第33話   カレン様の真の目的と、これからの事①

 まるで別荘に滞在していた過去そのものを、全て消去したいかのごとく、カレン様は持参されていたあらゆる可愛い物を撤去していらっしゃいました。


 別荘の中は、見事なまでに伽藍洞。玄関マットすら我々を出迎えてはくれませんでした。


 こんなお宅では、生活できません。カレン様は今日中に、ここを出払うおつもりなのですね……最後まで他人の家屋を好き勝手されるお人でした。


「元気そうだね」


 お嬢様が気さくにお声がけすると、案内をしているメイドが、にこにこしながら振り向きました。


「幾分か職場の雰囲気が良くなったんです。本当はみんな、イライラもしたくないし、誰かに仕事ぶりを正当に評価されたいだけなんです」


 つまりは、今までは不当な扱いに苛立っていたと。要約しなくても、あの厨房に立った者ならば誰でも理解してしまいますね。


 彼女は今のところ転職は考えておらず、もう少しカレン様のお傍でがんばるのだそうです。環境さえ良ければ、どんな人でも輝ける好機を手にできます。彼女の今後に幸多からんことを二人でお祈り申し上げている間に、客間へと続く大きな両開きの扉の前へと、到着いたしました。


 彼女の案内は、ここで終了だそうです。では、カレン様は、この客間にいらっしゃると。


 彼女は、室内にいらっしゃるカレン様にお声がけしてから、丁寧な手付きで扉を開けてくれました。



 二つのソファしかないお部屋は、まるでこれから廃墟となる定めにあるかのごとく、寂しい景色でした。


 彼女の身分が高貴でなければ、決して許される行為ではありません。いいえ、もう、ここまでやられたら、下位の貴族であろうとも損害賠償が請求可能な域です。


 外で可愛いマシュマロを焼いていたご本人は何をしているかというと、今にもソファで横たわってしまいそうなほど、ぐったりとしていらっしゃいました。胸などを固定する下着類すら身に着けていないのか、以前は大きく前に突き出ていた挑発的なバストが、少々重力に負けていらっしゃいます。


 部屋といい、彼女の弱った様子といい、呆然としてしまったわたくしとは対照的に、お嬢様は空いたお席へと、静かに腰を下ろしました。


「カレン様、お具合がよろしくないようだけど、大丈夫?」


「……ハァ、ええ、ちっとも……。大変まいっていますわ」


 ここで演技臭く片手で前髪など掻き上げてくだされば、まだ気持ちも軽くなったことでしょう。ああ、この御方は変わらないのですねぇ、と呆れることができたでしょう。


 化粧も間に合わず、明るい淑女の余裕すらお顔に浮かべることなく、ハの字に寄った眉毛と曇った表情は、よほどご自分の表情筋の動きを把握し尽くした役者でもない限り、意図的に作るのは不可能でしょう。


 カレン様は気怠そうにしながら、大きなソファに深く背中を預けていらっしゃいます。普段着よりももっと緩めのお召し物でも、見た目さえよければある程度は輝くように見えるのだと、昨日までのわたくしは思い込んでおりましたが、心底お疲れのご様子は、さすがに美丈夫な一般女性に劣ってしまいます。


 いったい、どうなさったんでしょうか……? 昨日の敵は今日も敵ですが、さすがに心配せざるを得ません。


「お茶もお菓子も、出ないわよ。どうせ警戒して、何も口にしないんでしょうから」


「うん。でも怒ったり追いかけて来ないでね」


「当たり前でしょう? あなたに何かあったら、ベンジャミン様がハロルド様に告げ口しますわ。もう彼はわたくしの手紙に応じる気はないようですから」


「え? お兄様に、お手紙を無視されてるの?」


「そんな薄情なこと、できるお人じゃないわ。お返事の代わりに、丁寧にラッピングされたダリアのお花が一輪、届きますの。わたくしではなく、ダリアさんの味方なのだと、暗に主張なさっていますのね」


