第17話 カレン様と別荘②
接近してくるカレン様を、私は、クマちゃんソファに座ったままで観察していた。ゆったりと伸びてくる両腕は、触れずともわかるほど、きめ細やかな肌だった。私は抱き寄せられて、その大きな胸に片頬をうずめた。
「ああ、温かい。人のぬくもりに触れるのは、十年ぶりかもしれません」
すごい動悸だ。カレン様は何に対してわくわくしてるのかな。
「ダリアさん、またいつだって抱きしめて差しあげますわ。寂しくなったら、いつでもここへいらして。寂しい者同士、吐き出せるものもあるかもしれません」
「こんなにお優しい人に想われて、ベンジャミンお兄様は幸せ者ですね」
「あら、まだそうと決まったわけではなくってよ。でも、そうなればと、心の片隅では強く願っていますわ」
さーて、私ももう一つ本題に入ろうかな。まずは「警戒心を解いて無邪気にはしゃぎだす妹キャラ」を演じよう。
私は顔を上向かせて、カレン様にニッと笑った。
「ねえカレン様、ベンジャミンお兄様の、どんなところをお好きになったのですか?」
「うーん、あの丸々としたシルエットかしら。サロンでお見かけしたときは、そのあまりのチャーミングさに、微笑ましくなったのを覚えていますわ。今思えば、あれが初めてお会いした日でした」
「他には? まさか、見た目だけでお選びしたわけじゃないんでしょう?」
「え? ええ、もちろん。お優しくて、女性の心に寄り添える気遣いの持ち主で」
「他には!? 私、ずっとずっと軟禁生活だったので、家族のこと何も知らないんです。まさか身内から、こんなにロマンチックな物語が始まっちゃうなんて。私なんでも知りたくなっちゃう!」
私を包み込んでいたカレン様の腕が、わずかに離れた。
それに気づかないふりをして、はしゃいだ演技を続ける。
「気が早いかしら、ダリアお義姉様。他には? ベンジャミンお兄様のステキなところ、いーっぱい教えて!」
カレン様が数歩ずつ後退りして、もとのソファに腰掛けた。片手でこめかみを押さえて、具合の悪そうなため息をついてみせる。
「ご、ごめんなさいね、少し、休ませてちょうだい。まだ体が、本調子ではないの」
「あ、申し訳ありません、私ったら、つい年甲斐もなく、はしゃいでしまって……」
「いいのよ。こんなお話を聞くのも、あなたにとっては初めてなんでしょう?」
「はい! でも、はしたなくアレコレと詮索してしまって、申し訳ありません」
私はソファから立ち上がって、深々と頭を下げた。眉毛も思い切り下げて、しゅんとしてみせる。
「これ以上お姉様に嫌われたくありませんわ。いろいろと不躾なままで申し訳ないのですが、私、おいとまさせて頂きますね」
心底悲しげな声を出すと、カレン様が慌てて引き留めてくれた。だって、メイドのトリーを私から遠ざけてまで、二人っきりになりたがってたんだものね、今ここで私に主導権を握られたままで易々と逃がす真似は、したくないのではと踏んだんだ。
私は遠慮がちに、「では、お言葉に甘えまして。本当はお姉様ともっとお話ししたかったから、嬉しいですわ」と謙遜しながら、再びクマちゃんにお尻を預けた。
「お兄様とカレン様の秘密は、またいつかの日に、楽しみに取っておくとしまして……。そうですカレン様、この別荘にあった元々の家具は、どこへ行ってしまいましたの?」
「どこって……さあ、どこでしょう」
「カレン様がご存知ないのならば、使用人の誰かが運んでしまったんでしょうね。古ぼけてはいますが、アレらも大事なデイドリーム家の家財です。使用人ふぜいに勝手に盗まれたり壊されたりしては、たまったものではありません。ああ、でも、カレン様のお付きの人たちですもの、そんなガラの悪いことはなさいませんか。私の考えすぎですね。きっとどこかへ、隠しているのでしょう。どこに運んだかご存じありませんか?」
「……」
「どうして何も、仰らないのですか? まさか! 私に携わる噂が原因なのですか? クリスティーナさんの万年筆のように、古い道具に染みこみやすくなった持ち主たちの思いを、例えを上げるならばベンジャミンお兄様の思いを、読み取られるのが恥ずかしかった、とか? そんな
お茶遅いね〜。トリー、大丈夫かな。無事だといいんだけど……。
カレン様は、落ち着きなく視線をさまよわせていた。
「……ええ、信じてはいないわ。けれど、皆様の噂を耳にするうちに、ほんの少しだけ、怖くなってしまったの。べつに後ろめたいことなど何もないのに、なんだか、家具たちに見張られているみたいで、わたくし恥ずかしくて」
「恥ずかしいから、ご友人に頼んで家具を一式頼んで、総入れ替えを? それは、さぞカレン様の心労に拍車をかけてしまったことでしょう。私は運命に呪われていますわ」
「メイドたちがやってくれましたから、大丈夫でしたわよダリアさん。そんなにご自分を責めないで」
「で、ですが、そこまで私が警戒されていたなんて……。どうして今日、私をここへ招いてくださったのですか? 私がお嫌なら、玄関前で追い払ってくださっても、お恨みしませんでしたのに」
弱ったふりして、根堀り葉堀り。そろそろ淑女カレン様の仮面に、亀裂が入る頃合いじゃないかな?
