四日目 初めての感触は良好のようで

 さて、優梨愛ちゃんと楽しく話をしていたら早くも一缶飲み干してしまった。今日はこれでお終いと決めていたのでここからはお茶でも飲むとしよう。


 絶対にそうした方がいい……でもなぁ、あまりにもテンポ良く会話が回るものだから気分が良くなって物足りなさが出てきちゃった。


「あー、なくなっちゃいました。お兄さん、良かったらコップとお茶かお水を頂いてもいいですか?」


 同じタイミングで優梨愛ちゃんも空になったみたいだ。ちょうど良い、この流れで自分の分も用意しよう。そうすれば未練も断ち切れるはず。


「全然いいよ。俺がいれるから待ってて」

「そんな、さすがに申し訳ないですよ。お邪魔させて頂いている身ですし」

「気にしなくていいって。俺もなくなって飲み物欲しかったところだし」


 礼儀がなっていて良い子だな。


 こういう姿勢を見せてくれるだけで人からの評価は微かでも上がっていくわけで、塵も積もれば山となるという言葉の通り、それが最終的に決断を左右するほどの要素になり得るのだから若い頃にしっかりと身に着けておいたほうがいい。


 特にこういう個人の場でもその意識を忘れないことで上辺だけではなく、身に染みているのだとわかって加点される。


 俺はやっぱり頑張った分だけ報われる加点方式が好きだから、優梨愛ちゃんと同級生で関係を持っていたら早いうちに心を奪われていただろう。


「でも、さっきもお言葉に甘えさせてもらいましたし、今日は色々とお世話になりっぱなしで申し訳ないですよー」


 はい、また加点! しっかり申し訳ないという感情を表情で現わしている点も良し! 


 そんなのされたらこっちはなおのこと何もしなくていいよって気持ちになってくる。


 いてくれるだけで癒しの存在っていうのは先輩もそうだけど、凄いよ本当。ただ、ここはさらに断るんじゃなくてせっかくの申し出だからお願いしよう。


「じゃあ、冷蔵庫から麦茶ポットを取ってくれる? 俺はコップ用意するから」

「はーい」


 はじめてのおつかいさながら、仕事をもらったことにパッと笑顔の花咲かす優梨愛ちゃんは満点だ。


 スッと立ち上がってキッチンの方まで向かう後ろ姿を眺めてみると、短パンがシャツに隠れて脚が長く露わになっているのがよく分かる。ああいう部屋着を着ている子っていいよな。

 やっぱり何かを纏っているより綺麗な肌の方が見ていて目の保養になるわ。


 さあ、気付かれないうちに俺もコップを取り出すか。


「お兄さん、ちゃんと料理するんですね」


 キッチンはダイニングと扉や壁で隔たれることなく併設されているため、そのまま後を追っていくと、感心したように優梨愛ちゃんが言ってきた。


「一人暮らしの場合は値段的なところで言うとそこまで変わらないとは思うんだけど、出来て損することはないから忘れないためにだよ。レパートリーも貧相だしね」

「それでも料理してくれる男の人っていいですよ。同棲するってなったら何より欲しいスキルかも」

「家事全般できたほうが良くない? ご飯は最悪外食できるから二人で担うってなると」

「おっ、いい考えを持ってますね、お兄さん。ちゃんと家事を分担するものだって」


 ああ、なるほど。ちょっと試されたのかな。


 たしかに年齢関係なく家事は一方の仕事、金を稼ぐのが一方の仕事みたいな考え方をする人はいる。たまにテレビや本なんかでそういう人を見ると嫌気が差して仕方がない。


 子供のころからそういう大人にはなるなと両親にしつけられてきて良かったと歳を重ねるごとに思うわ。


「まあでも、さっきの先輩だとむしろ気を遣ってやってもらった方が好まれたり?」

「お節介焼きだから?」

「可能性の話ですけどね。案外大雑把だから人前ではそれを隠すためにっていう場合もありますし」

「どちらにせよ、出来る人同士の方が良いってことには変わりないね」

「ですね」


 そんな話をしつつ、食器棚の上の扉を開く。


 中央にスペースがあって、そこに炊飯器やオーブンレンジを置くことで個別に幅を取らなくて済むのがお気に入り。加えて購入前に製造会社が実験した映像を見せてもらい、地震で揺れた際、取っ手部分の内部で自動ロックをかけてくれる機能があると知っているため安全性に安心できる。


 隣では優梨愛ちゃんが冷蔵庫を開けてポットを手に取り、こちらを向いた。


「お兄さんはまだ飲まれますか?」

「いや、俺もお茶でいいよ」

「私に気を遣わないで大丈夫ですよ。もし酔っちゃっても介抱ぐらいはしますから」

「いやいや、さすがにそこまでの迷惑はかけられないし、そもそもそういうわけじゃなくて.最近腹の出が気になってさ。年を取れば取るほど痩せるのって難しそうだし、今のうちから体型は気にしておかないとね」


 そんなことを言いながら手を伸ばし、コップを手に取る。


「そんなふうには見えないですけどねー」


 その瞬間、脇腹を棒に突っつかれたような感覚に襲われ、片方を床に落としてしまう。


「うわっ! びっくりしたぁ」

「あっ、ごめんなさい。つい触ってみたくなっちゃって」


 いやいや、全然いいんだけどさすがに急にやられると驚いちゃうっていうか、まさか今日想定外で会ったばかりの女の子にそんな事されるとは思ってなかったというか、そんなことよりもやってしまったと思ったのか萌え袖で口元を隠しているのが堪らなく可愛いのでもう何でもいいです!


