第34話   カレン様の真の目的と、これからの事②

「カレン様が知りたかった情報は、上手く説明できたかな。カレン様をお雇いした誰かさんは、私の能力が相当に怖いみたいだね。いったい、誰があなたにこんな遊びを吹っ掛けたの?」


 ずばりお尋ねするお嬢様に、カレン様は視線を床板に泳がせるだけでした。カレン様を雇えるほどの高貴な身分のお名前を、そう簡単に白状できたら苦労はしませんよね……。


「それじゃあ、ここから先は、ただの他愛ない女の子同士の会話ってことにするね」


「はい?」


「私はあなたを尋問はしない。今から話すことは、全部ただの何気ない会話。あなたが知っていて当たり前のことを話そう」


「わたくしの、当たり前を……?」


 訝しむカレン様に、お嬢様が「たとえば、サロンについて教えてほしいな。私は一度も行ったことがないんだ」と一例を出して、会話を促しました。カレン様だってお手紙を送ってまで、真実を知ってほしかったはずです。ここで尻込みなされては、我々には帰る他ありません。


「サロンの……。わかりましたわ、では、今から話すことは、サロンについての他愛ない話。そこのメイドも、主人の会話を不作法に言いふらす真似はやめてくださいませね」


「承知しております」


 彼女に指示をされるのは大変不快ですが、表面上は無表情に一礼しておきます。


 カレン様はわたくしを胡乱な目で眺めつつ、ゆっくりと視線を、お嬢様へと戻しました。


「わたくしが彼と出会った場所は、わたくしが主催を務めるサロンでした。ですが、本当はわたくしの意志で開催した催し物など、一つもありません。全ては、父が用意してくれたこと。わたくしがどこぞの男にそそのかされないように、父の息のかかった殿方ばかりがサロンに招待されていました」


「へえ。それじゃあ、あなたのお父上が、隣国の次期大公殿下を、お呼びしたんだね?」


「……どうでしょうね、父は本当は嫌でたまらなかったのだと思いますが、相手が大物だけに、断れなかったのでしょう」


 早々に、他愛無い会話の域を超えていらっしゃいます。


「次期大公殿下には、とても困った叔父様がいらっしゃいました。公国の種馬と蔑まれるほど、とにかく女性に手当たり次第に手をお付けになるのです。彼は左右で目の色が違う、蠱惑的な魅力を持った青年であり、馬一つで世界中を旅し、その間に、大勢の女性を懐妊させ、その件で今でも揉めていらっしゃいます」


 カレン様が大きなため息をついて、眉間を片手で押さえました。


「お父様は、娘のわたくしを絶対に外へは出しませんでした。それは、今も尚どこかで生きている種馬公を警戒していたから、それと……過去に種馬公が、お母様に近づいたから」


 え……?


「サロンでは、お父様に選ばれた優男のみが入室を許可され、彼らはわたくしを愛してもいないのに持ち上げてくれましたわ。友人もおらず、寂しかったわたくしには、父のサロンにすがるしか、寂しさを埋めるすべがありませんでした」


「そこまで愛されて、大切にされてきたあなたが、隣国の王子に唆されて、家出までして、こんな事件を起こしたんだ。あなたのお父様は今、どんなお気持ちでいるかな、想像したことある?」


「さあ……」


「心配してるよ、きっと。私は毒殺の件は黙っておくから、家出の件だけでも謝りなよ。きっと許してくれるよ」


「そうでしょうか。お怒りかもしれませんわ」


 再びの深いため息とともに、揺れた頭から崩れた前髪が、ひたいの前で揺れました。それを片手で掻き上げて、カレン様は足を組みかえました。


「ダリア・デイドリームを潰すこと、それを実行しなければ、婚約を破棄すると殿下に脅されましたの。お父様は何も知りませんわ、けれど、わたくしに舞い込んだ婚約の話には、たいそうお喜びになっておりました。それが正式に白紙となった日には、きっとわたくしをお責めになるでしょうね……」


「そんな人との結婚なんか、こっちから願い下げじゃないの? そんな恐ろしいお婿さんなんて、あなたの人生には必要ないだろ?」


「……必要、だったのです。彼の愛が」


 壁際にて待機するわたくしからは、お嬢様が小首を傾げた後ろ姿しか、わかりませんでした。


「わたくしと彼の噂……遠い地で軟禁生活を送っているあなたには、知られていないようですわね」


「うん。国内の貴族の当主のことは、ある程度は調べてあるけど、身内全員のことまでは詳しくないや」


「そう……なら、遅かれ早かれ、あなたの耳にも入ったことでしょうね。彼とわたくしは、その種馬と呼ばれた男の、子供かもしれないのです。……根拠はなく、情報の出所はただの噂。わたくしは絶対に、世間の目に屈するわけにはいきませんでした。母の不貞を疑うなんて、そんな人生には耐えられませんでしたから」


