二日目 いつのまにか立場が逆転しているような

 ど、どういうことだってばよ。

 今、俺の目の前にはムラのない青髪を風になびかせながら、こちらを潤んだ瞳で見上げるように見つめてくる少女がいる。


「えっと、お邪魔したいっていうけど、君はどちら様?」


 俺の記憶のなかにこんな可愛らしい少女はいない。可愛さだけで言えば先輩すらも凌駕するんじゃないかと言うほどに、オーバーサイズのラガーシャツとデニムのショートパンツが似合っている。あと、肩掛けのポーチも。

 足もとにはスーパーの袋がひとつ。


 自分の魅力を十分に理解したコーデは当然雰囲気だけのものとは比べものにならないぐらいその人物を輝かせる。とまあ、そんなことよりも早くこの子の正体を知りたい。


「さすがに知らない人を上げるわけにはいかないからね」

「あっ、そうですよね!」


 目の前にいる少女は指摘されハッとした様子でポーチのなかからスマホを取り出した。どうやらそこになにかしらの理由があるみたいだ。


「その、実は隣の未鷹みたかくんに呼ばれてきたんですけど、インターホンを押しても電話をしても出なくて」


 そう言ってスマホの画面を見せてくる。たしかに未鷹くんとのトーク画面に今日の応答なしという表記が三回分と、それまでのやりとりが残されてはいるな。


 明日楽しみにしてるねと送った彼女に対して親指を立てニコッと笑うスタンプを返しているあたり、嫌われている雰囲気ではない。


 ていうか、もしかしてこの子、彼女さんだったりする? お隣さんの。それか今さっきまでおせっせしてた方が本命でこの子は浮気相手?


 やばい、どっちが正解なんだ。もし、このタイミングでお隣さんが家から出てきて鉢合わせなんかしたら最悪だぞ。

 だからといって、家にあげるのもなぁ。


「だとしたら多分、出かけているんじゃないかな? ここ、大きい音だと壁を抜けてすこし耳に届くんだ。たしか一時間前ぐらいにドアを勢いよく閉める音がしたから」


 まあ、こんなところか。そもそももうすぐここに先輩がくるからどう足掻いてもあげることはできないし、帰ってもらうしかない。


「それは嘘じゃないですよね?」

「へっ?」


 納得してくれると考えていた手前、まさか疑いをかけられるなんて思ってもいなかった。

 つい間抜けな声が出てしまう。


 それに彼女の目、まるで冗談とは思えないほどに鋭く俺の目を覗いている。心のなかまで見透かそうとしてくるみたいに。それほどにお隣さんと良い関係であるか、もしくは既に別の女の存在に気付いているのか、どちらにせよ巻き込まれたくはない。


 ここは嘘をつき通そう。この子には悪いけど。


「勘違いって可能性は否めないけど、君にも反応せずに出てこないなら間違ってないんじゃないかな」

「いえ、そっちじゃなくて」

「そっちって?」


 他にどの可能性があるんだろう。あまり時間を喰われるのは困るんだけどなー。


「お兄さんの方ですよ。だって、帰ってきたの二十分ぐらい前ですよね?」

「…………」


 一瞬時が止まったかと思った。


 マジかよ。何で知ってんだ、この子。もしかして新手のストーカー? でも、どうして俺なんかに。いやいや、俺目的じゃなくてお隣さんが目当てか?


 なんにせよ不気味な怖さがある。このまま思い付きの言葉だけで乗り切れそうな感じはないし、恨みを買っても嫌だし、でもやっぱり今トラブルに関わりたくない。


「何をそんな悩んでいるんです?」

「えっ、ああ、いやその……だって、どうして君が俺のこと知っているのかなって」

「あっ、そうですよね!」


 ハッとした様子でこの空間の異常さに気付いてくれたみたいだ。


「ごめんなさい、ついついその先が気になってしまって端折ってしまいました。今のままだと怪しさ満載ですよね」


 頭を下げた後、見えた表情は柔らかくなっている。良かった、まだ話は通じるタイプかも。


 ちょっとこっちも大事な用事が控えているから先走りがちだったかな。気を付けないと逆に時間を潰してしまう。


「実は駅からここまでタクシーで来たんですけど、手ぶらだったので未鷹くんの好きなお酒でも買っていってあげようと思って一回近くのスーパーに寄ったんですよ。それで一応のため下からここを見上げたときに部屋に入っていかれるお兄さんの姿を見つけて」