 ダリアお嬢様が、ほっとしたのが伝わりました。


「お兄様らしいよ。誰かを傷つける言葉なんて、文字でも表現できない人だもの。そのお花、飾れるくらいキレイだったんでしょ? 粗末な花を女性に贈るなんてひどいこと、お兄様はしないはずだよ」


「ええ。今まで頂いた数多の贈り物の中で、一番深く心に刺さりましたわ。まさか、このわたくしが、こんな形で振られるなんてね」


 不愉快げに大きく足を組みかわすカレン様。その足は真珠のように輝いていらっしゃいます。栄養は摂っているご様子ですね。


「今のわたくしへの気遣いなど、結構よ。本題に入りましょう。あなたに毒を盛り、亡き者とすること。それがわたくしに課せられた使命でした」


 カレン様の告白に、お嬢様のシュガーブラウン色の眉毛も、真ん中に寄ります。


「使命? あなたの手を血で汚そうとした相手は、いったいどなたなの?」


「それをお話する前に、あなたは命を狙われるほど恨みを買う心当たりがありまして? わたくし個人は、あなたのことをよく知りませんの。その変わった特技も、人から聞いて初めて知ったのです」


 よく知らない相手を、毒殺しようとしたのですか!? 世間知らずなお嬢様とはいえ、冒険が過ぎます! 人の命をなんだと思っているのやら! 本気で言っているのなら、ますます許されることではありません!


 しかし、憤るわたくしの視界の中では、お嬢様はいつだって静寂の中の花のごとし……命を狙ってきた相手には、さすがに怒りを露わにしたって、誰も文句など言いません、それなのに。


「う~ん、私が殺されるほど恨みを買ってるんだとしたら、今やっている探偵業のせいかもね。それか、お父様が原因かも」


「ハロルド様が?」


「私のお父様は、元々はこの国の辺境伯だったんだ。以前の王様が依怙贔屓のひどい性格しててね、なんとも言えない不気味な悪政が続いちゃって、それでお父様と大勢の武人が立ち上がったんだ。戦争は五年以上続いた。お父様たちが勝利したけれど、お父様の側室の一人が仲間から疎まれてしまい、その影響でお父様は、国のど真ん中であるこの地の伯爵として配置され、周囲から監視されているんだ。側室が亡くなった後も、その体制は変わっていない。カレン様のお父様も、うちのお父様のことを疎んじている一人なんだよ」


「先の戦争の話は、わたくしも聞いたことがあります。わたくしが生まれる前の大事件でしたけど、今でも周囲の人間がしつこく話しているのを、耳にタコができるほど聞いてきましたわ。自分たちの勝利を正当化したいという気持ちで溢れていて、一字一句真実を話しているのやら判断がつきません」


「お父様が連れていた側室が、周囲から警戒されていた原因の特技が『リーディング・テキスト』。側室は子孫を残さなかったけれど、なぜかお父様の娘の私が、能力を受け継いでいるんだから、厄介だよね」


 ……ハロルド様に側室がいらっしゃった過去は、わたくしも母から聞いておりました。憎しみたっぷりに、母は語るのです。ナイトウォーク家が破滅に追い込まれたのは、他ならぬその側室の計略によるものなのですから。


 最後のナイトウォーク家当主は、元々精神的に不安定な男性だったそうで、そこに彼女の詩が加わってしまい、どういうわけだか身内の女性全員を「魔女」だと言い張って、使用人たちに殺害を命じたそうなのです。母は婚約者の男性と逃げ延びましたが、他の女性陣がどうなったのかは、わからないままです。


 ちなみに、その婚約者の男性がわたくしの父なのですが、母の実家が潰れたことで正式な婚約が破断となり、母も未だに追われている身の上、一つどころに長居ができずに、父のもとを去ったのだそうです。


 定住ができないままに、わたくしと母は貧しい母子家庭でした。お嬢様の計らいで、母を美しく弔うことができたのが、わたくしにとって、せめてもの救済となりました。


 お嬢様とともに、ナイトウォークの復興を、固く胸に誓ったのも、その時でした。母の命日が、私の生まれ変わった日なのです。


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