終章 マシュマロ作家
第35話 私の運命を下す人
カレン様と別れたお嬢様とわたくしは、別荘地の坂を下りていました。フードを揺らす風が、暖かく心地よいものに感じます。それだけわたくしが緊張していたのでしょう。なにせ相手は、我が主人に毒物を盛る危険人物なのですから。
お嬢様とカレン様が穏やかにお別れをすることができて、一安心です。
……できれば、もう永遠にお会いにならないでいただきたいのですが、貴族同士の体面を保つための社交辞令というものもありますし、これからも微妙にお茶会をなさるのでしょう。サロンとやらにも、招待される日が来るのかもしれません。カレン様との領土の距離は、一日二日では到底辿り着ける道のりではありませんから、小旅行になりますね。
「カレン様、なんだか一皮むけて見えたね」
「そうですね……。他者からの支配や依存から抜け出た者の面構えは、全く違って見えます。……良くも悪くも」
「良い方向に転じてくれたらいいね。こればかりはカレン様次第さ」
わたくしにはダリアお嬢様がいらっしゃいました。カレン様にも、先導しつつも温かく見守ってくださるどなたかが、いらっしゃればよろしいのですが。
ふと、お嬢様が立ち止まり、元来た道を振り向かれました。
「……いつまで隠れてるつもりなの? 別荘の玄関を出たあたりから、ずっと付いて来てるよね。用があるなら、一応聞くけど」
え?
なっ、何者かが、潜んでいる!?
た、たしかに、雑草でぼうぼうに盛り上がっている道脇に、不自然にもへこんでいる箇所があります。気配からして約一名……雑草を踏みつけて隠れているようです。
こんなに接近されていたとは、なんたる不覚!! カレン様との一件が落着して、気が緩んでいたようです。ああ自分が情けない!
などと感傷に耽っている場合ではありません!
「お嬢様、お一人で馬車まで走ってください。わたくしが相手の足止めを!」
わたくしが前へ出るのと、雑草の山がふわふわと揺れて、一人の紳士的な初老の男性が静かに現れたのは、ほぼ同時でした。
「降参、降参ですじゃ。ふぉっふぉっふぉ」
「あなたは! いつもお嬢様からネタを催促している卑しい小説家の!」
「やれ、あまり年寄りを虐めてくださるな、お嬢さん方」
「では、我々に警戒されるような真似をなさらないでくださいませ」
「ううん、それはごもっともですがなぁ」
片目の眼帯に指をつっこんで、ごしごしと目をこすってウソ泣きするその様は、まごうことなき彼でした。女性の背後を静かに尾行するだなんて、そんな事をするようなお人だとは思いませんでした。本日をもって絶縁なさるべきだと、お嬢様にご進言差し上げなければ。
さすがのお嬢様も、両腕を組んで呆れたお顔でいらっしゃいます。
そして、我々二人分の非難の視線に、動じる彼ではございません。
「いやはや、苛烈な性分のカレン嬢が、あそこまで丸くおなりになるとは。さすがはダリア様、その手腕、じつにお見事です」
「どーも」
「ずっと遠目に眺めておりましたが、なかなかに脚色しがいがあるエピソードでした。素朴で、どこにでもあるようで無い事情を抱えた登場人物たち、注目されなければ目立たないが、いざスポットライトが当たれば、悲劇性に満ちたヒロインたちがごろごろと登場する。じつに愉快な舞台でした」
「そこまで笑いを誘う場面があった? 私は殺されかけたし、カレン様の抱える家庭事情は、おそらく一生続くものだよ」
「幕が閉じれば、めでたしめでたし。続編がなければ、キャラクターのその後は、想像の中の二次創作に留まります」
初老の紳士は、小さめの黒いシルクハットを片手に取って、恭しい態度で頭を下げてみせました。ロマンスグレーが日差しに輝いていて、きっとお若い頃は魅力に溢れたハンサムであったのだと、その面影を伺わせます。
「どうか私に、ハッピーエンドを描かせてください。原型を留めないほど見事なファンタジーに、描いて見せましょう」
……要するに、「個人の特定には繋がらないよう配慮するから、ネタとして使わせてくれ」という意味ですね。
「構わないよ」
さすがはお嬢様、なんと器の大きい。この哀れで卑怯なご老人に、明日を生きるための糧を、お与えになるのですね。お嬢様がそうお決めになったのでしたら、わたくしから何か申し上げることはありません。
我々に対する尾行についてなど、いろいろと指摘したい不満は多々ありますが。
それに対して、彼に悪びれる気持ちはないご様子ですね。シルクハットを頭部に戻して、にやにやと口角に集まったおシワを持ち上げていらっしゃいます。
