第26話   断罪!カレン・テイラー①

 はぁ、とカレン様が一息つきながら、カップを傾けました。


「ダリアさんの外出の理由は、なんとなくですが納得しましたわ。てっきり、ハロルド伯爵があなたを甘やかしているだけなのだと思っていました」


「甘やかすならば、そもそも私を軟禁していませんよ、カレン様」


「……いいえ、わたくしはサロンという檻の中で、甘やかされて育ちましたわ。貴族の父親というのは、ご自分が用意した籠の中で、大事に娘たちを見張りたいものなのです。よからぬ男に唆されて、家出だのされては、世間での聞こえが悪いですから」


「家出といえばカレン様、ベンジャミンお兄様とのご婚約の取り決めは、いつになさいますか?」


 お嬢様の返しに、カレン様がカップを無表情でソーサーに戻しました。またにっこりと笑顔を貼り付けます。


「あら恥ずかしいわ。いずれ、ハロルド様とお話する予定なのだけど、今はまだ、心の傷が痛んでたまらないの。次に踏み出すには、まだまだ時間が要るわ……。そう、まだまだ、ずーっと先かもしれません」


 先ほど、殿下との関係はあっさり精算したとか言ってましたのに。

 いったい、いつまで居座るおつもりなんでしょう。別荘での暮らしは、カレン様にとって不便であるはず。なぜそこまでして、長居をほのめかすのやら。


「すぐには帰れないけれど、ここの人たちといれば退屈する心配はないわね。ナイトウォーク公爵家のご令嬢にまで、お会いすることができたんですもの」


 嘲りの混じった口調は、お嬢様の話を信じていない証拠でしょう。無理もありません、わたくしを見てすぐにナイトウォーク家の者だと確信が持てる人は、今のところお嬢様だけですから。


「ですけど、ナイトウォークと言っても、勝手に内部分裂して消滅してしまったご家系でしょう? それがダリアさんの雇い主だったとしても、現侯爵令嬢のわたくしを差し置いていい理由にはなりません。お茶会のお手紙を無碍にした件は、許しましょう、ですが今後からは身の振るい方に、気を付けるのね」


「身分が下の我々が、カレン様のご機嫌を伺うだけしか取り柄がないと思われるのは、心外です」


 お嬢様は何にも手を着けないまま、両腕を組み、椅子の背もたれに深く背中を預けました。さらに足まで組みます。


「カレン様、ここはサロンの外です。そして、あなたの領土でもないのです。あなたは、次期大公殿下の卑劣な罠にはめられた被害者。サロンから追われ、領土から追放されたあなたは、この場の独裁者でも女王でもないのです」


「殿下に、はめられた……? わたくしが追放された!? ダリアさん、冗談でも言っていいことと悪いことがありますわ。ベンジャミン様も、何か言ってやってくださいませ」


「あ、あうぅ」


「お兄様、あなたの愛する人は今、未だ目覚めぬ籠の中の小鳥です。お助けして差し上げなければ」


「あっあわわ」


 よく喘ぐ殿方ですこと……。


 いきなりカレン様が椅子から立ち上がりました。主役や主催者が抜ける場合、周囲に「少し失礼」等、一声かけてから行動するものですが。


 急に立ち上がったカレン様の、大きく揺れる胸に、ベンジャミン様が恐怖まじりのお顔で釘付けになっています。あまりにも身体が優れ過ぎた異性がそばにいると、緊張するお気持ちはわかります。旦那様も筋肉隆々で、少し怖いですから。


「クリスティーナ! ちょっと来なさい!」


 辺りにカレン様の鋭い金切り声が響きます。


「クリスティーナ! どこへ行ったの!? そばにいなさいと言ったはずよ!」


 他のメイドたちは、うつむいたままじっとしています。その中に、ピンクのリボンを巻いた金髪の娘の姿はありません。


 高級な口紅で輝く唇は、そのように形を歪めては台無しです。お嬢様の視線の先も、カレン様の整ったお顔に向いていますが、空の機嫌をうかがうような軽さがあります。


「あなたがこの地に逃げることができたのは、末娘を可愛がるお父上のご意向かな? あなたのお父上は、身分が下のベンジャミンお兄様との婚約を許してくれるのかな?」


「な、なんですの、急にフランクな口調になって。そんなの、お許しになるに決まって――」


「いいや、許さないよ。それどころか、弱っている娘に付け入った罪で、お兄様は針のむしろさ。自分の身分と、社会的な地位を理解していないあなたじゃないよね。恥を掻くのは、私たちデイドリーム家。そしてベンジャミンお兄様を正しく躾けなかった、デイドリーム家頭首のハロルド・デイドリーム。あなたのお父上と、争うことになる」


