第30話 黒き道化師
今日はもうどこにも出かける用事はないから、腕周りもお腹周りもゆるめに作ってある吸水性重視なワンピースに着替えたよ。色味も、日陰に置いた小麦粉みたいだから、私がこの服を選ぶとトリーは渋い顔するんだけど、この服が一番楽なんだよね。
それに、第三者からは完璧にくつろいで見えるし。こっちのほうが相手も気兼ねなく話してくれる気がするよ。
マリアンヌちゃんと、他お手伝いのメイドさん一人が、一緒に部屋に入ってきて、お茶とお菓子を用意してくれたよ。私はカレン様が帰るまで、ずっとしゃべりっぱなしだったから、もうノドがカラッカラだ。
「あれ? ダリア様、トリシアお姉様はどこに行っちゃったんですかぁ?」
「あら、お手洗いかしら? きっとすぐに戻ってくるわ。お茶は彼女に淹れてもらうから、あなたたちは夕飯の下準備に戻ってちょうだい。晩ご飯、楽しみにしてるわ」
「はぁい! お任せください! あたし、おっきなオムレツ作れるようになったんですよぉ!」
はしゃぎだすマリアンヌちゃんの片手を、もう一人のメイドさんが掴んで、ずるずると扉へ引きずっていった。
「それではダリア様、失礼いたします」
「え〜!? あたしまだオムレツのご説明が終わってませーんー!」
「ダリア様はトリシア様とお茶するって言ってたでしょ。それに私たちは、まだ全員分の御夕飯を作り終えていないじゃない。急ぎましょ」
「は〜い……」
マリアンヌちゃんは、ずるずると引きずられながら、部屋を出て行ったよ。うちに馴染んでくれてよかった。
少し前まで、料理なんてやったことがないって言ってた彼女が、自分の大好物を作れるようになるなんて、彼女を教育したトリーは本当にすごいよね。
さてと、お茶は自分でカップに適当に注ぐとして、さっそく一杯目を飲み干した。私には、まだまだしゃべらなきゃならない相手がいるからね。
もう一杯お茶を飲んでから、部屋に一つしかない大きな窓を全開に押し開けて、私は景色の中に溶け込んでいる「森のお友達」に声をかけた。
「おーい、出ておいでよ、クリスティーナちゃん」
いつもより声を張って、適当なところに向かって呼びかけると、彼女は遠くから呼ばれ慣れているのか、何の変哲もない樹木の影から、ふらりと姿を見せた。
彼女の金色の綺麗な髪が、木漏れ日に撫でられて柔らかく輝いているよ。以前と違うところは、その髪には道化色のピンクのリボンが無くて、代わりに黒いリボンが彼女を飾り立てていた。黒い猫耳が生えてるように見えて、可愛いね。
彼女は私のいる窓辺へと、ゆったりした足取りで近づいてゆく。
「はーい、森のお友達登場ですぅ。ダリア様、ご機嫌うるわしゅう」
「髪の毛にピンクのリボンがないね。君はもう、カレン様の道化は辞めたんだ」
「はい。って言うか〜、あたしは初めから、カレン様側の者ではありません。道化役には立候補しましたけど〜、それはカレン様の信頼を得るためでした」
微妙に手の内を明かしてくるんだね。これは、私がある程度彼女の正体に予想をつけていることを、悟ってるからなんだろう。
この謎の少女クリスティーナは、カレン様に忠誠を誓うメイドではない。誰か他に、彼女を雇っている人間がいるんだ。それに気づかず、カレン様は彼女をそばに置いてしまい……今回のお茶会の件で、クリスティーナはカレン様の実力に見切りをつけて、捨てたんだ。
おそらくクリスティーナの本当の雇い主は、カレン様よりも立場が上の人。今からそれを証明してみせよう。
「それで? せっかく隠れていたあたしを大声で呼び出してまで、何かしたい事があるんですかぁ? それって、よっぽど大事な用事なんですかぁ?」
「君こそ、そのまま隠れ続けていれば、屋敷の中にいる私から逃げることができたはず。それなのに、わざわざ屋敷の窓辺まで近づいてきて、私の話に耳を傾けたいだなんて、酔狂な話だよ。大方、君の目的は、私を詳しく調べることだろ? 私がこれから話す言葉すら、君にとっては大事な調査対象なんだ」
クリスティーナは不敵に微笑みながらも、目線は斜めに逸れていて、耳にかかる髪の毛を手持ち無沙汰にいじり始めた。
「確かにぃ、ダリア様のことを知りたいってお人は、けっこういますけど〜」
「お互い、依頼人には振り回されるね」
私の依頼人は、陛下とトリーだ。そしてクリスティーナの依頼人は、未だ正体がわからない。けど、侯爵令嬢のカレン様を切り捨てることが許される立場の人間が、彼女の雇い主なのは確かだ。
「それじゃあ、本題に入らせてもらうよ。クリスティーナちゃんが持っていた万年筆のキャップの
クリスティーナはちょっと意外そうに青い目を見開いて、金色の髪の一束を、人差し指でくるくると弄んだ。
