第19話 トリーが厨房で得た情報①
ああもう! 驚きました。なんなのですか、あの別荘は。なぜダリアお嬢様を追いかけるのですか。意味がっ、意味がわかりません。
馬車の中ではマリアンヌさんがひたすら泣き叫んでいて、お嬢様との情報交換もままなりませんでしたし、まったくもう、彼女だけ別荘宅に置き去りにしてしまえばよかったのにと思わないではいられませんでした。
空が暗くなってきた頃、御者が追っ手の見当たらないことを我々に伝え、皆ようやく安堵に胸をなで下ろしました。しかし、お嬢様のお屋敷に無事帰宅できるまでは、気を緩めるわけにはまいりません。侯爵家とデイドリームの戦いとならなくて、本当に良かったです。
「トリー、今回はあなたに助けられました。足やどこかに、怪我などはしていませんこと?」
お嬢様が馬車から降りる際、わたくしはその手をお取りして、ゆっくりとリードしておりました。
「はい。これと言った負傷はしておりません」
「ふふ、逞しいわね。これからも頼りにしていますわ」
玄関には、異変を察知した使用人が総出で出迎えてくれました。わたくしの教育の賜と自負いたします。
あ、マリアンヌさんが彼らに駆け寄って、次々と腕を引っ張っています。
「聞いてくださいよ〜! あたしトイレに閉じこめられかけたんですよ〜!? 脱出したら、みんなしてあたしばっかり追いかけてくるし〜! カレン様がお住まいになってる別荘の子たち、みんなひどいんですよ〜!? うわあああん!!」
「いつまで泣いているのですか、マリアンヌさん! いいかげん泣きやんでください」
「だ〜って〜!!」
大声を上げて周囲に訴えて、同じ話ばかり、ぐるぐると。自分だけが恐ろしい目に遭ったんだと思いこまないで頂きたいものです。
戸惑う周囲に、馬車の御者。お嬢様は御者を屋敷内で休ませるとおっしゃいまして、その際に周囲にも号令をかけて持ち場に戻していきました。
わたくしは玄関扉の横に立ち、お嬢様が屋敷へお入りになるまで待機しておりました。するとお嬢様が、後でわたくしに自室へ来るよう、小声でお命じに。これは身支度を急がねばなりません。
わたくしに用意された部屋は、カレン様がいらっしゃった部屋よりは広さがあります。ここは、わたくしがずっと胸に掲げてきた、とある目的を遂行するための、大事な作戦室でもあります。
侯爵家のメイド服よりも華美さは控えめですが、だからこそ実用性に富んでいて、わたくしは好きです。どうせ汚れるんですもの、洗濯するたびに大量のパーツが出てこなくて、助かります。
身支度を終えたわたくしは、次はお嬢様のお部屋へと赴きました。ちょうどお嬢様の着替えを受け持ったメイドが数名、部屋から出てくるところでした。互いに深々と一礼し、すれ違います。
「マリアンヌちゃんの教育は失敗したみたいね、トリー」
お嬢様のお部屋をノックするなり、こんな一声が。わたくしは「失礼いたします」と声を出してから、丁寧に扉を開いて部屋に入りました。
「それ以前の問題でした。厨房のお菓子を、さも当然のように口に入れるものですから、クリスティーナさんの指示で、メイド数名が厨房から連行していきました。その際のマリアンヌさんは、手足をばたばたさせて暴れるわ大声で喚くわで、どう見ても従者として不向きな性格に思えました」
「暴れた? お菓子を勝手に食べたことを注意されて、暴れたってこと? あのカレン様が、そんな子を側に置いてくださるようには、思えないんだけど」
お嬢様は袖口のふっくら広がった、吸水力の高い木綿生地の白いお衣装をまとい、鏡台の前にお座りになっていました。ボリュームたっぷりの長い髪には御櫛が通されて、金糸に縁取られた緑色のリボンが編み込まれております。
わたくしはため息が出ないように堪えました。
「微々たるものですが、厨房のメイドたちの心中を掌握し、情報を仕入れてまいりました。マリアンヌさんがああなってしまったのは、周囲の環境によるもののようです」
ありのまま思ったままを、そのまま吐露しては、お嬢様に品性を疑われてしまいますので、ご説明の際には砂糖をどっさりかけてはおきましたが、自室に戻った今は正直に報告書をまとめていきたいと思います。主に自分用の、忘備録として。
