三日目 偶然の連続は歓喜を呼ぶ

 結局、暫定お隣さんの彼女である少女を家に上げ、本来先輩のために綺麗にしたダイニングへ案内する。といっても、1DKだから客人を上げる場所はここしかないんだけど。


「へぇー、お兄さん一人暮らしで社会人っぽいのにちゃんと掃除をしているんですね」

「いや、今日は元々客を呼ぶつもりだったからだよ。普段はもうすこし汚いし、男の臭いするかも」


 そこにはやましい気持ちが多少なりあったからそんな率直に褒められると恥ずかしいな。


「たしかにいい匂いしますもんね。まあ、私はそっちもその人の素が見れて良いなとは思いますけど」


 おいおい、なんて嬉しい言葉をかけてくれるんだ。


 頑張りを認めた上で素を見せることも大事とフォローしてくれるなんて、完璧すぎませんか? お隣さんはどうしてこんな子を放置できるのか全く以てわからない。


 俺ならすぐにでも囲いたいぐらいだぞ。


「ひとまず、その椅子使いな。荷物は適当に置いてくれたらいいから」


 引っ越してから数日の頃、ここでテレビを見るように買った座椅子を勧める。今年は例年より暑いせいで背中を何かにくっつけたくなくて、殆ど使わないでいたからちょうど良いだろう。

 俺はさっきまで使っていた座布団で十分だし。


「ありがとうございます。そうだ、せっかくお邪魔させて頂いてますし、今日買ったお酒一緒に飲みませんか?」

「いやいや、それはお隣さんが好きなやつなんだろ? だったら取っておいてあげな。家にストックあるからもしお酒が飲みたいならそっち飲もうよ」

「すみません、お気遣いまでして頂いて。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」


 座椅子に正座して、ニコッとはにかむ姿はもう一級品。何がとはうまくたとえが出てこないけど、とにかく絵になるんだから。


 こっちまで自然と頬が緩んじゃうよ。


「一応ビールとチューハイ、あと安物だけど日本酒もあるよ。どれがいい?」

「あまりお酒強くなくて酔っちゃうかもなので、一番アルコール弱いやつで大丈夫です」

「ならチューハイかな。ももか白ブドウかカシスオレンジ、どれにする?」

「白ブドウでお願いします」

「おっけー」


 ちゃんとお隣さんから連絡が来たときのことも考えているみたいだから、お酒はこの一缶だけにしておいたほうが良さそうだな。あまり強くないとも言っていたし、俺も飲み過ぎたら腹出てきちゃうから合わせよう。


 プシュッと缶を空けてつまみのピーナッツやキューブ型のチーズ、それにブラックペッパー味のポテチを丸テーブルに並べたら準備万端。


「それじゃあ、乾杯!」

「乾杯です!」


 缶を鳴らして喉に潤いを与えていく。このグッと流れ込んでくる感じが堪んねぇんだわ。

 彼女さんも一口目にしては多めに飲んだみたいではぁーと息を漏らしている。


「そういえば、まだ名前聞いてなかったよね?」


 さっそくポテチを一枚食べて近くに置いているウェットティッシュで指を拭いながら聞いてみた。


 彼女さん(仮)状態だから知っておいた方が明日にでもお隣さんに話せるし、もしここで詰まるようならやっぱり怪しい人かもしれないし、聞くことにも答えることにも損はないだろう。


「たしかに、まだだったかも。私、優梨愛ゆりあって言います」


 それだと源氏名みたいなんだけど……さすがにこのツッコミはないか。せっかく親御さんがつけてくれた可愛い名前だからな。


「優梨愛ちゃんね。お酒飲めるってことは大学生なのかな?」

「ですです。未鷹くんと同じ大学生で。お兄さんは二十五歳ぐらいですか?」

「ハハッ、疲れてるからかな、老けて見えちゃってるみたいだね」


 まだまだ若いと思っているからこそ二歳の差でも間違えられると悲しいものだ。


 自分でも顔に疲れが見えているのは分かっているし、出勤する前にはなるべくそれを隠すために滋養強壮剤を飲んだりもするけど、今は完全にフリーだったから丸見えだったんだろうな。

 思ったよりもショックを受けている俺を見て、アハハ……と苦笑いを浮かべられてしまった。


「今、二十三だよ。たしかお隣さんって二十だったから、優梨愛ちゃんとも三歳差かな」

「それ、未鷹くんに教えてもらったんですか?」

「そうそう。俺が後に引っ越してきてお隣さん一人だけだから、せっかくなら仲良くなっていた方がいいかなって挨拶したときにね。爽やかイケメンって感じの見た目してたの今でも覚えているよ」


 お世辞なしにそう思ったからこの子が好意を抱いているのも納得できる。なんなら挨拶のお返しにお歳暮でビールと肉をくれて、男の俺でさえキュンとさせられた。


「実際大学でも人気あるんですよ。後輩からも先輩からも」

「そのなかで君は家に呼ばれるぐらい仲がいいんだね」


 ここから付き合っているのかどうか聞きだそうとしたが、話を振った瞬間から優梨愛ちゃんの表情が曇り始める。もしかして地雷踏んじゃった?


