第25話   お嬢様が外出できる理由

 カレン様は、メイドがカップに注いでゆく透明なお茶を眺めながら、ため息をついていました。


「慰謝料などは、請求しませんでした。なんの落ち度もない次期大公殿下に、食い下がってご負担をおかけするのは、淑女としてどうにも気が引けましてね。あっさりと関係を清算するのが、一番良いと思いましたの」


 あっさりと、ねぇ……。他人の別荘にまで逃げ込むほど錯乱した女性の口から、あっさり、なんて。お元気になったのなら、早々にご帰宅願いたいものです。


 突如始まった、青空の下の奇妙なお茶会。この異様な光景に、完全なる異を唱える者は、いないのでしょうか? わがままで傷心中の侯爵令嬢と対等に接する身分の者が、はたしてこの場に、何人いるのでしょうか。


 ベンジャミン様とカレン様の馴れ初めが、全くの嘘っぱちであったとしても、誰が証明できるのでしょうか。


 意外なことに思われるでしょうが、ベンジャミン様がカレン様のサロンに何度か招待されていたとしても、なんら不自然な点はありません。元辺境伯であり、謀反を巻き起こして勝利したデイドリーム家の旦那様は、いろいろな意味で警戒されている御仁ですから、その身内にコネを作って抱き込もうとする貴族は多いのです。サロンに招待し、誰か一人でもデイドリームの人間が応じてくれれば、儲けもの。そうやって親しくコネを作り続けているうちに、カレン様とベンジャミン様が仲良くなってしまわれたとしても、はたから見れば、そこまで無理やりが過ぎる展開ではないのです。


 我々の視点からすれば怪しさ満点なのですが、今のわたくしの立場では何もモノが申せません。お嬢様から発言を促されたときのみ、わたくしは練習通りに動くのです。



 マリアンヌさんをデイドリーム家の新人メイドとして教育する課程で、何度も口論になりましたし、厨房の食材は歯形だらけになりましたが、その悪癖もようやく治まってきた頃、わたくしは彼女からサロンについて尋ねました。


『サロンですか? 飲んで、演奏して、お世辞言って〜、あと食べ物がすっごくすっごく美味しかったですよ。あたしも食べてました。サロンはしょっちゅう開催されていましたから、毎回すっごく楽しみでしたね』


 美味しい物を自由に飲み食いし、お屋敷を縦横無尽に走りまわっても誰からも注意されないとは、相当に恐ろしい環境です。


 しかし、次期大公殿下がカレン様を突き放した理由は、マリアンヌさんの失態とは別の理由だったはず――


『マリアンヌさん、次期大公殿下はどのような言葉でカレン様を振ったのですか?』


『え?』


『たしか、密着されるのを嫌がったとか、言っていませんでしたか?』


『ああ、はい、ひどいですよねー。だってお二人は、会えば肩寄せ合ってナイショ話するようなご関係でしたから。それを、今更、急に。しかも人前でフるなんて最低ですよ!』


 内緒話を、肩寄せ合って……仲睦まじいことです。恋人同士ならば別段気になる様子ではありません。サロンが開催されるたびに、周囲に見せつけていたのならば、婚約破棄はサロン開催以来の、大騒ぎとなったことでしょう。


 さらには、接点がほとんどないベンジャミン様と、お付き合いを。新たな交際の件は、カレン様が世間に公表でもしない限り、ただの噂話として人々の記憶から薄れていきかねません。


 何度目かの作戦会議のために、談話室へ集合した際に、わたくしはお嬢様にも現状を相談いたしました。お嬢様を疑っているわけではないのですが、どうにも、こちらが不利に感じてならなかったのです。その不安を吐露すると、お嬢様はソファにゆったりと腰掛けたまま、苦笑まじりに微笑んでいました。


『そうね、トリーの言うとおりだわ。別荘地で起きたことは、カレン様からの公表がない限り、きっと誰からも信じてもらえないでしょう。それがきっと、カレン様の狙いでもあるんでしょうね……』


 ベンジャミン様がこのお屋敷においでくださったのは、今日が初めてです。ダリアお嬢様を気遣い、頻繁にお屋敷に来てくださる優しいお人柄ならば、わたくしはベンジャミン様のお顔を生涯ハンサムな好青年だと記憶しておくでしょう。


 今、目の前にいるのは、怪しい美女に鼻の下を伸ばしつつも後込みしている、ただの意気地なし。どのような運の巡りで、身分違いの女性を射落としたのか知りませんが、その幸せを少しでも、お嬢様と分かち合ってくださればよろしいのに。