「いやはや、ご挨拶をする機会が、道端になってしまって申し訳ない。私がこの国に留まるのは、今日が最後なのですよ。ダリア様の数多のネタを収集し、作品を完成させること、これが甥っ子からの頼まれ事でしたのでね、自国へ帰って、さっそく執筆活動に取り掛からなければ」
「私に関するネタを、意図的に集めてたの? 他の人からも、いろいろな小話を集めているんだって言ってたじゃないか」
「ふふふ、ええ、はい、他の人からも、あなたのネタをお金で売っていただきましたとも。『道化は賢くなければ』ですな、ダリア様」
紳士が意味深に強めた口調に、お嬢様が鼻を鳴らしました。
「その言葉、黒いリボンの誰かさんも使ってたね」
「ああ、彼女のことですかな。彼女は私と組んでいたのですよ。お隣の公国から移動する際に、偶然、ばったり出会いました時にね」
「公国出身だったの?」
「ええ。彼女はどこかからの流れ者ですが、私は生まれも育ちも、お隣の謎めいた公国です」
そう言って、紳士はおもむろに片手を、黒い眼帯へと伸ばしました。右目を覆うそれをひっくり返して見せたのは、猫のようなレモン色の左目とは違う、スカイブルーの爽やかな色。
眼帯の裏側には、どこかの家紋が。常人では再現に時間がかかりそうな、蔓薔薇にびっしり囲まれた二羽の小鳥の夫婦の紋様が、金を溶かしたインクで彫り込まれております。
左右の目の色が違うのを、オッドアイと呼ぶそうですが、ここまで極端に異なるのでしょうか。眼帯を付けている時と比べて、その存在感と華やかさが段違いに跳ねあがっています。
お嬢様がわたくしよりも前に出てきてしまって、慌てました。
「その目……貴方が、かの有名な種馬公なんだ」
「これは辛辣な、傷付きマシタゾー。私は出会った女性全てに、全力で愛を捧げてきただけなのに」
「ふふ、お会いしたかったよ、私の運命の人。ずっとそばでお話してたのに、ちっとも気が付かなかった」
う、運命……!? こんな、世間での評判を最悪で極めたようなご老人が、お嬢様の運命なわけがありません!!
「お、お嬢様! いったい、何を言っ――」
「これはなんたる光栄だ。年若いお嬢さんから、こんなに嬉しい言葉を賜るとは」
何を喜んでいるのやら。眼帯を元通りに戻した彼の姿は、どこにでもいるお洒落な紳士に戻りました。
そのまま草場の影にお戻り願いたいところですが、なかなかそうもまいりません。
お嬢様はじっと紳士を見つめながら、胸に両手を当てました。
「貴方は私の、運命の歯車を回す人だ。
私の時間を進め、
私の死にゆく日を定める。
私の生きた思い出を色濃くし、
私の息の根を美しく止める人だ。
そして、
私の人生に、
希望と意味を授ける人だ」
「うん……? 聞いたことのない歌ですな。世界中の童話集は暗記しているのですが」
小首をかしげて不思議そうにしていた紳士は、肩をすくめて苦笑しました。
「ふふふ、まあ、いいですよ。私の作品では、死神に恋するラブレターには全く敵いませんからな」
「なんだ。詩の意味をちゃんと理解できてるんじゃないか。やっぱり私の運命の人なんだね」
「ふふふ、買い被り過ぎですな、お嬢さん。私の作品は、全ての子供たちに夢を与えるため、生み出されてゆくんです。ちょうど新作のネタも手に入ったことですし、近々舞台に使わせて頂きましょう。では、失礼」
シルクハットをつまんで、ちょいと上げ、初老の紳士は草葉の陰へと消えていきました。わたくしが急いで追いかけた頃には、なんの姿もなく、ただ生い茂る雑草と、遠くに見える作業中の農夫がいる畑だけが、のどかな時間を紡いでおりました。
帰りの馬車に揺られながら、お嬢様は窓の景色を眺めておりました。わたくしは、己のつま先を眺めておりました。
「厄介な事になったね、トリー。お隣の公国に、私を主人公にした舞台が開催されちゃうかも」
「あの煽りよう……おそらくは、彼なりの招待のつもりなのでしょうね」
お嬢様と彼が交わした契約は、小説の元ネタとして情報を提供する、というものでした。けっして、舞台の台本にして、公の場で開催するという決まり事ではありません。それを一方的に破ったとて、誰がかの者を罰することができましょうか。とうに廃嫡されたとはいえ、隣りの公国の、王の弟君なのに。
「どうなさいましょう、お嬢様……」
「招待状が来たら、観に行ってみようか。何かの罠である可能性が、高いけどね」
「カレン様を振った次期大公殿下とも、ご挨拶に向かわねばならないでしょうね……」
ああ、どうしてこんな事に。
いったいお嬢様が何の業を背負って生まれたとおっしゃるのでしょうか。
わたくしには、わかりません。
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