 一応、どうしたのと聞いてみる。


「いえ、その……さっきお見せしたようにお兄さんの言ったこと自体は間違ってないですよ。ただ、やっぱり常に他の人の存在がちらつくと言いますか、どうしても気になってしまうんですよね」

「こんなに可愛い優梨愛ちゃんでさえ、そういう不安を持っているんだ」

「褒めてもらえるのは嬉しいですけど、私以上なんて普通にいますから心配になっちゃいますよ。お兄さんだって好きな人に違う男の存在が傍にいたら嫌になりません?」


 うーん、それは否定できない。実際、俺も先輩が今日誰と飲みに行ったのか気になって仕方なかったから。もちろんそれを口に出すとウザがられるだろうし、図々しさが出るだろうしで心のなかに仕舞っているけれど、できることなら直接先輩の口から聞きたいというもの。


 そこに自分への自信があれば多少は和らぐとは思う。でも、俺は普通の顔な上に仕事が出来ないからな……。


「まあ……そうだね」

「あっ、その感じ、今まさにってところですか? 今日キャンセルになったお相手の方とか?」

「まあ……………そうだね」


 改めて言われるとグサッと来ちゃう。どうしてチャンスが遠ざかっていくんだと悲しくなってくる。


「そこまで残念そうにしてるってことはお気に入りの方なんですね。どんな人か教えて頂いてもいいですか?」

「俺はいいけど、本当にそんな話で良いの? 待ち時間の潰し方」

「はい! だって、何歳になっても人の恋愛事情って聞いているだけで面白いですし。特に私の知らない社会人の世界のそういうお話しは新鮮ですし」

「そこまで変わりはしないよ。まあでも、そんな風に言ってくれるならいろいろと吐き出してみようかな」


 女の子だなー。


 恋バナは俺も好きな部類ではあるけど、乗り気になるほどかと言われればそんなことはない。

 それでも目の前にいる少女は瞳を輝かせて自分の知らない世界を覗くことに期待しているみたいだ。ただ、満足させられるような話を持っているわけではないので、お悩み相談ぐらいの気持ちで聞いて欲しい。


「その人は俺の会社の先輩でさ、今、ちょうど指導役として付いてもらっているんだ」

「なるほど。他の人と比べて距離が近いわけですね」

「そうそう。まだ入社して二ヶ月だから特にいろいろ教えてもらうんだけど、俺がイマイチなのにそれをカバーしながら自分の仕事もきっちりこなすんだよ」

「頼りになる人って男女問わず格好良く見えますよね」

「まさにその通りで、もう常に輝いて見えるわけ。しかも、うまくやれてない俺なんかに優しくしてくれるし、殆ど怒らないし、ドンドン惹かれていっちゃうんだよな」


 入社からこれまでを回想してみても俺個人が何か活躍したシーンはひとつもなくて、いつも隣で先輩がニコニコ見守りながら所々ヒントを出しては俺を目標まで導いてくれているものばかり。しかもミスをしたらふふって笑ってくれるから、会社にいるときはあまり暗い感情にならない。


 そういう配慮までしてくれているところを直接見ているのに惚れないわけがないんだよな。誰でも好きになれるって。


 あと、先輩の話とは関係ないけど優梨愛ちゃんの言うことがバッチリ嵌まってリズムに乗りやすい。共感して欲しい箇所を見事に言葉にしてくれる気持ち良さがある。


「ただ、それだけ俺はダメなとこ見せてるわけじゃん。こっちからの評価は上昇しまくりなのに先輩からは急降下しているんじゃないかって気がしてならなくて。今日も急遽こっちに寄るって話になったんだけど、結局なくなったわけだし」


 思えば現在進行形で恋愛をしている優梨愛ちゃんに話を聞いてもらうことで何か良いアドバイスをもらえるかもしれないのか。ここで情報を多く与えて返事をもらうのはいいことかも。


 今日は特別な出会い方で話せているけど、これからまたこういう機会があるとは考えにくいし。


「でも、そういう人ってただ単に世話焼きな性格の可能性が高くないですか?」

「そうだといいんだけどねー」

「あんまりそういう雰囲気はない感じです? それとも優しさの幅が広すぎて逆に心配になっちゃうみたいな」


「どちらかといえば後者かな。やっぱり怒られるっていうのは嬉しいんだよね。なんでもかんでも大丈夫って言われるともう見限られたみたいな感じがあって勝手に不安になっちゃうから」

「たしかに私もちょっと嫌かもです。何事もそうですけど、やっぱり傷をつけ合える関係って素敵じゃないですか。上辺だけだと良好な関係を築こうとするあまり欠点に目を向けませんから」


「まさにそれ。なんだか優梨愛ちゃんとは気が合うね」

「えへへっ、ちょっと嬉しいですね」


 もしかすると今の会話自体が彼女の言う上辺だけの関係なのかもしれないが、こうも意見が合うと気分が良い。


 愛が重い人間を嫌う人がいるなかで、それでも長く付き合うならその気持ちは何よりも尊重されるべき感情だと思う。だからこそ、傷というのは分かりやすく愛を示すもの。


 たとえそれが友としての愛だろうとも変わらない。喧嘩するほど仲が良いという言葉がよく使われるが、それも当てはまるだろう。


 その行動自体に関係値の高さが含まれているというわけだ。

 それにしても本当に優梨愛ちゃんが傷を愛の証と捉えているのであれば、お隣さんのことは確実に隠しておいたほうが良さそうだな……。

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