 今日は本当に天気が良いです。日傘が必要な程に。


「カレン様、虫と日差しが気になりませんか?」


 お嬢様がテーブルの上には何にも手を着けず、カレン様にお尋ねしました。


「いいえ、ちっとも。室内のがよろしかったかしら? わたくしは外のほうが好きなのだけど」


 カレン様が、絶対に室内には入らないと意思表示されましたね。


 ベンジャミン様は緊張のせいか、所存なげにクッキーにのろのろと手を伸ばしました。


「待ってお兄様、何もお食べにならないで。お茶もね」


 ダリアお嬢様の鋭い一声に、びっくり眼でさっと手を引っ込めるベンジャミン様。しかし、


「まあ、どうかご遠慮なさらず。ぜひ召し上がって、ベンジャミン様」


 カレン様がクッキーに手を伸ばして、一枚お取りになると、ベンジャミン様の口にズボッと突っ込みました。


 険しいお顔になっているダリアお嬢様を尻目に、カレン様がふくよかなベンジャミン様の腕に、絡みつきます。


「聞いてくださいませ、ベンジャミン様。わたくし、ダリアさんに、お茶会へ招待したい旨のお手紙を送ったんですのよ。前回の謝罪を、どうしてもしたくて。ですけど、丁重にお断りする文章が綴られたお返事が届いただけでした。わたくし、慌ててしまって……ベンジャミン様、今日はお付き合いくださいまして、本当に嬉しいですわ」


「私は身内に軟禁されている身の上。自由な外出が許されないのです」


 今度はカレン様の口角が吊り上がります。まるでその言葉を待っていたかのように。


「でもダリアさんってば、わたくしのお見舞いに別荘までいらしたわよね? 他にも、あちこちに馬車を走らせては、事件を解決していらしたんでしょ? あなたのお父様はとても寛大なお方のようだし、いつだって融通を効かせてくださるわよ。侯爵家の娘のわたくしからのお誘いなんですもの、ええ、絶対にお許しになるに決まっているわ」


「お誘いされても、行けませんでした。私ダリア・デイドリームは軟禁されていますから」


 毅然として言い返すダリアお嬢様に、カレン様が納得のいかぬご様子で眉をひそめます。


「でもあなた、外出していたじゃない? それはハロルド伯爵があなたに甘いからでしょ?」


「いいえ。父は厳格ですよ。一度でも無断で外出すれば、私もただでは済まないでしょう」


「……どういうことですの? ベンジャミン様」


「ぼ、ぼぼ僕も、よくわからないんだ。だから、このお屋敷に行くの、怒られそうで、怖くって……」


 カレン様の怒気を放つ眼光に貫かれて、ベンジャミン様の顎の肉が揺れております。痩せたらハンサムなお人だとは思うのですが。


「私が父の許可なく外出できる条件は、『探偵ダリア』として雇い主から依頼があったときだけです。そして私は十年以上前から、大きな案件を抱えています。その雇い主からの依頼ならば、私はカレン様のお手紙での召還に応じ、別荘なりどこへなりと馳せ散じたでしょう」


「その雇い主ってお方が、許可したら、あなたは外出ができるっていうこと? いったいどなたに雇われておりますの? まさか、マリアンヌ?」


 カレン様の視線が、道化人形マリアンヌを探して彷徨います。すぐそばで、マリアンヌさんがあなたを見守っているというのに。ピンクのリボンでしかメイドたちを判別できないのでしょうか。しかもお嬢様は、十年以上も前から抱えている案件だとご説明されたのに、マリアンヌさんが依頼主だと連想されるとは。なんて気の毒な頭のお人なんでしょう。


「トリー、出てきて」


 お嬢様の一声を合図に、わたくしはテーブルへと大きく踏み出して、前に出ました。


「探偵ダリアの依頼人はマリアンヌさんではなく、わたくしです、カレン様」


 カレン様の表情が「はあ?」と訴えてきます。


「な、何者ですの? あなた。ただのメイドじゃないの」


「自己紹介が遅れました。トリシア・ナイトウォークと申します」


 太いアイラインの乗ったまぶたが、驚きに見開かれました。


「ナイトウォークですって!? なんのご冗談なの!? お茶請けにしては、美味しくありませんわよ! ベンジャミン様、ご説明なさって!!」


「ぼ、ぼくにも、なんのことやら……」


 ベンジャミン様が、青ざめた顔で引きつり笑いを。事情を知らない側からすれば、もう笑うしかない状況ですよね。


 では、わたくしのほうから、ご説明を。


「カレン様からのお茶会のお手紙は、わたくしの判断のもとお断りさせていただきました。探偵ダリアは依頼人わたくしの意志を尊重し、そちらに伺わなかったまで。手紙にもお断りの旨を綴ったはずですが、まさかカレン様がこの森の奥にまでいらっしゃるとは。ご足労をおかけしてしまい、申し訳ありません」


「い、いいのよ、べつに、わたくしが勝手に来てしまったんですもの。ごめんなさいね、失恋のせいか錯乱状態で、正常な判断ができなかったの」


 失恋のせい。

 錯乱状態。


 ふん、便利な言葉ですね。


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