第三章   デイドリームVS疑惑の侯爵令嬢

第23話   お嬢様の家族愛

「カレン様は行動的で積極的で、そしてせっかちなお人柄。目下の人間を容赦なく利用し、裏切り、切り捨てるまでの判断が早い。近々、私たちを潰しに動くはず」


 お嬢様は不敵な微笑みを浮かべていましたが、アンティークグリーンの双眸には、若干の険しさが差していました。


「迎え撃つよ、トリー」


「仰せのままに」



 と言うのが、今朝方のやり取りでした。


 わたくしたちお屋敷の使用人とお嬢様で、作戦をスムーズに決行できるように練習したり、あちこちに手紙を出したり。カレン様がいつ動きだすのか未定ゆえに、わたくしの胸には常にさざ波が立っておりました。


 そしてお嬢様がご警告されたとおり、カレン様は数日後に行動を起こしたのです。



 駄々をこねるマリアンヌさんのお尻を叩いて、一緒に洗濯物を干していると、双眼鏡を首から下げた部下のメイドが走ってきました。


「トリシア様、純白の馬車が何台もこちらへ走ってきます」


「何台も? どちら様の馬車かわかりますか?」


 わからなければ、迎撃の準備をせねば。


「御者の制服と馬具の随所、それから馬車の側面に、テイラー侯爵家の家紋が彫られていました」


 ついに来たのですね。やはり、お嬢様を激しく追い回した失態は、カレン様にとって無視できないものとして、その自尊心を傷つけ続けたのでしょう。


「え〜? 誰が来たんですかぁ?」


 洗濯物を干す前に、端と端を持って上下にパンパンッと振ってシワを飛ばすやり方、ちゃんと体得している様子。時間はかかりましたが、マリアンヌさんへの仕込みも上々です。


「マリアンヌさんは厨房へ。あなたならできると信じていますよ」


 わたくしの指示に、マリアンヌさんはしばらくきょとーんとしていましたが、やがて勇ましく眉毛を吊り上げてうなずきました。


「はい!」




「ほーら、ベンジャミン様、お先に下りてくださらないと、わたくしが下りられませんわ。それとも、もう少し一緒にひっついていたかったのかしら?」


「え、ぼ、僕は、そんなつもりじゃ……あわわ! お、押さないで! 落ちちゃうよ!」


 たった数段の階段で、なにをバタバタと慌てていらっしゃるのでしょう。カレン様もあのようにベンジャミン様の二の腕にしがみついていては、馬車から下りづらいでしょうに。


 それにしても、ベンジャミン様は前回お見かけした時よりもさらにお太りになったご様子。ジャケットのボタンが気の毒なほど真横に引っ張られています。


 わたくしは数名のメイドとともに、玄関前で待機してカレン様をお出迎えしました。しょっちゅうケンカになりますが有能な執事の青年も一人、我々に付き添わせています。万が一、何かあった時に、彼は頼りになる男手でもありますから。


 お嬢様はお屋敷の窓を押し開けて、カレン様ににっこりと微笑んでいらっしゃいました。


「まあカレン様、ご機嫌麗しゅう。今日はどうかなさいましたか?」


 カレン様が盾にするようにベンジャミン様を前にして、微笑んでいらっしゃいます。カレン様のほうが高身長なせいでしょうか、カップルと言うより、若い母親と十代の息子さんのようにしか見えません。


「今日は別荘にベンジャミン様が、遊びにいらっしゃる日でしたの。それで思い切って相談して、彼も連れてこのお屋敷へ、謝罪をしに参りました。誰にも内緒でね。ご迷惑だったかしら?」


「いいえ。何か私が謝罪を賜るような事が、ありましたっけ?」


「まあ、許してくださるのね、本当にあなたのような義妹ができれば、さぞ心の支えになってくれることでしょう。でもね、誰かの優しさに甘えてばかりでは、淑女として自立しているとは呼べないわ。ぜひ、わたくしに償わせてくださいな」


 テイラー家の年若いメイドたちが、ずらずらと停車した馬車の中から、お茶会に必要な道具類を次々に運び出していきました。大きなテーブルまで出てきたときは、さすがに驚いてしまいました。


