第21話   トリーが厨房で得た情報③

 さ、さて、気持ちを切り替えませんと。


 忠誠心の高い厄介な道化がいなくなってからが、本番です。初対面の女同士が打ち解けるには、共通点を見つけて共感を引き出すことが最短ルートでしょう。


 彼女たちは今、カレン様の本心が見えない日々に不安を抱き、悩んでいます。


「ハァ……聞いてくださいな、ダリア様のこと」


 わたくしの不機嫌そうなため息に、両隣のメイドがギョッとしていました。


「ダリア様って、ほんっと〜にめんどくさいお人なんです。ほら、ご家族に嫌われて軟禁生活が長いでしょう? そのせいか、変に頑固で偏屈で、毎日ご機嫌を取るのが大変なのです。そもそも軟禁されているはずなのに、なぜ旦那様はお嬢様が馬車で移動するのを許しているのやら。わけがわかりませんわ」


「はあ……大変なんですね……」


「あなた方はいいですよね〜、制服も可愛いし、廊下のぬいぐるみも可愛いですし、あんなにプレゼントも積み重なっていて、少しくらいあなたたちも頂いているのではないのですか? 羽振りの良い主人に恵まれて、本当に羨ましいったらないです」


「…………」


「あなたたちもさぞ、カレン様がお好きなのでしょう? こんな辺鄙な土地の別荘にまで、主人とともに付き添ったのですから」


「…………」


「もしかして、違うのですか?」


「…………」


「わたくしも主人の悪口を言っちゃいましたし、誰にも内緒にしてくださるなら、ちょっとぐらいのグチなら聞きますよ。もちろん誰にも言いません。これは悩めるメイド同士の秘密なのですから」


「……」


 彼女たちの目配せの頻度が、わずかに上がっていました。今ここには恐ろしい道化も横暴な主人もいません。人払いなら、これで充分のはず。


 やがて、一人、また一人と、ぼそぼそ小声で内情を吐露し始めました。


「カレン様は……なんでか、見習いのメイドばかりを、お連れになったんです。ベテランのメイドなんて大勢いるのに、なんでか、私たちを馬車に詰めて、行き先も告げずに長旅を。それで、気づいたら、ここにいました」


「まあ、それは大変というには余りありますね。カレン様はサロンでの出来事で、かなり取り乱してしまったご様子です」


「取り乱してたわけじゃないわ。計算だったのよ、全部」


 怒気を孕んだ声でそう言いながら、メイドの一人が食器を磨いていました。今までの洗い方が粗末だったせいで、くすんでしまった食器です。このまま主人やお客様にお出しするわけにはいかないとして、磨き方や心得を手ほどきしたのです。いろいろな材質の布でひたすら磨く以外に、知りませんけど。


 一度口火を切った者の怒りは、抑止力を持つ誰かがいなければ己で区切りをつけるしかありません。そしてここにいる全員には、諫める言葉は投げられても止める力はありませんでした。


「だって! カレン様がサロンで振られる前から、玄関の脇に馬車が数台、用意されていたもの! あたし見たもの! カレン様は、最初からどこかへお出かけなさるつもりだったのよ。どうしてかわからないけど。未熟なあたしたちを連れていったのも、メイドいじりして憂さ晴らしでもしたかったんじゃないの? クリスティーナ様だって、あたしたちに辛く当たるばかりで、何が起きているのかちっとも話してくださらないし。あたし、もう、限界……」


 ああ、布で顔を覆って泣きだしてしまいました。やはり職場環境は最低を極めておりました。間に合わないメイドたち、鬼畜上司に、不誠実な主人。こんな状態でも辞めないのですから、お給金だけは良いのでしょう。わたくしには共感いたしかねますが。


「あのプレゼントだって、ただの空箱なんですよ!? カレン様は、ベンジャミン様を焦らすためだとか言ってて……でも、どうしてからっぽの箱で貴族の殿方が焦れるんですか? これもただのメイドいびりとしか思えません!」


