八日目 二人の空間を存分に

 皆山さんに昼休憩を押さえられてから数分後、今日も艶やかな髪をストレートに伸ばし、スーツ姿が似合う細身な先輩がやってきた。


「おはようございます」

「おはよう」


 目の前のデスクにビジネスバッグを置いて早速休日前に俺が残した資料を手に持ち、フロアの一角にあるコーヒーサーバーに向かっていく。


 このネイビーのバッグが出来る人感を増幅させているんだよなー。感じじゃなくて実際うまく仕事をこなせる人だから格好良すぎる。


「ねぇ棟永とうながくん、これに目を通している間、土日分の売上報告立ち上げて確認してもらっていい?」


 帰ってきて椅子に座るや否や仕事の共有だ。でも、大丈夫。


「一応今まとめているところです。まだAからG店舗までですけど」

「んー、偉い偉い!」


 コーヒーカップから口を離して嬉しそうに褒めてくれる先輩。よくやったぞ、数分前の俺。


 皆山さんに話があると言われ、それまではなるべくミスをせずに仕事をこなそうと早めに手を付けておいたことが功を奏した。


 俺と先輩の担当はABC順でRと振り分けられた店舗までだからなにも全てを終わらせているというわけではないけれど、指示待ち人間じゃなくて先にこれが必要だと想定し、行動に移したことを認めてくれたんだと思う。

 あぁ……幸せ。役に立ってるよ、俺。今だけは一社員として確実に。


「じゃあ、残りもできるところまででいいからお願いね」

「はい!」


 つい気分が良くて声がいつもより大きくなってしまった。


 焦って口元に手を当てる俺を見て先輩はふふっと笑ってくれる。ただ、周囲から何事かと視線を頂くのはかなり恥ずかしい。高校までそれなりのテニス部に入っていた名残でテンションどうこうじゃなくても出ちゃうんだよな。


 返事は基本声出さないと練習が始まらなかったから。


「月曜日からそれだけ元気出して週末まで持つの?」

「あはは、ちょっとエネルギー放出しすぎたかもです」

「まあ、ミスしてしょんぼりしている姿より今みたいに明るいほうが君らしくて私は好きだから、全然いいけどね」


 あばばばばばばば。す、す素巣酢好き⁉


 えっ、なに? これもしかして夢ですか? 俺、自分の無能さに嫌気が差してそこまで頭おかしくなっちゃった? どうしよう、この時間があまりにも幸福感に満ちていて自然と笑みがこぼれちゃう。


 先輩が冗談めかして言っているようには見えないのが何よりポイント高いところ。


「せ、先輩、良かったらちょっと頬つねってみてくれませんか?」

「まるで夢心地だとでも言いたいの? 棟永くんが良いなら別にしてもいいけど」


 そう言ってデスクで前のめりになった先輩が躊躇なく俺の頬に触れてくれた!


「うわっ、めちゃめちゃ柔らかい。棟永くんの肌、綺麗だなとは思っていたけどちゃんとケアしているんだ」


 驚いた後、気に入ったかのように何度か触られて指が触れる度に気持ちが舞い上がっちゃう。それにしっかり感触があって引っ張られたら若干痛いから夢じゃない! ここは現実リアル