 これが証拠だと今度は長財布の中から領収書を取り出して見せてくる。タクシーとスーパーの二つ分。経費で落ちるわけでもないのにどうして貰ったのかはよく分からないけど、たしかに間違いはない。


 ていうか、スーパーの方は袋があるからわざわざ見なくてもわかる。


 すこし話の展開の仕方に問題があったとはいえ、悪い子という感じではないのかな。

 手を後ろにおいて、なにも見えないのはすこし怖いけど。


「そこは分かった。嘘ついちゃったのもごめん。でも、俺もこれから人が来る用事があってなかに入れるわけにはいかないんだ。今日のところは帰った方がいいよ」

「そうですか……」


 しょんぼりしないでくれよ……。そんなにお隣さんに会いたかったのかなって考えちゃうじゃないか。


 それにしてもここまで好まれるってお隣さんは凄いな。

 俺にも彼女がいたことはあったけど、数を言えば二人だけ。それにどちらも俺からアタックしたもので女の子からなんてなかったぞ。そう思うとお隣さんのことが途端に気になり始めた。でも、今日はダメだ。


 おっ、ちょうど良いタイミングで通知が鳴ってくれた。先輩からだろう。俺がわざわざこの子に見せる義理はないにせよ、せっかくだからこういう用事だよってことを証明してあげようか。


 通知欄からタップして先輩とのトーク画面を開く。


『ごめん! そっちに向かっている途中だったんだけど、家族が体調崩したみたいで行けそうになくなっちゃった。また今度飲も!』


 あれれー、おっかしいぞー。


 もしこのまま目の前でちらちら俺のことを見ている少女を返したら、俺はまた一人空しい時間を過ごすことになってしまう。先輩の為に張りきったせいで眠気が飛んでいるから地獄の時間になる予感。


「どうかしましたか? スマホを見て表情が硬くなったように見えましたけど」

「あー、まあなんていうか」

「もしかして、予定消えちゃいました?」

「そんな感じかな、ははっ」


 何故か嬉しそうに若干口角を上げる女の子。


 もしや、今ならさっきのお断りをキャンセルできるのでは? 独り酒するぐらいなら女の子とお喋りしながらの方が良いよ!


「えっと、一回お断りした身の僕が言うのもなんだけど、良かったらあがっていく?」

「いいんですか?」

「君さえ良ければ」

「やったぁ!」


 分かりやすくテンションを上げる無邪気な姿に先輩との飲み会がなくなった悲しみはすこし癒え、ここからを全力で楽しもうという気にさせてくれる。


 ちなみにまるでお隣さんと連絡がついたみたいな喜びようでいるけど、本来の目的はひとつもクリアしてないからね。


「じゃあ、なか入って」

「お邪魔しまーす」


 陽気に身体を揺らして隠しきれないほどの笑みを浮かべるその姿はあまりにも可愛くて、ただただ心が癒されていく。キャバクラに行く人ってこんな気持ちなのかな。いや、それはこの子に失礼か。


 さて、楽しくお話しする前に先輩に返事をして、完全に意識をこちらに切り替えよう。


『俺のことはお気になさらず、ご家族を優先してください』


 ちょうど送ったタイミングで女の子のスマホが鳴る。あれ、この流れはせっかくお楽しみの時間になろうとしたのにまた奪われるやつ? お隣さんが何かしらの策を思いついたのなら俺がこの子を引き留めておくから大人しくしてくれ。


「もしかして、お隣さん?」

「そうかなって思ったんですけど、お友達からでした。さっ、なかでお話ししましょう」


 彼女はそう言うと、ポーチのなかにスマホを仕舞う。


「ああ、そうだね」


 今日のなかでは珍しく不運を免れたみたいだ。よし、楽しむぞ!

 心のなかでグッと拳を上げ、そう鼓舞するのであった。

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