 メイドたちの鬱積したグチ大会は、留まりません。


「カレン様はサロンで振られたって、ちっともへこんでいませんでした。なんか、わくわくしてたっていうか、馬車での旅路も、お顔が輝いてましたよ。あたしたちはこんなに不安なのに」


 不安を押し殺して主人に付いていく心構えは、まだお持ちでない方々なのですね。


「うい〜」


 ゲップ混じりの奇妙な声が聞こえてきたと思ったら、扉が足で蹴り開けられて、メイドたちが悲鳴を上げました。


「姉ちゃん、茶ぁばっかじゃなくて、酒ぇないかぁ?」


 なんと、まだ明るい昼下がりだというのに、赤ら顔の飲んだくれが!


 メイドの一人がおろおろしながら、棚の戸を開けました。手がぎりぎり届く段に、茶色ばかりの大小の瓶が、ごちゃっと突っ込まれています。


「わたし、お酒には詳しくなくて。どの瓶がいいですか?」


「んー、茶色」


「えっと、これですか? それともこっちですか?」


 指差しながら返事を待つメイド越しに、わたくしも茶色い瓶たちを見上げました。


「ざっと見た銘柄は、どれもウイスキーのものですね。度数が高いお酒ですから、これからお仕事が控えているのでしたら、お出しできません」


「仕事ぉ? 仕事はぁ、もう終わったよ〜〜〜ん」


 テーブルにつっぷして、ごろごろと寝そべって、ああお酒臭いこと。まだ酔いしれるには日が高すぎます。


「どのようなお仕事をなさっているのですか?」


「この別荘の色塗り〜。おじちゃん上手いんだよぉ、姉ちゃんも塗り塗りしてやろうか〜?」


 伸びてくる野太い手首には、ピンクの塗料がまだらに付着しています。わたくしがそれを掴んで捻り上げている間に、部屋の隅で黙々と従事していたメイドの一人が、大きく動きだしました。


 皆で用意していたティーセットとは別のものを、サービングカートに乗せて、いそいそと部屋を出てゆくではありませんか。


「お待ちなさい! そのティーセット、どちらにお運びするのですか!」


「こ、これ以上お待たせしてしまうと、カレン様がお怒りに」


「わたくしたちが用意したティーセットは? なぜ別の物を用意して持っていくのですか」


「そ、それは、言えません……!」


「おじちゃんも〜〜〜」


 おじちゃんを床に放り捨て、彼女を追いかけました。


「わたくしも同行します」


「ええ!?」


「ダリアお嬢様とカレン様のご様子を確認したいのです……これなら、言い訳として自然でしょう? あなたがもしもカレン様に叱られそうになったら、わたくしが無理やり付いて来て離れなかったとおっしゃいなさい」


 以上が、わたくしが仕入れた情報です。

 けっきょく、別に用意されたティーセットの意味も、なぜお嬢様がカレン様に追いかけられてしまったのかも、何もわかりませんでした。


 わたくしの報告を聞いたお嬢様は、鏡台の中のご自分と睨めっこしながら、何やら思案しておりました。


「ありがとう、トリー。本当に今日はごくろうさま。明日には、答えがまとまりそうです」


「もう、おまとめに。さすがはお嬢様です」


「ふふ、ありがとう。私、疲れちゃったから、少し休むわ」


「はい。本日はお疲れ様でございました」


 ハァ、わたくしも疲れました。ですが、お夕飯の支度を手伝わないと。今日はわたくしが当番ですから、サボるのは部下に示しがつきません。


 しばらくはあの別荘と距離を置きたいところですが、大騒ぎが巻き起こってしまった手前、そうも言っていられないでしょう。


 どんな困難も、お嬢様と共に乗り越えてゆく所存です。


 さあカレン様、我々が相手ですよ!

 あ、でも、今は忙しいのでご遠慮くださいませ。


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