここははぐらかすしかない。
「いえ、すこしプライベートなことで考え事をしていて。すみません、頼まれたことはちゃんと覚えてますから」
「覚えているなら別に謝ることもないでしょ。そしたら、休憩貰うね」
そう言って薄手のコートを羽織ってフロアから出ていく先輩。
「はい、行ってらっしゃい」
多分、近くに出来たカフェにでも行くんだろう。最近、帰ってくるたびにそこのコーヒーカップを持っているから。
俺が先輩のことで知っているのはそんなことと彼氏がいないことぐらいだ。
さて、先輩の姿も見えなくなったことだし、仕事に取り掛かろう。
「はぁ……」
その前に誰にも聞かれぬよう小さくため息をつく。
今日から皆山さんとの謎が解けるまで何回この繰り返しをすることやら。そうならないためにも少しずつ話を振って聞きだしていくしかないのか。
帰ってくるまでの間、しっかり頼まれたことはこなしてアピールポイントをためていこう。
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