人は怒ったときに、人間としての程度が出てくるんだよ。その見苦しさ、その幼稚さ、その無様さ、その打たれ弱さ、全てが他人の物差しの下にさらけ出されるんだ。
貴女の怒りが、私の同情心を仰ぎ、且つ私の許容範囲に収まっていたら、特に問題はないよ。喜んでベンジャミンお兄様を任せちゃう。
「ダリアさん、あなたは探偵として成り立っていけるほどの女性なんですってね」
カレン様の声が、冷ややかなものに変わっていた。
恋人の内面に関する話と、家具の置き場所の話……もうすぐ義妹になる私に隠すのは、不自然なことだって、ようやく気づいてくれたようだ。
「ん〜、そこまでのモノでは。たまたまの当てずっぽうが当たるのを、ただただ楽しんでいるだけの、道楽ですよ」
「別荘、勝手に大改造してごめんなさいね。事情があるのですわ、ダリアさん……わたくしにも、いろいろとね」
「詮索するような、不躾な真似を、お許し下さい。あまりの別荘の大変身ぶりに、つい私も、興奮してしまったようです。本当に可愛らしいんですもの」
家具は、おそらく斧か何かで粉々にして焼いたんじゃないかな。私ならそうする。
扉越しに、数名が近づいてくる足音がした。この部屋の前で一斉に足音が止み、扉がノックされる。
「カレン様、お茶のご用意が整いました」
「入ってらして。ずいぶん時間がかかったのね」
失礼いたします、と扉が開かれた。メイドは年若い三人娘、そのうちの一人は、トリーだった。小ぶりなサービングカートに乗っていたのは、シフォンケーキと紅茶のセット。小さなテーブルに並んでゆく。
カップに注がれる透明感ある茶色い水面の揺れるさまを、カレン様はじっと見ていた。
「少し、気に障る態度を取ってしまったわね。仲直りしましょう。あなたはわたくしの、可愛い義妹となるんだもの」
「いいえ、未来のお姉様、少し頭を冷やしてまいります。また失礼な詮索をしてしまっては、お姉様に嫌われてしまいますもの。私はただでさえ、家族からも疎まれているのに、お姉様まで失いたくありませんわ」
私は胸を苦しげに押さえて、クマさんソファから立ち上がった。膝下を揺れるスカートの、レースたっぷりの優しい肌触りを感じながら。
カレン様の桃色の艶やかな唇が、ばっくりと円を描く。
「ど、どうか落ち着いてダリアさん。ダージリンはお好き? 少し渋味はありますけれど、甘いケーキとよく合いますのよ」
ふぅん、苦い、ねえ……。何か異物を混入させるんだったら、コーヒーとか、味の強いモノに混ぜると、気づかれにくいんだよね。
それにお茶が苦いのは、茶葉が良くないか、淹れ方が良くないか、あるいはその両方だよ。うちがカレン様に粗茶なんか贈るわけがないだろ。そして自慢のメイド長トリーが、味見もせずに苦いままのお茶を、主人に出すわけがないんだよ。
まだカレン様の本心に確信が持てない以上、何かを口にするのは危険が過ぎる。
ん……? トリーが怪訝そうな顔して、私とお茶のほうを何度も注視している……やっぱりこのお茶、トリーが指導して煎れたものじゃないんだ!
私はハンカチをケープの内ポケットにぐしゃぐしゃのまま突っ込んで、それまでの不安げな面持ちを捨てて、胸を張って強気に、カレン様へと笑みを向けた。
「トリー支度して! 帰るよ!」
「御意!」
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