「そ、そっか」


 なんて気持ち悪さ満点の心の声を抑えて対応する。


「嫌、でしたよね?」

「まあ、驚きはしたけど別にそういうわけじゃないよ。話の流れで気になっちゃうのはわかるしね」


 そもそもこんな可愛い子に触れられて嫌だと思うはずがない。抱きつかれでもしたら怖いけれど、指で突いた程度だったし、言った通り気持ちは分かるし。

 友人のなかで太っているやつのお腹とか特に触ってみたくなるんだよなー。あと二の腕の肉も。


 それに反省している優梨愛ちゃんの顔を見れたからどう転んでも俺には得しかなかった……うん、やっぱりキモイな。


 大人しく落ちたプラスチック製のコップを拾って新しいのを取り出そう。


「……ありがとうございます。で、でも、触ってみた感じ、全然お肉ついてなかったですよ!」

「なに、そのフォロー。たしかに今は学生の頃の筋肉の貯金で何とかなってるけど、もう全部切り崩す寸前だから」


 なんとか場の空気を元に戻そうとして会話が下手になっちゃってるのが素っぽくてつい笑っちゃった。


「うぅ、恥ずかしいです……」

「まあまあ、気にせずにさ。あっちに戻ってまた話そうよ」

「は、はい」


 すこし耳を赤くして俺の先を足早に歩いて戻っていく光景がまた可愛らしさを存分に表現していて、見ているだけでほっこりする。


 それからは、さっきの筋肉の話の流れで俺が高校までテニス部だったこととか、野球がメインで試合放送を見るのが好きなのこととか、逆に優梨愛ちゃんはそういったものとは無縁で趣味を広げるためにも見てみたいと思っているといった話をした。


 今時動画投稿サイトを開けば公式が練習風景や試合のダイジェストを上げてくれているから、それを見て飲み込みやすいものから始めてみるのが良いと一応勧めておく。


「たしかに種類ってたくさんありますもんね。でも、せっかくならお兄さんの好きな野球から見ようかな。今調べただけでもオフシーズンの緩い動画もアップされてるみたいだし、配信しているチームもあるみたいだし」

「そう思ってくれるのは嬉しいね。気に入ってもらえたらなおのことだけど」

「そのためにもやっぱりいてくれると助かるのは知識を持った人だと思うんですけど、良かったらMINE交換して教えてくれませんか? ルールが分からなかった時に聞いてみたいですし」


 この感じ、本格的に興味を持ってくれたみたいで俺は嬉しいよ。好きな球団が違ってくるとまた面倒なことが起きるけど、せめてリーグ違いであってくれと願っておこう。


「俺は全然いいよ。QRコード出すね」


 一連の流れでコードを表示させ、優梨愛ちゃんもパンツからスマホを取り出してそれを読み取る。

 すぐに友達に追加されましたと通知が来た。


「このYUuってアカウントで合ってる?」

「ですです! 高校のときにゆーちゃんって呼ばれること多くて、その名残で」

「あー、あるよね、そういうの」

「それで言ったら、お兄さんは清史きよふみさんっていうんですね」

「正解。でも、よく一発で読めたね。大抵の人はきよしって間違えるんだけど」

「あー、それは友達に史香ふみかって子がいるから先にそっちが出てきただけですよ」

「なるほどね。そうだとしても初めてでちゃんと呼ばれると嬉しいな」


 実際に確率で言えば二十人に一人、いや、それ以上に先にきよふみが出てくる可能性は低いと思う。俺が関わってきた人たちのなかでも本当に一人、二人ぐらいだったから。


「なら、読めて良かったです。あっ、そろそろ終電が近付いてきたから帰らなきゃ」

「ああ、もうそんな時間か。ただ話してるだけで楽しくてつい時間のこと忘れちゃってたよ。結局お隣さんからは連絡なし?」

「ですねー。また今度会ったときに聞いてみます」

「そうするといい」


 まあ、本当のところは家で女の子と仲良く身体を温め合っていたんだけどな。そこまで聞くのは無粋かと思って恋人かどうかは最後まで分からなかったから、そのことを伝えるわけにはいかないか。すこしだけ胸が痛む。


 その後は帰宅の準備を済ませ、駅まで送ろうかと提案したが問題ないと丁重に断られた。


「じゃあ、また連絡しますね」


 玄関で靴を履いてドアを開ける前、こちらを向いてそう言ってくる。


 用事は果たせなかったが優梨愛ちゃんもこの待ち時間をそれなりには楽しんでくれたのではないかと思うし、実際表情は明るいし、無事成功と言ったところかな。


「野球のことなら大抵は教えられるから、気が済むまで聞いてくれ」

「ふふっ、頼りにしています。それじゃあ、お邪魔しました」


 扉が閉まるまで幾度か頭を軽く下げ、手を振っていたところから最後までしっかりとしている子だという印象を持った。良い家庭で育ったんだろうな。


 さて、今日はもう何もしたくないし、コップを流し台に置いて余ったチーズを袋に戻したらおしまい。


 部屋の電気を消して歯磨きやらの寝る準備も済ませ、自分の部屋に入ってベッドにダイブ!


 ここだけは絶対に妥協してはいけないと購入したマットレスが程よい柔らかさで吸い込まれていく……。同時に眠気も襲ってきたらもう逃げ道はないし、そもそも逃げるつもりもない。


「おやすみ」


 最後に誰もいない部屋にそっと小さく呟いて眠りについた。

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