 隣国の次期大公殿下と、カレン様が、腹違いの兄妹? たとえ噂であっても、本人たちの耳には絶対に入れてはならない無礼です。不敬罪で罰せられても、文句は言えません。


「けれど、お父様は違いました。母を疑い、そしてわたくしをサロンに閉じこめました。サロンには選ばれた客人のみが入室し、わたくしの孤独と不満を慰めてくれました、けれど……そんな日々、飽きてしまうし、虚しくなるに決まっていますでしょう? だって周りは、ただの役者なんですから」


 ご自分が主催したパーティが、全てにこやかな役者ばかりだなんて……。わたくしなら、もっと有意義なことに時間を使いたく思いますね。どうせ仲良くもなれない、金銭の絡んだ契約者ばかりならば、そんな催し物いりません。


「虚しさを抱えつつも、わたくしに許されている場所は、あのサロンだけ。きっとあの中の誰かと結婚し、その後も一生ここに閉じこめられてしまうのだと、思っていました」


 華やかで派手な生活を満喫している御方だと思っていましたが、随分と暗く卑屈な日々をお過ごしになっていたようですね……。


「彼は叔父である種馬公に、わたくしの母とは関係していないことを証明させると、持ちかけてきました。さらに周囲への説得力を持たせるために、わたくしと婚約を結ぶと……それがどんなにか嬉しかったか。父も母をようやく信じることができ、ようやく……ようやく家族が一つになってきたのに……」


「だから、毒を飲まずに帰ろうとした私を、すごい形相で走って追いかけてきたんだね。あなたが追ったのは、幸せになった家族の理想像だったんだ」


 小さく頷くカレン様。その姿は、まるで大人に言われるまま従ってしまう、小さな女の子のようでした。


「演技じゃなかったのか。あなたは、ずっとずっと傷心中だったんだね。見抜けなかったよ」


 そもそも、他人の別荘地を改造したり、家具を全て破棄したりと、怪しい言動ばかりでしたから、同情する余地なんて我々にはありませんでしたね。


「この作戦、全部あなたが考えたこと?」


「……いいえ。全てクリスティーナが」


 は?


 ナイトウォーク家の血筋の者が、うちのお嬢様の毒殺を企てたと言うのですか!?


 思わず、声を荒らげてカレン様を質問責めにしようとしてしまい、振り向いたお嬢様に無言で諭されていなければ、本当にそうなっていたところでした。


「カレン様、あなたのお父様は許してくれるよ。あなたが誰も殺さなかったこと、きっとほめてくれる」


「いいえ、お怒りになるでしょう。そしてまた、何年も続いたあの日々が繰り返されるだけですわ。父と母は再び不仲となり、私はその気配に怯えて、おろおろするばかり。ですが、怯えてばかりいるのも、これで最後にします」


 吹っ切れたかのごとく、短く強めな息を吐き、カレン様が姿勢を正しました。乱れていた前髪も手櫛で整えて、まっすぐにお嬢様と、それから壁際のわたくしを見据えます。


「彼に気に入られるためとはいえ、お会いしたこともない女性に毒を盛るために、何ヶ月も前から用意してきた自分が、哀れに思えてきましたの。彼がわたくしに傾けてくださった愛は、今回の失敗で失うでしょう。けれど、わたくしにはそんなもの、最初から必要なかったのです」


 カレン様はソファから、前のめりになりました。


「ダリアさん、あなたはご家族に軟禁されているというのに、頼りない兄君を庇い、その信用を勝ち取りました。ハロルド様とも、不仲ではないようですね。メイドたちは優秀に育てていますし、あなたには教えられることばかりでしたわ」


「何か教えたかな」


「わたくしも、自分の力でお父様とお母様の仲を取り持ちます。これは家族であるわたくしにしか、できないこと。誰かに頼るのではなく、わたくしが、何十年かかろうとも、向き合い続けて、挑み続ける課題だったのですわ」


 疲労が浮かんだそのお顔には、覚悟を決めて決断した、強い意志を感じます。


「今から我が領に戻るのが、ほんの少しだけ憂鬱です。けれど、お母様を世間の評判から守るのが、きっとわたくしの生涯の役目。どうか、応援なさってください、ダリアさん」


 急にお名前を呼ばれて、お嬢様はキョトンとしておりましたが、すぐに気を良くした笑みを浮かべました。これは壁際に立つわたくしからは、全て気配でしか伝わらない、感情の機微というものです。


「もちろんだよ、カレン様。辛くなったときだけじゃなくて、なんてことない日でも、またいつでも遊びに来てね」


「ええ、是非」


 二人の淑女が、微笑み合います。高価なお茶も、美味しいお菓子もないですが、お二人にとっては、再会の約束だけで充分に嬉しいのですね。


 カレン様の新たな門出を、謹んでお慶び申し上げます。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る