第18話   カレン様と別荘③

 部屋の外にいるメイドが閉じかけていた扉を、トリーの長くてすらりとした片足が蹴り破った。吹っ飛ばされたメイドが廊下で尻餅をついているのを尻目に、私は片手をトリーに引っ張られながら走った。私、運動苦手なんだよね、こういうときトリーにリードを任せてしまうよ。


「お待ちなさい! 少しくらい年長者の厚意に応えるのも、大事なのよダリアさん!」


 淑女が何か喚いてるけど、緊急事態に陥った際には、捨てるルールを選ばないとね。たとえば、目上の人を立てる、とか。


 ん? 私たちの後ろから、やたら小刻みな足音が床板越しに響いてくるぞ。


 トリーが背後を振り向いた。後ろを走る私ではなくて、もっと後ろのほうに視線を投げてて、怖い顔になった。


「お嬢様! カレン様が追ってきています」


「へえ、それじゃあ足下がふらつくっていうのも嘘なのか」


 ハイヒールに包まれた足が解放されるとき、本当はどんな実力を隠し持っているのかなんて、実際に目にしてみるまではわからない。それでも、あんなにすらっとした足でトリーを追跡できるなんて、これはただの、火事場の馬鹿力ってやつかな。


 あーあ、優雅な表情までぐしゃっと崩しちゃって、いったい何にせき立てられているのやら。


 異常を感じておろおろと廊下に出てきたメイド数人と、服装の不揃いなおじさんたちが、トリーの行く手を微妙に遮りだした。


「失礼します!」


「きゃああ!」


 容赦なく体当たりで突き飛ばすトリー。


「その娘を捕まえて!」


「きゃああ!」


 カレン様も同じことしてるみたい。たった今、私を捕まえろって命令を出したね。だけど、今のところとっさに動けてる子が誰もいないや。転んだ子も、誰かに状況を説明してほしそうな顔して、泣きそうになりながら辺りを見回すばかりだし。


 メイドたちは詳しい事情を、一切聞かされていないのか。悲鳴をあげて廊下の端に寄ったりと、まったく統率が取れていない。おじさんたちは、もっと取れていなかった。赤ら顔やら千鳥足やら、どうやら飲んでたみたい。


「はわわわわ! あたしも帰ります〜!」


 あ、マリアンヌちゃん、ごめん忘れてた。って言うよりも、いろんな意味で逞しい子だから、心配してなかったんだよ。納得のいかない事に憤慨して、貴族の馬車を借りて行動に移しちゃうような子だからさ。


 ありゃ、前方の窓辺に並んでいたクマちゃんが、廊下にペソッと落ちちゃった。窓にくくられた風船も激しく揺れてるし、これは……隙間ができてて突風が入ってきたんだ。毎日、不慣れなメイドたちが手入れをしているだけあって、鍵の閉め忘れも起きてるみたいだ。


「トリー! クマが床に落ちたところの窓が開いてる! そこから出よう!」


「御意! 手を離します!」


 おいおい、鍵が開いてるからって跳び蹴りで窓を全開させる女の子がいるかなぁ。緊急事態には品性を真っ先に捨てる覚悟も、必要っちゃ必要か。


「ひええええ!!!!!」


 少し後ろから、ずっとマリアンヌちゃんの悲鳴がわんわん響いてる。カレン様がメイドたちに飛ばす指示の声も、掻き消すほどの声量だ。さらに彼女の動転ぶりが周りの子にも伝染しちゃって、騒ぎが大きくなっている。今この場にいるカレン様の味方の中には、冷静に動ける人なんていないんじゃないかな。


 トリーに窓から外へと引っ張り出してもらい、なんとか着地。そのままトリーに引っ張られて、また私は走りだすことができた。


 空っぽのプレゼント箱を蹴っ飛ばして、一気に坂を下りる。


 さすがにクリスティーナちゃんが気づいて、猛烈な勢いで走ってきた。なんでか玄関の外にいたようだけど、何をしていたんだろう。


「待て待て〜! ずきん三姉妹〜!」


 三姉妹? ああよかった、マリアンヌちゃんもしっかりついて来ているんだね。今は後ろを気にしてる余裕がないから、マリアンヌちゃんとの距離は彼女の悲鳴から割り出すしかないと思ってたよ。


 そして鳴り止まない大きな悲鳴は、デイドリーム家の馬車馬を嘶かせ、御者を臨戦態勢に移行させた。


「ダリア様!」


「馬をとばして! 追われてるの!」


「御意! すぐに出します!」


 逃げる支度の整った馬車に乗り込んで、私たちは矢のように過ぎてゆく景色に、ほっと安堵した。


「あー危なかった〜!!! 聞いてくださいよダリアさん!! あたしトイレに閉じこめられかけてたんですよ〜!!? うわあああん!!!」


 感情の起伏が激しくて、身振り手振りが大きいマリアンヌちゃんは、きっと非常事態に錯乱してめちゃくちゃに暴れたんだろう。そして誰も、彼女を監禁できなかったんだろうな。


 だから心配してなかったんだ。


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