「へー、あの短時間で、よくそこまで確認できましたね。さすがは、探偵業やってるだけあって観察眼すごいですね〜」
「あの紋章は、ナイトウォーク家の家紋だ。カレン様が道化と称して使っている君は、ナイトウォーク家の血を引く者。道化のピンクで飾り立てていい人間ではないはずだよ。カレン様は、君の正体を知らなかったんだね」
「もしも知ってたら、あたしを雇ってくれなかったでしょうねぇ。あんな性格してる人ですけど、意外と呪いとか魔女とか、怖がるんですよ。生きた人間より怖いものなんて、存在しないんですのにね」
それには同感するよ。今目の前にいる君だって、得体が知れなくて不穏だし。
「君は私に、あの万年筆の中の詩を読みとらせるつもりだっただろう? うちのトリシアがナイトウォーク家の人間であると、承知の上でだ。あの時、私が読み取っていたら、どうなっていただろうか。もはやカレン様のお見舞いどころの騒ぎではなかったよ。君の存在をめぐって、私とカレン様の双方のお父上や親族一同、駆けつける羽目になっていたよ」
「そうでしょうね〜。無事にカレン様のお見舞いが済んで良かったですね!」
私は頃合いを見計らって、部屋の寝台の下に隠れていたトリーに合図して、クリスティーナの視界の中に登場してもらった。
トリーが窓枠に現れても、クリスティーナは動じる様子がなかった。私がトリーを近くに呼んでいたことなんて、予想済みだったんだろうね。
「クリスティーナさん……」
トリーは険しい顔で彼女を見ていた。万年筆の秘密を、別荘のあの場で暴露されてしまっていたら、事態は今よりももっと複雑化して、収拾がつかなくなっていた。それを見越して、あのペンを用いた彼女のことを、トリーは許せないんだろう。
クリスティーナは挑発的な笑みを浮かべて、トリーを眺めていた。
「こんにちは、お姉様。お姉様の事は、事前に調べて知ってました〜。ナイトウォーク家を復興させたいんですってね? 無駄なあがき、ご苦労様ですぅ」
「無駄ですって? あなたもナイトウォークの一人でしょう。それなのに、なぜそのようなことが言えるのですか」
「復興なんてできるわけないって、知ってるからですよー」
「それはあなたが望んでいないだけでは? 投げやりな態度で、わたくしの道を妨げるのならば、たとえ身内だろうと容赦はしません!」
ものすごい気迫で断言されても、クリスティーナに堪えた様子は、少しも見当たらない。それどころか、ムキになってるトリーの様子が、面白いみたいだ。
「再建するよりも、もっと壊してやったほうが、面白いし、胸もスカッとしますよ〜?」
「そうかもしれませんが、スカッとしたって何も残せませんよ。形あるものとして、後世に残すべく、わたくしは戦うのです。できればあなたにも協力して欲しかったのですが、そのような志と品性の低さでは、到底任せられませんね」
「頼まれたって、やりませんよーだ。お姉様は、まだ他人を憎むほど辛い目に遭っていないからそんなに綺麗な目をしていられるんですよ。あたしには、お星様を目玉に貼り付けたお顔なんて、もう二度とできないんですよ」
笑いながらクリスティーナは、トリーから斜めに体を背けて、なぜか自慢げに腕を組んで、顔も背けた。
一方トリーは、体も顔も目も逸らさない。
「あなたに何があったかは知りませんが、辛いことがあったからと言って、周りに迷惑をかけて良い理由にはなりません。甘えていては、前に進めませんよ。過去と決別し、新たな自分を強制的に生み出さない限りは、あなたは一生腐った目をして、この世をさまようだけです!」
……。この子、人生何週目なんだろうって、たまに思うよ。私と違って、過去の記憶を持ったまま転生したわけでもないし。本当に気高い人っていうのは、彼女のような人を言うんだろうね。
ボールの打ち合いのように言い返していたクリスティーナが、ものすごい怖い顔してトリーを眺めた。ずっと笑っていた口角も下がっちゃってて、完全に怒っている。
でも、すぐにパッと笑顔に。
「さてと〜。そろそろお屋敷中の人たちが集まってきたようですし、お
クリスティーナはあっさりと背を向けて、スタスタと歩きだした。彼女が言う、腕に覚えがあるらしき発言は、全くのハッタリでもないように思うよ。だって彼女は、単身でこの場に残ってたんだからね。
「あーそうそう、闇と光の対立のような、この面白い茶番劇を、ネタにしたい殿方がいらっしゃるそうですよ? いったいぜんたい、どなたなんでしょうね〜」
片手を振りながら、去ってゆく細身の背中が、笑いを堪えるように震えだし、やがて私に、体全体で振り向いてみせた。
「道化は賢くなくちゃですよ、ダリア様」
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