カレン様ご滞在の別荘にて、わたくしはクリスティーナさんの案内のもと、マリアンヌさんを連れて厨房に入りました。古い厨房でして、陶器のシンクの輝きは少々にごり、木製の棚はところどころ塗料が剥がれて、天井にはハート型の染みがありました。
お菓子を焼いたり、食事を作る調理人の姿はなく、やたら若いメイドばかりが、おろおろと段取り悪くお茶の用意を整えている最中。
ゼリーかシフォンケーキか、それとも無難にクッキーか、迷っているご様子。それも中途半端に、作りかけです。それも仕方のないことでしょう、我々は突然の来訪者であり、事前に連絡を入れていないのですから。
厨房に入るなり、さっそくマリアンヌさんが奇声を上げました。
「わあ! おいしそう!」
そう言って勝手に包丁を持ち出して、ケーキを切り始めたものですから、さすがに注意すると、「え?」と不思議そうな顔をされました。
「え、じゃないでしょう、マリアンヌさん。包丁を置いてください。そのケーキはカレン様とダリアさんのお菓子ですわ」
「はい、知ってますよ?」
「では、どうしてあなたが食べるんですか」
「食べたいからですけど?」
マリアンヌさんは包丁を置いてくれましたが、今度は手づかみで、シフォンケーキを引っ張って、ちぎって食べてしまいました。
どうしてこの人には、わたくしの言いたいことや常識が通用しないのでしょうか。さすがに気味が悪くなっていると、クリスティーナさんが周囲のメイドに指示して、マリアンヌさんを厨房から連行していきました。
「なぁんで〜!? なんでみんなあたしを連れて行くんですかぁ!?」
廊下にわんわん響く大声に、わたくしはカレン様とお嬢様にまで聞こえていないかと冷や冷やしました。
クリスティーナさんが、ため息をついて肩をすくめています。
「ごめんなさいね〜、トリシアお姉様」
「……やはり、あなたの目から見ても、マリアンヌさんは奇妙に見えるのですね。我々もほとほと困り果てているのです。いったい、なんなのですか、あの娘は。ダリアさんが変に可愛がるものですから、強くも言えないし、もう、どうしたら……」
すみません、マリアンヌさん。女同士の共通の敵になってください。こうでもしなければ、あなたに関する情報が手に入らないと思ったのです。
クリスティーナさんの苛立ちに合わせるように、こちらも不機嫌な態度を演じました。やりすぎるとバレますので、ほどほどに顔に出します。
クリスティーナさんの青い双眸が、わたくしを凝視しております。わたくしより歳が下のようですが、この場の誰よりも背が高かったです。
「あの子はぁ、以前はカレン様の道化だったんですよ〜」
「道化? なんですか、それは」
「お姉様のお屋敷には、いないんですかぁ? そういう役割の子」
「いいえ、おりません。ふざけている暇があったら、山ほど手伝ってほしいことで毎日あふれておりますので」
「ああ、そっかぁ、人手不足だってダリアさんも言ってましたもんね」
クリスティーナさんが肩をすくめると、エプロンの肩紐部分の白いレースが揺れて、その時だけは軽やかで可憐に見えました。
その後ろでは、不揃いなフォークを並べ比べて、どれが自然なセットに見えるかと迷っているメイドの姿が。カトラリーも満足に揃っていないなんて、そんな貴族の別荘があるのですか?
「道化ってぇ、雇い主によって求められるパフォーマンスが違うんですよ。たとえば、主人の寛容さを周囲にアピールするために、わざと横柄な態度の道化になって来客を威圧するとか、あらゆる楽器を弾きこなしては即興で歌を作って、周囲を喜ばせる、とか。徹底して無知な田舎者を演じて、周りを大爆笑に包んだり、とかですね」
なんとバカらしいこと。
その話は、わたくしの眉毛を険しくさせました。
たとえ自分の金銭で雇った相手だったとしても、恥を掻かせてまで主人の株を上げさせるだなんて。器が知れます。
いびつな空気を醸し出すこの職場の雰囲気も、恐らくは道化役の存在が異質さを強烈に放っているせいだと思いました。
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