第20話 トリーが厨房で得た情報②
人手不足と物資不足に戸惑うメイドたちに、わたくしも頭を捻って知恵を貸しました。侯爵令嬢ともあろう御方が、あまりにも粗末な生活をなさっては、下の者に示しがつきませんもの。メイドたちにも主人を立てる心構えを会得してもらわねば、この狭い世界は簡単に崩壊してしまいます。
「どうですぅ、お姉様。彼女たち教育しがいがあるでしょう?」
「教育と言えば、あなたの態度がもっともひどいですよ、クリスティーナさん」
「んー?」
「んー? じゃありません。さっきから全く手伝わないのはなぜですか」
一番きびきびとしていて活発そうな彼女が、動かないのは困りました。マリアンヌさん同様、つまみ食いばかりして。
「及第点とはほど遠いですよ。急なお客人にも、それ相応の対応というものがあるのですよ。あなたの不躾は、主人の評価を下げることに直結するのです。いつかカレン様に、クビか死刑を宣告されてしまいますよ」
彼女は聞いているのかいないのか、ゼリー菓子に勝手にスプーンを入れて食べています。玄関での同僚への態度といい、ダリアお嬢様への馴れ馴れしい態度といい、明らかにまかないとは言い難い食べ物を好き勝手食べているその姿といい、どういうことかと尋ねました。
「道化は頭が良くないとですよ〜?」
……突然の意味不明な言葉に、わたくしは「はい?」と語尾を跳ね上げました。
「道化とは? マリアンヌさんのことですか? 彼女はここをクビになったと聞いていますが」
「ええ。だから今、道化役を勤めているのは、あたしですね」
わたくしの眉毛が片方、つり上がりました。周囲にいるメイドたちが、息を飲んで見守っています。
「……あなたのその失礼が過ぎる態度は、あなたがご自分で計算して実行していると言うのですか?」
「ふふ〜、こんなあたしでも雇ってくださるカレン様は、寛大に見えるでしょ? おかしな使用人に振り回されてる、薄幸の美女にも見えますよね」
振り回されているのは、わたくし含めてこの場にいるメイドたちだけだと思われます。
「ま〜、そういうわけで、カレン様には道化役の『マリアンヌ』ちゃんがいまして、徹底して主人の引き立て役を買って出るわけですよ。もちろん、事前の打ち合わせや、主人と呼吸を合わせないと、できない芸当ですよねぇ」
「あなたの名前は、マリアンヌではありませんが」
「ああ、あの子はサロンで盛大にやらかしましたからね〜。カレン様が怒っちゃって、もう二度とマリアンヌなんて名前は呼びたくないっておっしゃって、それであたしの名前はクリスティーナになったわけですよ」
彼女の名前は、本名ではないそうです。お屋敷や仕える主人によって、歩む人生も身に付ける常識もこんなに違ってしまうのだと学びました。
「今現在あなたの手によって、お手洗いに監禁されているマリアンヌさんは、計算してあのような行動を取っていたのですか?」
「いいえ〜。あの子の場合は、誰も注意しないからああなったんですよ。哀れでしょう? どこかの排水溝に詰まった葉っぱみたいな子を、お出かけ中のカレン様が拾って、五年くらいですかね。気の毒すぎる女の子にも、カレン様は寛容に振る舞われるんですよ。おかげでカレン様はサロンで大人気! 優しくて寛容で、素晴らしい人格者として、隣国の次期大公殿下とご婚約までこぎつけたんですよ。ほんっと腹黒いったらないですよね〜」
……あまりのことに、わたくしは言葉が全く頭に浮かびませんでした。婚約破棄された原因は、全てが明るみになって断罪されただけなのでは、と疑わざるをえません。
しばし、皆様への指導に、専念いたしました。今しがた聞いた恐ろしい情報を、整理するための時間が欲しかったのだと思います。
焼きの甘いケーキをなんとか生クリームでリカバリーした頃に、わたくしはようやく冷静さを取り戻してきました。
わたくしにはお嬢様のように、不思議な点と点を結びつける才能は皆無ですけれど、長く人事を勤めてまいりましたもので、女の職場の整え方、そして掻き乱し方は、よく心得ております。
まず、声のトーンをかなり落として、苛ついた表情を作ります。
「あの子、遅くありません? ほら、外で箱の包装紙を貼り替える係の子。終わったら厨房を手伝ってもらおうと思っていたのですが」
となりのメイドに話しかけると、困ったような顔をされました。
「あの子は、その……お金にとても苦労してるから、いろいろあれこれ請け負っちゃうんです。一人じゃできないような、たくさんの仕事も、自分からやるって言って……」
ご自分から……しかしマリアンヌさんの話では、貧困に苦しむ現状を利用されて、山ほど仕事を押しつけられているそうですね。
本当にお気の毒ですが、わたくしも、利用させて頂きます。本当にごめんなさい。
「そうなのですか? そのような真面目な女性には、見えませんでしたが。大あくびしながら鞄をひっさげていましたし、玄関からわたくしどもを出迎える際も、ひどく眠そうに目をこすっていました。ああそうそう、なぜか万年筆を取り出して、それをぽろりと落としてしまいましたね。寝不足で気が弛んでいたようで、わたくしが指摘するまで拾おうともしませんでした」
わたくしは言いながら、背後でサボリ続けている道化の様子を、さりげなく振り向くことで確認できました。
笑顔の仮面の下に、くっきりと青筋が浮かんでおりました。
「……そう言えばぁ、あの子チョー遅いですよねえ。ちょっと行ってきまーす」
「あら怖い。あんまり叱んないであげてください。それと、わたくしが言ったことは内緒にしてくださいな」
「はーい。それじゃあたし、抜けますね〜」
クリスティーナさんが意気揚々と片手を振りながら厨房を後にしました。
ごめんなさい!!! 名も知らぬ、カレン様のメイドさん!!!
わたくしとあなたは仕える主人が違うのです。優先順位の一等輝くのは、今お仕えしている主人のみ。しかし、あまりにもお気の毒です。もしもクビや減給を言い渡されてしまったのなら、ちょうど人手不足ですし、うちで雇えないかお嬢様に掛け合ってみます! だからどうか、許してください!!
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