「考え過ぎよ。空想で闘うのがお好きなら、小説でも書いてたらどう? ずっとお屋敷の中にいて、お暇なんでしょう? お父様とハロルド様が、ベンジャミン様のことで争うなんて、ありえないわ。わたくしたちは、こんなに愛し合ってるのに」


「その争い、勝てると思ってるんだろ? だってあなたの家のほうが、身分も財力もコネの数も上だから」


「ベンジャミン様、なんとかおっしゃって。怖いわ」


「ただ、あなたの誤算だったのはベンジャミンお兄様が超奥手だったこと。あなたは空っぽの箱をメイドたちに組み立てさせて、毎日違う見た目に包装紙とリボンを交換させた。さも毎日ひっきりなしにプレゼントを持ち寄られて、男性から人気があると見せかけるために」


 カレン様は、誰の盾にも剣にもなろうとしないベンジャミン様の腕を、そっけなくお離しになりました。


「誰が、そう言いましたの?」


「調べればわかることだけど、私が先回りして推理してるの」


「その推理、当たってどうなりまして? どうしてわたくしが他人の別荘で、大勢の男性から言い寄られる演技をする必要がありますの?」


「あるんだよ――超奥手なベンジャミンお兄様を、急き立てるためにね」


 ダリアお嬢様のアンティークグリーンの双眸が、キロッとベンジャミン様のほうを向きました。それは人間離れした無表情で、不貞に巻き込まれる哀れな主人を眺めるだけの、お人形のようにも見えました。


「あなたも贈り物をしてちょうだ〜い、とか、ほらほら早くしないと別の男性に奪われちゃうよ〜、とか。男の影をちらつかせる意図はたくさんあるもんさ。あとはベンジャミンお兄様が焦って高価な贈り物をたくさんしてくれたら、ハイおしまい。カレン様は空き箱を燃やして処分して、お兄様からの贈り物だけを証拠に、周りに訴えるんだ、『傷心して落ち込んでいるわたくしに、何度も言い寄ってきた気持ち悪い男がいる』ってね」


 ベンジャミン様のノドが、何も食べていないのにゴクリと鳴りました。警告の意図が伝わったことを確信したお嬢様は、ピンクのリボンが揺れる髪の中へと、春風が通り抜けてゆく感触に、目を細めました。


「貴族同士の高価な贈り物は、職人が大事に丁寧に作ってくれるから、お店を探せばすぐにわかるよ。カレン様に宛てた結婚式の贈り物だって、お父様たちはちゃんと用意してたんだよ。殿下との婚約破棄とともに、キャンセルされちゃったけどね」


 ベンジャミン様が奥手で、本当に助かりました。そうでなければ、今頃デイドリーム伯爵家対テイラー公爵家の争いの支度に、追われていたかもしれません。


「で、だ。あなたにハートを射落とされたベンジャミンお兄様が、勝手に我が家のお金を持ち出して、プレゼントをいっぱいいっぱい貢いでくれるのを、あなたは待った。待って待って……しびれを切らして、今日ここへ本人を連れて来たね」


「……」


「サロンでは大勢の積極的な男性陣から言い寄られてきたあなたは、奥手な男性の興味の引き出し方が、わからなかったみたいだね。いくらピンク色に別荘を塗ったって、ぬいぐるみをそろえたって、無邪気にも幼くも見えない年齢だ。年下で幼いお兄様を怖がらせないように、無垢な少女を演じてたんだろうけど、サロンでのギャップがありすぎて、お兄様が怖がって別荘に近づかなくなったんだ」


「そ、それは違いますわ。ベンジャミン様とは、ちゃんと日程を決めて、定期的にお会いしておりました」


「身分が下のお兄様が、あなたからの呼び出しに首を横に振れるわけがないだろ。ベンジャミンお兄様があなたに選ばれたのは、一番操りやすそうに見えたからだ」


 再びキロリと動く緑色のガラス玉に、一番怯えているのはベンジャミン様でした。


「かわいそうに、ベンジャミンお兄様。昔から人一倍繊細で、ストレスが溜まるとお菓子を暴食してしまうクセがあるんだ。あなたからの呼び出しに怯えて、こんなに太っちゃって」


 口角こそ上げていますが、お嬢様が内心いらだっているのが、その人形めいた堅い表情で伝わってきます。


「辛かったね、お兄様。もう私たちデイドリーム家のために、カレン様のご機嫌を取らなくてもいいんだよ」


 二人の女性の鋭い視線に苛まれて、ベンジャミン様は否定も肯定もできずに、時間が止まったように微動だにしませんでした。


「うっふふふふ……あははははははは!!」


 突然カレン様が片手を口に添えて、大笑いし始めました。大きなお口です。ワインもお肉の塊も、何もかも飲み込んでしまいそうです。


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