 お嬢様は窓辺に両肘をついて、ゆったりとした眼差しで外の光景を眺めています。

 ベンジャミン様はその視線から逃げるように、ずっとうつむいて、もじもじと。カレン様は兄妹の仲が良好でないサマを、楽しんでいるご様子。性格の悪さなら、この場随一ですね。


「ダリアさん、もしかしてわたくしがベンジャミン様をお連れしたこと、怒っていらっしゃる?」


「いいえ。お兄様とは、いつかまたじっくりお話できればなぁって思っておりました」


「そう、よかった。以前、あなたが寂しい、辛いって言っていたのが、どうしてもこの胸に引っかかってしまってて……。あなたは未来の、可愛い義妹だもの、問題があるなら解決して差し上げたかったの。それでベンジャミン様と相談して、こちらに伺いましたわ」


「まあ、お兄様と合意の上だなんて。ますます嬉しいです」


「うふふ、好いた殿方を無許可で振り回してしまうほど、わたくしもお転婆ではないわ。ああ、この間のお茶の件は、どうか気になさらないで。わたくしも強引でした。反省しています」


 カレン様はベンジャミン様のふくよかな三重顎を、人差し指で持ち上げました。


「ねえ、ベンジャミン様、ダリアさん可愛いわよね?」


「……」


「なにかお言葉を、かけて差し上げて。あなたの可愛い妹君に」


 カレン様の笑顔に、ベンジャミン様のノドが「ひゅっ」と鳴りました。相思相愛ではないのですか? 背中に刃物でも突きつけられているのでしょうか。


「え……あ……あの……十年ぶりくらいかな、おしゃべりするのは」


「はい、お兄様」


「ご、ごめんね、会えなくて。寂しがってたってカレン様から聞いて、一緒に行こうって誘われて、でも、お父様から、ダメって言われてたから、なかなか森に行けなかったんだ。お父様、怖いから……」


 もじもじとジャケットの裾を手でいじりながら、小さな声で、言い訳じみた言葉を。


 カレン様がずいと前に出ました。黒のコルセットでぎっちり縛ったウエストは驚異的な細さを強調し、大きく胸のあいた紫色のサテンのドレスは、お昼時に着るものではないように思えました。全体的にとても挑発的で、下品にまとまっています。


「どうかベンジャミン様を責めないで差し上げて。お父上を大事にされる、とてもお優しい方なの」


 その優しさも、我々に味方されないのであれば、意気地なし、親の言いなり、どうとでも言い換えられます。ご自分の保身のためにお嬢様を傷つけるような御仁に、かける情けはありません。


『カレン様は私の特技を知っている。大事にされて長い道具から、持ち主の思いを読み取るっていう特技をね。だから別荘の中身を廃棄したんだ。ベンジャミンお兄様や、デイドリーム家の誰かがお見舞いに来たときに、別荘にある道具たちから都合の悪い情報を、私に読み取られないために』


 お嬢様は段取りを説明される際、カレン様が新しい物ばかりをそろえている理由をご説明されました。お嬢様はご自分の能力を使って、探偵業を営んでいます。それは半ば趣味のようなものであり、生活費をまかなえるほどの件数は請け負っておりません。しかし、こうして周知の事実として対策を取られてしまっては、探偵業が足を引っ張っているような気がして、わたくしはこの時、初めてお嬢様の日頃の行いに不安を抱きました。


『カレン様が失恋で大錯乱し、別荘の中身を廃棄してしまったっていう可能性もあるけれど、それならそれで問題があるよね。お世話になった人んちの家具を、癇癪に任せて捨てたり燃やしたりする人には、どっちみちベンジャミンお兄様を渡すわけにはいかないよ』


 お嬢様の行動原理には、家族愛が含まれておりました。カレン様が本当に錯乱していようが、何かを企んでいようが、ベンジャミン様をお守りするために闘うおつもりなのです。


 ……わたくしですか? ……もちろん、不本意ですよ。お嬢様には、誰かのためではなくお嬢様自身のために闘ってほしかったですから。


 ですが、もしもお嬢様がそんなお人柄だったら、わたくしを拾ってはくださらなかったでしょう。


 何もかも、上手く噛み合いません。


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