 部活中に大量の汗をかくせいでニキビがブツブツ出ないように、小さい頃からしっかりスキンケアした甲斐がこんなところで現れるとは。


「っと、遊びはこれぐらいにして、はい仕事仕事。ちゃんとRまで確認してね」

「は、はい。ありがとうございました」

「なにに感謝してるのよ」


 最後にまた笑われちゃったけど、朝から雰囲気が良くて最高だ。


 このままの調子で皆山さんとの話もしっかり向き合おう。


 それから細部まで二回は目を通しておいた資料にミスはなく、満足した様子で先輩がそれを係長の元へ持っていき、二人で各店舗の報告書を入力していった。

 そうしてカタカタとキーボードの叩かれる音ばかりを聞いていたら、もう十二時前。


 晴天は夏が近付いていることを意識させるには十分なほど熱を感じさせてくる。休憩前に自販機でお茶でも買おう。

 それにしても優梨愛ちゃんから貰った弁当の中身をまだ確認してないから楽しみだな。


「先輩、お先に休憩いただきますね」

「うん、全然いいよって、あれ? 珍しいね、お弁当持ってくるなんて」


 やっぱり気付かれたか。ここを乗り切ったらあとは皆山さんを残すのみだったんだけど、そうはうまくいかない。


 さて、どんな言い訳を披露しよう。


「実は最近料理にハマってまして、お昼も自分で作ってみようかなと」

「へぇー、たしかに包みも黒で大人っぽいしね。てっきり彼女さんでもできたのかと思っちゃった」


「いやいや、俺がそんな余裕あるように見えます?」

「まあ、言われなくてもないね。それに同棲しているなら私を休日に上げることもないだろうし、その線は薄いか」


 よしよし、いい流れ。俺が好きなのは貴方なんだから。そんな誤解されちゃ困るよ。


「ちなみにどんなおかずいれたの?」

「えっ」


 やばい。やばいやばいやばい!


 家を出る前に貰ったからひとつも内容を知らないぞ。優梨愛ちゃんも何も言ってなかったし。うわぁ、どうして俺は自分で作ったことにしたんだ。母親が心配だから昨日から来ていると言うことが出来たじゃないか!


 ていうか、この聞き方、先輩絶対吐かせるつもりじゃん。あれか、てめぇ仕事できないくせに生意気に彼女と遊んでんじゃねぇよってやつか。それとも単に気になって聞いていたら俺が嘘をついたように見えたから問い詰めてみたくなったのか。


 ちらと表情を確認してみると、普段はあまり見られない悪戯心に満ちた瞳までもが俺をからかうような笑みを浮かべているし!


「自分で作ったんでしょ? 棟永くんって体格良いからどんなの食べるのかなって単純な疑問なんだけど、教えられない?」

「あー、いやいや、そんなことはないですよ」


 さて、もうここからはコイントスと一緒。裏表を当てるか外すかの二択。


 残念ながら本来この弁当が渡されるはずのお隣さんの好物を俺は知らないし、先に言った通り優梨愛ちゃんからも何も聞かされていないから、完全にあてずっぽうということになる。


 であれば、俺の好物でも入っていないかと期待を膨らませるぐらいの気持ちでいたほうがいいんじゃないか。


「ほらっ、前に先輩と料理の話したじゃないですか。高校まで疲労回復ために魚をよく食べていたっていう」

「ああ、してたね。なかでも焼き鮭が好きだって話でしょ? だからおにぎりでもそれを選ぶ。逆にツナマヨはないって私に喧嘩売ったやつ」


「いや、それは食わず嫌いでちゃんと食べて美味しいですって改心したじゃないですか」

「そうだったっけ。まあ、それはさておき、その話を振るっていうことは焼き鮭が入っていると?」


 そう……思いたい。


「はい」


 頼む。頼むぞ、お隣さん! そして優梨愛ちゃん! 奇跡を起こしてくれ!


 じゃあそろそろオープンしてよと先輩の催促に従い、自分のデスクで包みを解く。このまま長引いたら皆山さんとの時間も削られるから早めに終わらせなければ。


「おー、二段のお弁当ね。案外大きいし、さすが男の子」

「これぐらいは普通ですよ」


 紺の弁当箱はたしかにサイズが大きめだ。まず一段目を開けると一面お米。さて、問題は次。何故か緊張しながらお米の段を持ち上げる。


「……おっ、おおおお!」


 き、きたぁぁぁああ! 最高の展開! ありがとう優梨愛ちゃん! 万歳神様!


 焼き鮭に卵焼き、カップに入ったポテサラとごぼうの炒め物、そうして三個もある唐揚げ。控えめに言って最高じゃないか? このおかずで食べる米は絶対に美味い。もう確信できる。


 ほらっ、先輩もそのラインナップに目を奪われて口をポカンと開けているし。


「ねえ、これって本当に君が作ったんだよね?」

「さすがに諦めてくださいよ。焼き鮭、ちゃんと入っているでしょ。それに二度揚げした唐揚げも美味しそうですし」


「うん、それはわかるんだけど……まあ、いいや。なーんだ、彼女じゃないんだ。じゃあ、行って良し。今から休憩ってことでいいから、ちゃんとゆっくり食べておいで」


 先輩はなにか思い出すように考えた後、すこしつまらなそうに奪った時間を返して解放してくれた。


 なにか気になっていたみたいだけど、誤魔化せたのは本当に奇跡だった。あとでちゃんと優梨愛ちゃんに感想を送っておこう。見た目からして美味しさが溢れてるこんな弁当を毎日食べられるお隣さんが羨ましいよ、本当に。


 さあ、皆山さんと話す前に美味しく頂くとするか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る